2004年11月18日 発想を変えて動き出す 高遠の自宅でリトリート

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ずっと心の中にあった着想を現実に着手してみることにした。

「歌が生まれた自分の暮らしの場所、家に、みなさんを迎えてコンサートを含めたリトリート(ほんとうの自分と出会うワークショップ)をしたら、どうなるだろう?」

この発想は、北カリフォルニアの山の中に暮らしていた時代からあった。美しい満天の星、静かな草原、小さな丸い家から雑踏の町へコンサートに出かけ帰宅する時、「この場所にみんなに来てもらう方がずっと伝わるのに」と。町で山の静けさを歌う〜どんな喧騒の中でも、聞こうとする意思があれば、わたしの心は聴き手に届き、聴き手の心の中に風景が見えてくる〜

けれども、もしも聴き手が、日常から離れて、歌の生まれた場所でゆっくりくつろぎ、コンサートを受け取ったら、どうだろう?彼らは、なにを感じて帰ってくれるかな〜わたしは、どんなもてなしができるだろう?

日本で活動を再開して、今年あたりから、コンサート後の交流会を意識して持つようになった。開いた心の揺れのままに輪になって気持ちを言葉にすることで、それぞれの気づきが日常に降りてくる。大切なことをシェアしあったり、流れ次第では、瞑想やささやかな祈りの時間にもなる。でも、終電の時間や場所の制約の中で、集中しにくかったり、あわただしかったり。ゆったりとした気持ちで、リトリートをしたいなあ〜と思っていた。

今年の4月、友人たちが大阪で「有里さんの長い1日」と題してリトリートを企画運営してくれた。実際やってみると、場所を見つけるのが難しいし、食事を用意したりなどのスタッフの仕事も多い。長時間使えて料理や飲食ができ、周囲を気にすることなく瞑想やシェアリングができる場所。そして、心を合わせて取り組めるスタッフの存在が必要だし、やはり日帰りはあわただしい。

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わたしは、時々旅に出る。居場所を変えてみると、自分の日常を、離れた目で見ることができ、人生の調整力が起動し始める。その調整力が、繰り返しの日常に変化をもたらす力となる。

今年 わたしは、1月にタイ、5月にドイツ、8月に栃木(本應寺主催の断食道場に)、9月に長野は女神山ライフセンター(マイケル・J・ローズのネイチャーオブスピリットというリトリート)に出かけ、家から離れた。それ以外にコンサートツアーで全国を巡った。二人の育ち盛りの子どもたちがいて育ち盛りの(!)畑も広々〜とあるので、今年は忙しかった。家にいても出かけても、今、この瞬間に一生懸命の日々が1年続き、今もその中にいるんです。(20日からも栃木です。1週間の「念仏沈黙断食道場」です。)また、報告しますね〜。

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それで、ついに来年早々から自宅でリトリートを始めることにしました。

「今度、遊びに行ってもいいですか?」と遠方の方々から、コンサートで、声をかけていただく度に、ゆっくりと人を迎えるにはどうしたらいいかなあ〜と思案していました。自宅にいる時は、なにしろ忙しい。朝から深夜までやることが行列で待っている!

それでコンサートに出かける日を減らし、コンサートツアーに注ぐエネルギーを自宅のリトリート企画に注いでみてはどうだろうか?と思い立ちました。
すると、心にありながらも、忙しくて深く考えられなかったことにフォーカスが届き始めた。自分の暮らす場所をどんなところに育てていきたいのか?自分だけの家と考えるのと、みんなを迎えられる場所として考えるのでは 発想が変わってくるのですね。たいしたことはできないかもしれませんが、やってきた発想を受けとめ現実にしてゆく流れの中で、思惑を超えた変化が続いてゆくのかもしれません。

今のわたしの家は、田園の中にある古い大きな借家です。リトリートをするとなると、周囲から木立などで視界の遮られたプライベートな庭が欲しいし、日当たりのいい台所のイメージが心に浮かんできます。これからなんらかの方法で、自分の暮らす場所を豊かにしていくんだなあと感じています。

また、子どもたちの育つ「我が家」にエネルギーを注ぎ、彼らと同じ屋根の下でできる活動が増えるのは嬉しいことです。

2005年の1月と4月のプログラムを告知しますね。一度、我が家を訪ねたいと思われていた方々、この機会に思い切って小旅行にチャレンジしてみてください。

定員は6人。わたしも含めスタッフが4人の予定で計10人くらいの少人数の輪を考えています。日程は来年の1月14日(金)〜16日(日)か1月21日(金)〜23日(日)。4月は8日(金)〜10日(日)あるいは15日(金)〜17日(日)。早めに希望の日程をお知らせください。わたしの日程も調整し、スタッフに声をかけます。

昨日、わたしの部屋の窓から見えた夜空

ところで、先週末は子どもたちと静岡の実家に里帰りしていました。8年間、カリフォルニアに暮らしていたことと諸事情があって、子どもたちはわたしの両親とは会う機会が少なかったのですが、今年、13年ぶりに父との縁が復活しました。

わたしの父は定年退職していますが、大学の先生をしていました。知識が豊富で、なんでも省略しないで誠実に話す人です。父と子どもたちの会話を聞いていると、なんだかほんとに不思議。子どもたちにとって、わたしの父の存在はきっと新鮮なんだろうなあ〜。わたしは父と母が与えてくれた環境で育ったけれど、わたしが子どもたちに与えている空気はまた違うんですよね。そして、子どもたちにとっておじいちゃん、おばあちゃんと触れることは、わたしにない資質を受け取り吸収することでもあるんですねえ。

今回嬉しかったのは、来年の春に父と、高知にある先祖のお墓に行く相談ができたことです。祖母や祖父のお墓も含めて、吉本家の先祖代々のお墓は、高知の山の中(2ヶ所)にあるんです。でも現在、両親は静岡に住んでいるし、親戚も移動してしまい、お墓を参りが途絶えて長いんですね。わたしも場所すらわからなかったんです。

日本に戻ってきて、コンサートツアーで四国にもたびたび行くようになりました。父に場所を伝えてもらったら、わたしがお墓のお世話ができると感じていました。でも、父とわたしが話し合うことは、その頃は、とても困難だったのです。なんだかそんなことを わたしが引き受けられるようになってきたことが本当に嬉しいのです。今、父や母に感謝を感じると共に、祖母や祖父へも感謝の思いがあります。目には見えないけれど、自分や子どもたちを形成させてくれてる命のつながりに感謝を感じます。

父も体力がおちて、いつかこの世を去る時が来ることを意識化し、気にはなっていたのでしょう。わたしも、いつかは両親がこの世を去るということを感じつつ、日本に戻ってきました。自分が引き受けられることを意識化し、お墓のお世話の相談をしている時、きっとお互い感じていたことは〜今、目の前にお互いが存在して、話し合えるということの貴重さ〜。

まだまだ両親と、時間を過ごしていきたいと思っています。

父と二人の子どもと犬の散歩

長野から静岡の実家まで、わたしの運転では行きは5時間、帰りは7時間でした。(なぜか、帰り道は、道に迷うんですねえ)車の中で二人の子どもたちはけんかしたり、遊んだり。帰り道は「しりとり」をしたりして、随分仲良く遊んでいました。夕暮れのころ白根インターに入る手前の広い川原に降りて、3人で駆け回りました。気持ちよかった。


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