2004年6月12日 ドイツの旅 ローズウェイギャザリング


5月16日から28日まで、ドイツを旅してきました。すぐに報告記を書きたかったけれど、コンサート(帰ってから、地元で2回、ツアーには1回出ました)や畑、村の草刈り、子どもたちとの関わり、様々なことに楽しく追われてパソコンに向かう時間がとれませんでした。明日も朝6時から村の公民館の掃除、午前10時にはライブのために出かけます。ぼちぼち7月のレコーディングへも意識がいっています。まとまった時間はとれそうもないので、とりあえず、記憶の新しいうちにできる範囲で用事の合間をぬって書いてみますね。
ミュンヘンは美しい町でした。ミュンヘンから南に4時間程のアルプスを思わせる雪をいただいた美しい山合いのお城 schloss elmasにオーストラリア人のマイケルローズとパートナーのトリーニを囲むギャザリングが開かれ、彼らのリトリートを受講したことのある12ヵ国からの人々100人が、6泊7日を共に過ごしたのでした。

より抜きの美しく静かなお城、おいしい食事(3食ともベジタリアン、魚や肉を交えた料理も含めてビュフェスタイルでデザートも種類も質もとてもいいものでした)、ドイツ人スッタフのイマジネーションとイマジネーションを信じ実行する強固な意志と努力で用意された心の深まる喜びに満ちたプログラム、交流。そして日が重なるごとに12ヵ国からの100人の意識がきれいにとけあい、最終日には何時間も別れを惜しむハグ(包容)が続いたのでした。何人かの人は腕の中で泣いていました。それほど、一人の人と長時間語り合ったわけでもないけれど、ほんとに美しかった6日間が終り別れを告げる時、どれほど貴重でかけがえのない出会いだったのか魂が感じてる、という感じがしました。ポーランドから来てボイスヒーリングをしてくれた女性と気の流れが合い、別れ際にお互いに身につけていたネックレスを交換しました。マイケルとトリーニのほか何人か、別れ際になにか手渡したいと感じた人に、持っていった自作のヘンプのブレスレットを贈ってお別れしました。腕に手作り麻のブレスレットをつけてあげると、そのシーンにふさわしい特別な感じがして持ってwCい辰討茲C辰拭

ギャザリング中に歌を歌う機会がありました。10枚持っていた日本語のCDはすぐに売り切れました。舞台に立つ機会が3回もあったのに、充分伝えたいことが英語で伝えられなくて、ほんとにもどかしかった。心に浮かぶことに対応できる英語が出てこなくて、急に幼稚園生になってしまった気分。
英語に対してはドイツ語の通訳がついていました。ドイツ語はさっぱりわかりません。とりあえず、英語を共通語に南アフリカ、ヨーロッパ各国、アメリカからの人たちと交流しました。
わたしは舞台に立つ限りは、充分な行き届いた表現がしたい!自分で自分に対する要求を知る機会となりました。二日目の舞台では、この頃は使っていなかった英語、いつもはバイオリンを弾いて歌う歌をギターの弾き語りしたため、精いっぱいで心が伴わず、演奏後すっかり落ち込んでしまったのです。”美しい声ですね”と言われるくらいで終わってしまっては意味がないと思いました。お互いの魂が歌を通じて出会うということ、そこまで表現と一体にならないと、なんのために歌ってるのかわからなくなります。これから、いつ海外で歌う機会が訪れるかわからないので、新しい歌も英語に訳して歌えるようにしておこうと思いました。準備ができていない時は日本語でアカペラで心をこめて歌った方が深く伝わるかもしれません。タイでは、そうでしたから。

参加者がパフォームするミュージックナイトではドイツとスェーデンからの素晴らしいオペラ歌手や、マイケルローズの詩を歌うポーランドの夫婦デュオが会場を湧かせました。ファニーナイトでは、突如としてピエロが登場し会場を駆け回り笑いの連続、参加者によるおかしい小話があったり、マイケルローズとトリーニのリトリートでの二人の過去の会話をドイツ人スッタフが再現して会場中を笑いの渦に巻き込みました。
参加者にとってマイケルとトリーニはスピリチュアルな先達であると共に、愛すべき存在であることを体感。万人がそうであるようにマイケルとトリーニにも癖があり、それを真似てみんなで笑いころげると、生徒と先生の関係にありがちな堅苦しさや緊張、壁が吹き飛び、ありのままを愛し合っているという空気が満ちてゆきます。翌朝はマイケルが講議する時、自分で自分の真似を始め、会場はまた笑いの渦でした。

食事の時、お茶の時、自由にあいてる席に坐るので様々な人とゆっくり話ができました。森の散策メディテーションや素足で土をゆっくり歩くウヲーキングメディテーションでは、日常感覚を越えて精霊と出会った話をたまたま隣に坐った二人からそれぞれに聞きました。ギャザリングはそんなことが普通におきてる覚醒した感覚に満ちていました。見たこともないエイリアンが出てきて、でもハートは開き、喜びの涙があふれたというような夢の話しなども数人でしていて心に触れました。

3日目にはバスを2台チャーターしてミステリーツアー。ギャザリングのオーガナイザー、ドイツ人のロルフとバスの運転手しか行き先を知らないというとっても楽しい冒険観光。美しい渓谷を歩き、ロープウェイで山を上がり山頂でお茶を飲み、ボートに乗ってランチを食べ(雨が降ってこれは中止)、またバスに乗って有名なお城を見学するといったコースでしたが、お城をガイドに連れられて歩く我々100人は、ドーム状のホールに入ると美しい声で自然とわきあがるトーニングを楽しんでいました。ロープウェイの中でも誰かの歌の輪が広がり響いてゆきました。お城のガイドさんは今まで何万人とガイドしたけれど、こんなのは初めて、と感激していたそうです。

最後の夜はダンスパーティーでした。みんなドレスに着替えて深夜まで踊りました。音楽を撰んで流すプロのスタッフも外部から二人。自由に踊ったり、しっとりとチークダンスもあったり。参加者の平均年令は40代半ばくらいでしょうか?20代の子どもと親の組み合わせが二組来ていました。夫婦での参加はわりあい多かったです。年令も高く、落ち着いた方が多かったですが、日を重ねるにしたがってプログラムは深夜まで及び、ダンスパーティーは深夜1時過ぎくらいまでは続いていたと思います。

チークダンスはロルフと踊りました。このギャザリングのすべての流れは彼のイマジネーションと意志、集中力、努力によるところが大きく、参加者がリラックスして流れに身をまかせられた陰には、彼とスッタフの迅速な働きと努力があったように思います。

ロルフはわたしが最初に歌った時、”なんて、簡単に君は人の心をとらえるんだろう!想像もしてなかった。オペラはシリアスな努力とテクニック、でもなかなか心には触れてこない。君の歌はそのままで深く心に触れる!”と抱き締めてささやいてくれました。

わたしはロルフと踊りながら彼の貢献を讃えました。彼は参加者みんなからの感謝と賛嘆を受け取ったと思います。ドイツで小さな美しいものを売るお店を経営するほか、さまざまな企画をオーガナイズし、瞑想などのリード、ヒーリングもしているという彼は40代半ば。きゃしゃな体つき。25年、肉も魚も食べていないということで、妖精の王子さまという感じ。”これから一時は店の経営を拡大したりすることもあるかもしれないけれど、将来はレインフォレスト(熱帯雨森)でシンプルな採集生活がしたい。”と一度だけ食事で席が隣りあった時、話してくれました。

曲調が祈りの感じに変わったと同時に、外に通じるドアからロルフたちが100本以上の赤いロウソクに火を灯しプレートの上にハートの形に飾ったゆらゆらと揺れる美しいハートキャンドルを真ん中に運びこみました。誰もなにも言ってないのに、自然と100人がひとつの輪になり、手をつなぎました。

ロルフが、ひとり1本ずつキャンドルを取りにくるように静かに話しました。”このハートキャンドルを手にとる時、ふたつお祈りをしてください。ひとつは自分のため、もうひとつは世界のために。”と。ボイスヒーリングの友人がケルト語で歌を捧げた時、わたしの胸にも歌が込み上げてきて”heart whisper"(ほんとうのあなた)の一節を歌いました。
踊り疲れるほどに躍って、訪れた祈りの時間。ほんとに静かで美しい時間だった。

人生をおもいきり楽しんでいいんだ、ということを受け入れた6日間となりました。

ギャザリングが終了してから5日間は、ドイツ人でギャザリングで早朝ヨガを教えてくれたレナーテの家に1泊させてもらい、そこから一人旅に出ました。シングルマザーのレナーテの子どもたちは8才、16才、18才くらいでしたが子どもたちだけで1週間の留守を守り、レナーテが帰宅するとリビングテーブルに長女がお茶を用意して集まり、”ママ、この1週間なにを勉強してきたの?”と目を輝かせて聞き入っていました。

レナーテに勧められたニューデンベルグまで電車に乗り、バックパッカーのための安宿を見つけ、荷物をおいてから、煉瓦の敷き詰められた古く美しい町並を歩きました。数え切れない程の絵や彫刻、彫像で飾られた古い教会などでゆっくりくつろぎました。どこの国に行ってもそうなのですが、ヘンプアクセサリーに使えそうなガラスや石などのお店を捜し当て、買い物をしました。また、さまざまなレストランでおいしいビールやソーセージなどの食べ歩き。実は、ニューデンベルグの後は、日本からギャザリングに来ていた4人とミュンヘンのホテルで合流するはずだったのに、合流しそこねてしまい、その後も一人旅になってしまったのです。

それは、今回の旅を締めくくるにはふさわしい流れだったと思います。電車でも、レストランでも道でも英語が通じないことが多く、緊張状態だったのですが、次第に”すべては内側から始まること”を意識して”怖がらずに楽しむ”ことに意識をおくと緊張状態が次第にリラックスし、幸せに満たされた時間へと変化。道を尋ねた時、偶然に出会う人まで最初はよそよそしい人が多かったのに、後半は親切な人ばかりになりました。言葉が通じないのに道案内についてきてくれた人が二人いました。
飛行機に乗る時まで、楽しむしかありませんよね。メニューが読めなくても、適当にビールを注文し、いろいろな食べ物も試してみました。ドイツではビールはお茶のようなもの。街角の外のテーブルで、ゆっくりと野外の空気に触れながら足を休めました。

ミュンヘンでは美術館を3つ廻りました。何時間も絵を眺め、自分の好きな絵の世界のエッセンスを理解しました。
ミュンヘンでの最終日、美術館めぐりには開館時間より1時間早く着いてしまったので飛び込みで美容院に入り、ぼさぼさだった頭を整えました。日本へ帰国すると忙しくなりますから。
そのうち、絵も描きたいな。わたしは美しい流れるような線と色彩、そして命の躍動、自然と心の調和や光が感じられるものが好きなようです。

今回の旅は、ほんとに贅沢な時間を過ごしたように思います。いつもは、なるべく切り詰めてシンプルに、という旅を撰んできたように思いますが、今回はギャザリングに子どもたちが参加資格がなかったので、初めて海外を一人で旅することになり、流れ上ほとんどお城やホテルに泊まっていました。自分に課していた切り詰めてシンプルに、という制約が、自然に外れたように思います。切り詰めるのではなく、よりぬきでシンプルに。という風に。自分の心が、その時に望むことに忠実に自由でありたいと思います。心の望む世界をおそれず自ら生きること。

成田に着いた時”今回はよく働いたなあ。”と思いました。お金を使って旅してきたのですが、”よく働いた”と心が感じたのです。つまりいつもは使わない心の筋肉を使って、”わたし”が育ったと思いました。これがほんとうの意味での仕事だと思うのです。肉体の衣を脱いで、あの世に行く時はなにも持ってゆけず、魂がどれだけ育ったかだけが、人生を生きた証しになると思います。
また、 ”わたし”の器が育てば、受け入れられるものや、イマジネーションの巾が広がり、経済もついてくるのではないでしょうか?

”自分の人生の歩き方は自分が知っている。優雅に。美しく”というのがウヲーキングメディテーションの時やってきたメッセージでした。
今という瞬間を意識して生きるということの連続が自分自身の人生を本当に豊かに、つながりと喜びを感じさせてゆく方向へ歩む鍵となるように思います。

さて、次回は、おとといできた新曲の歌詩を紹介させてもらいますね。ドイツで心が広がって、また素敵な(!)歌ができました。今は13日。もう豊岡でのコンサートに出かけなくてはなりません。それでは、またね。

ところで、この秋、わたしの車は車検の時期ですが、わたしの車は、楽器とPAと子どもたちを乗せてツアーをするのには小さいんです。状態のいいある程度大きくてワンボックスの車が格安で手に入るのだったら(4駆だとなおいい)乗り換えた方がいいかも。。と思いつつあります。いい情報、あるいは譲ってくださる方がいましたらお知らせくださいね。

来週は焼津〜浜松〜富士山と動きます。


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