2005年2月23日 タイの旅のお話A サンクラブリー「夢を織る家」

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♪流れる水とたわむれる 子どもたちと虹を旅する
   それが愛のはじまり それが祈りのはじまり
 木々の匂いをかぐ 畑に苗を植える
   それが命のはじまり それが祈りのはじまり

 宇宙と繋がっているわたしの心 
  輝く衣をまとい舞い降りてきた あなたの光

未来のわたしと共に生きる 過去のわたしと共に生きる
 それが愛のはじまり それが祈りのはじまり

 いつかまぶしい草原で 深く出会ってゆく 
   わたしとあなたの清らかな心♪  (2005.2.23 山室)

風邪を引いて寝込んでいます。ゆっくりと寝込む暇もない1年のスケジュールの中で、やっぱり休むことも必要だよ〜と言われてるみたい〜
今、午後3時。やっと起きだして、パソコンに向かいました.。

今回の風邪は、喉にきています。幸いなことに、コンサート再開まで10日はあります。3月12日からは次のCD「やっと会えたね。〜ともだちの光(仮題)のレコーディングに入ります。よかったら、目を閉じて30秒ほど、わたしの喉に光を送ってくださいね。1日も早く歌い始められますように。

朝、また歌がやってきました。今朝の誠さんの夢の中で、わたしが歌っていたというわたしの知らない歌。でも、よく知っている歌。見えない世界と見えてる世界の両方を行ったりきたりしてるわたしたち。限られた体、限られた人生の中に限りのない夢と愛を秘めて〜。

さて、タイのお話の続きです。

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チャン島を出てバスでバンコクへ。終点のカオサンストリートに着いた時はもう夜で、とても疲れていました。カオサンストリートは日本で言うなら「眠らない原宿」のようなところ。並んだお店と歩く人でごったがえしています。このストリートを抜けるとお寺があり、そのお寺の向こう側に安いゲストハウスがたくさんあるのです。

去年、泊ったプール付のゲストハウスが子どもたちのお気に入りで、そこをめざして歩きました。こういうとき、こどもたちは疲れてても必死についてきます。残念なことに、そこは満室。近くの別のゲストハウスへ。一部屋350バーツ、約1000円でした。翌日、誠さんは領事館へ。わたしは、子どもたちとカオサンストリートで買い物。誠さんは手続きに時間がかかりそうなので3人で出発、現地で落ち合うことを決め、午後1時頃「夢を織る家」に向かってタクシーでサウスバスターミナルへ。着いたとたん昨年同様「どこへ行くの?」とたくさんのタイ人に声をかけられてカンチャナブリ行きのバスにあれよあれよと言う間に乗せられました。たくさんの荷物をどんどん運んでくれるんです。片言の英語なので、細かいやり取りはできません。終点カンチャナブリまで2時間半、カンチャナブリからサンクラブリーまで別のバスに乗り、4時間、計6時間半の旅程。

言葉がわからなくてもじゃれあう子どもたち


 ところが、乗ったバスが時間のかかるローカルバスで、着いたのが、5時半くらいだったかな?その間、アマチも八星も途中トイレに行きたくなったけれど、トイレ休憩する様子もなし。車掌さんにお願いして適当なところで停まってもらいました。カンチャナブリーで降りると、またたくさんのタイ人に「どこへ行くんだ?」と囲まれました。

「サンクラブリー」と応えると、「最終バスは4時半、今日はバスはないよ。」とのこと。なんだかすごく疲れていて子どもたちもお腹をすかせてるし、とにかく食事をして、そのあと、泊る場所を探そうと思いました。熱心にゲストハウスを勧めてくれるタイ人のことも信頼していいのかどうか〜「とにかく、どこかで食事をしてくるから」と彼らを振り切って子どもたちと歩き出すと、なんと向こうに誠さんが、にこにこと手を振っているではありませんか。

「あれー、僕も今ここに着いたところなんだよ。午後3時のバスに乗ったんだけどね、停留所は3ヶ所しかなくて2時間半でついたよ。でも、サンクラブリーまでのバスがなくなっちゃてね。」

というわけで、一緒に食事をして、食事しつつ相談し「地球の歩き方」に載っていたビジネスホテルに泊まりました。

さて、翌朝バスの時間表には7時半の次が、8時となっていたのに、7時半の次は9時ということで、8時に乗ろうとやってきたわたしたちに、朝食の時間ができました。昨年、お世話になったマレーシア人の屋台レストランへ。

サンクラブリーのバス停までナートさんのお兄さんに迎えに来ていただき「夢をおる家」に着いたのが午後2時くらい。ついたとたんに、見慣れた人々の群れ。うわー!超不思議〜。

「夢を織る家」に到着したら、隣人たちと遭遇!うれし〜。

我が家の隣に住む孝子たちです。お互い、相談してここで落ちあっているわけでもないのに、地球の同じ地点から、はるばるここまで、それぞれに旅をし合流してしまう不思議。もちろん、同じ時期にタイを旅することも、「夢を織る家」に来ることも知ってはいたけれど、ほんとに逢ってしまうなんて。偶然の必然。嬉しい〜。

あたりを見渡すと、去年から随分変化してるではありませんか。子どもたちが水遊びする池の横が素敵な食堂になっていて、草木染めの服が、広々とした憩いの場所の真ん中にたくさーん飾られています。昨年は、キッチンも食卓も衣類の展示コーナーも水辺ではなく奥の方にあったのですが、キッチンもショップも、ぐっと明るくなりました。

「夢を織る家」は、ナートさんユパさんという30代後半のご夫婦が、現在21人の孤児を引き取って育てている開かれた家庭です。政府の援助は一切なく、子どもたちの養育費は、彼がインスピレーションでデザインし製作している草木染め、手織りの衣類、小物の売り上げで賄われています。

草木染めの製作は地域の人たちに仕事として伝授されています。貧困の源である「仕事」の不足、そして仕事がないゆえに生きる気力をなくした人たちに仕事を教え、彼らの作ったものを買い取ることで、地域全体を支える〜というのがナートさんの愛のお仕事です。

わたしにとって、彼の生き方はひとつの生きた光。自分が引き受けられるものの枠を自ら限定しないように〜ということを彼の存在が教えてくれています。

それから4泊。とにかくのんびりさせていただきました。朝、5時過ぎにお祈りの時間があり、そのあと子どもたちは庭を掃いたりして、三々五々食事をした後、7時半頃、トラックの荷台に乗って学校へ。午後帰ってきた子どもたちは、ひとしきり遊び、それぞれに水撒きや掃除らしきことをした後、お祈りの歌とたいこが始まります。終わる頃、ナートさんかユパさんが話をしたりします。後は夕食、そして歓談して眠るという日々。

わたしは、毎晩歌いました。すると子どもたちも大人も、ナートさんも集まってきて そこでくつろぐんですね。八星やアマチまで じっとこちらを見ていました。日本語でも響いてゆく歌、溶けあう世界が不思議だったのかな?1曲1曲、子どもたちは心を込めて笑顔で拍手をするんですね。気持ちよく時間は流れていきました。

ナートさんが誠さんのためにセレモニーをしてくれた後、記念撮影。光の玉がいっぱ〜い。

最後の夜は、誠さんがバンコクへ先に旅立ち、歌のパートナーがいない上に風邪をひいてしまい、声は枯れて出なくなりました。(この風邪が、まだ続いています)それでも、立ち去らない憩いの時間。「夢を織る家」のギターを借りて、みんなにわたしの歌を歌ってもらいました。「ひまわり」という歌。「コーラスをつけようよ。」と誰かが言い出して、繰り返し繰り返し練習するみんな。そして合唱となりました。孝子の家に田舎暮らしと農業体験のために長期滞在していた顔なじみの彼らと、こんな夜を過ごしたこと、なかったな〜。

アマチは、孝子の家の寄宿生の二人と仲良しになり、八星は孝子の子どもシンキとじゃれあって、彼らの部屋へお泊りに。わたしの4月の後半のコンサートツアーが、父親の予定とも重なってしまい、孝子の家に預けることになっています。子どもたちにとって母親も父親もいない2週間は初めて。こうして「夢を織る家」で、思いがけず、孝子たちと同じ屋根の下に交わってさらに親密になり、なんていい流れをいただいているんだろう〜と見えない導きに感謝。

ところで3日目の午後、ナートさんと二人、並んで座って始まった何気ない会話が、実に3時間くらいのやり取りになりました。その中で「ビジネス」と「純粋な志し」の違いを わたしは理解したように思います。

わたしは、ナートさんに「経済をどうやりくりしてるか?」という質問をしました。彼の答えは、「お金がなくても、ミッション(天命)である仕事をし続け、正当な支払いをし続けている。」でした。そして、草木染めや衣類の縫製に関わる地域の人たちに売り上げの100パーセントの還元をしている〜というのです。「自分に必要なお金を別枠で考えたことはない。必要なところへ支払い続け、彼らの生活を支えてゆく。宇宙の愛を信頼するなら、出せば必ず満たされてゆく。」

細かい事情をわたしは知りませんが、ナートさんが手がけている仕事はいろいろあるようです。この1年でも、「夢を織る家」の中にある建物が増えています。建物を建てるブロックを作る仕事も、敷地内で行われていて、それもひとつの事業となっている様子。地域の男性たちが何人も仕事に来ています。「宇宙の愛を信頼する」という姿勢は、なにもせずに信頼するのではなく、訪れたインスピレーションを着手し取り組む中に、宇宙への信頼を持ち続ける〜ということのようです。

去年も可愛かったけど、今年も可愛かったアン

ミッション(天命)とビジネスの境はなんでしょうか?いろいろな仕事(企画)を起こしてゆく時、当然、支払いと報酬が付きまといます。不足を怖れず、正当に支払える人はそう多くはないと思います。ナートさんの場合、タイ人に支払い、日本人に買ってもらうという流れができた時点で(経済格差が相当あるので)、仕事が格段にやりやすくなったのではないでしょうか?

それも、インスピレーションに取り組み続ける中で、導かれた宇宙のサポートの結果といえるのでしょう。彼は、19歳の時から今に至るまで、孤児を引き取り、養育し、今まで140人くらいの子どもたちが成長して手元を離れたそうなのです。若いのに、ほんとにすごいビッグダディ(大きなお父さん)ですよね。

ナートさんの草木染めの製品に関しては、日本の物価からは安いのですが、タイの相場から言えばけして安くないと感じました。孝子もわたしも相当量の品物を買い込みました。夢を織る家を支援したい〜という思いが、現地では、けして安くない大量の買い物をさせるのです。

「値段をつける」ということも やはりひとつの信頼かと思います。ナートさんは、子どもたちの養育費のために寄付してくれと求めたことも、広告を出したこともないそうです。ただ、自分の家にショップを持ち、値段をつけた素敵な衣類たちが飾ってあるだけなのです。

 ちなみに、彼は8年前、インスピレーションを受けて、草木染めの衣類の製作を急に始めました。学んだことも、経験もなかったそうです。滞在させていただいている間に、一晩だけ仕事に集中されているナートさんとユパさんを見かけました。一晩の間に布の裁断から始めて、素敵なヘンプのシャツを4〜5着仕上げ、翌朝には、その1着をナートさんご自身が着ておられました。すごい集中力と遊び心です。

また、わたしに関しては「あなたの歌をサポートしてくれるパートナーと出会うことが大切。」と強くアドバイス。これは、わたしが自分で自分をオーガナイズするのではなく、わたしをオーガナイズする人が必要だという内容でした。

「あなたが、ただ、歌うことに専念できるように、あなたの時間を、あなた自身の霊性と子どもたちのために残して置けるように。」「あなたのことを、あなた以上に理解してオーガナイズする人、一人ではなく大勢かもしれないけれど、その存在が、あなたの歌、あなたのミッションを運んでいくだろう。」と。

ナートさんとこどもたちが糸紡ぎ

ところで、こうして日記を書いてるこの瞬間も、この3月〜4月のコンサートの企画準備のために動いてるかもしれないオーガナイザーたちの顔が思い浮かびます。

「歌うことが天命」とチャン島の汚れゆく海を見て、思いました。人々の心に宿っている本来の願いや夢を呼び起こしてゆくには、わたしには歌しかないなあ〜と。だからこそ、歌うことを支えてくれているオーガナイザーたちは、わたしの人生のパートナーともいえるのかもしれません。そしてまた、わたしの歌に寄り添うように演奏し、身の回りの雑事を引き受けてくれる誠さんにもありがとう〜なのです。人はそれぞれに備わったあり方で補い合い、支えあってゆくのでしょう。

また、「あなたのコンサートは、普通のコンサートとは違うやり方でやった方がいい。あなたが行くところにみんなに来てもらってリトリート(魂の保養)をする〜それが、日本であれ海外であれ。」とおっしゃていました。

わたしは、すでに今年から自宅を開放してのリトリートを始め、楽しくて仕方がありません。これは自分の天職だな〜と驚いていたので、ナートさんがそう言い出したことに、またびっくり。「どうして知っているの?」と。ふと「ナートさん、来年、ここでリトリートしてもいいですか?」と思いついたままを口にすると「何人くらい?」とナートさん。「10人。」とわたし。「いい人数だね。」と彼。それで、相談はまとまった〜という感じ。

 無理がなければ、やりましょうか?来られたい方はおられますか?

と、ここでまた海外リトリートの企画を始めてしまいそうなわたし。。。

ひとつの企画を立てると、それにまつわるさまざまな事を用意していくのは相当エネルギーがいります。それは、ナートさんの言われる通りで、わたしにはいつも時間がないのです。パソコンに向かい、電話のやり取りをし、車を走らせて打ち合わせ〜etc.のびやかに歌に専念する時間。のびやかに子どもたちと過ごす時間が不足しています。

インスピレーションを受け取ると、動き始めてしまうわたしの仕事を、ミッションとして共に分かち合える方はいらっしゃるでしょうか?ナートさんは一人、一人との出会いを大切にしていったら必ず出会うよ〜と言われました。ナートさんの視点からは、「それは、あなたの仕事ではない〜。あなたには仕事のパートナーが必要だ。」となぜか、はっきり言われるのです。みなさんは、どう思われますか?

ちょっと怖いですが、ちょっと楽しみでもあります。

7月〜8月にナートさんは日本に来られます。どこかで、合流したいね。と孝子とわたしとナートさんで、手帳を照らし合わせて検討してみました。

まだ、全体の流れがわかりません。でも、自宅に迎えるなら7月29日〜31日の夏のリトリートかなあ?

随分書きました。最後まで読んでくださってありがとう。今回の旅の最終地点はチェンマイです。できれば、次回にチェンマイのこと書きますね。それでは、また。また、読まれた感想なども気軽に、メールしてくださいね。


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