2004年3月25日 高遠町 山室 春の散歩


埼玉のコンサートとその前後のレコーディングのために、子どもたちをネパールから帰ってきた子どもたちの父親に預けていた。23日の夜、5日振りに会った八星を抱きしめて眠った。あどけない八星の丸い寝顔。

アマチが帰ってきたのは次の朝。子どもたちから父親の様子が自然と伝わってくる。どうやら、ネパールで出会った優しい「おねえちゃん」と一緒に暮らすことになったようで、子どもたちも楽しく遊んでもらって満ち足りていた。お姉ちゃんは24才というのが、ちょっと若すぎてびっくりしてしまったけれど、それぞれの出会いの本質はその当人にしかわからないから、彼は彼らしく彼の道を歩んでいるのだろうし、幸せであるのなら それでいいのだと思う。

正直に言うと、わたしが彼とは関係を維持できなかったその原因について、反省してもらいたいという気持ちがずっと残っていた。でも、彼とわたしは、生き方の手法、なにを大切にするかという捉え方が違っていたから、別々に生きることで、それぞれの力を発揮できる別れ道まで来ていたということなのだろう。

わたしはわたしで、自然の成り行きで、去年の夏からある人とのおつき合いが始まった。 わたしは既に長く(?)生きてきているし、その人も、わたし以上の人生経験を積んでいたので、お互いを本当の意味で理解しあうのに半年かかった。言葉では伝わらないものも、共に体験を重ねると少しずつ理解の基盤が生まれてくる。また、理解し合おうという強い願いがあれば、ある時、突然に隔たりが埋まるということを経験してほんとにびっくり。そう、ゆっくりと探りあっていたものが、ショックな出来事を続けざまに体験させられて、気持ちも遠くへはじき飛ばされ戻ってきてみたら、姿は変わらないけれど内面が大きく変化した彼と、ぴたっと合ってしまった、というような体験。

人と人との出会いは、お互いの意識のありかたが鍵になるから、切磋琢磨させられる。それぞれの本質がきちんとこの世に現され、その人らしい生き方ができるように心の願いに応じて出会いが与えられるような気がする。だから、心に素直に真剣に生きるのは辛い時もあるけれど、喜びも大きい。思いがけない時に、出会いという贈り物がやってきて、これから生きようとする方向に向けての推進力になったりする。

昨日は、アマチの病院での検査があり、夕方から病院へ。3ヶ月の入院を求められたアマチの急性腎炎も着実に回復していて、尿から検出される血尿も少なくなり、あと一息というところ。「命の保証はできません。」と入院を迫られたあの日々も良き学び、よき思い出となった。無理を言って自宅へ帰らせてもらい、病院の検査結果やお医者さんの意見は参考にさせていただいて通院で通した。入院しないことを選択した時には、見るからに機嫌を悪くされていた看護婦さんたちも、今はとても親切だ。主体はこちらにあり、治すのは本人に備わる自然治癒力であり、病院は、データーを示して技術を持ってアドバイスしてくれるありがたい場所。

明日は藤枝でコンサート。その後、27〜28日と富士山でウーマンズティピの集いがあり、29日は焼津の実家へ。30日は浜松でコンサート。病みあがりの子どもたちを連れまわしたくないので、今夜から父親に預けることにした。

昼過ぎ、曇り空の下をお弁当を持って子どもたちと散歩。酵素玄米のおにぎり、昨日土手でつんだ葱もどきの酢味噌あえ、ふきのとうの天ぷらとおでん。なんでもない田んぼ道を歩き、川べりにビニールをしいてお弁当を食べただけだったけれど、気持ち良かった。八星は「気持ちいいねえ。ここに家があればいいねえ。」だって。家の周りとほとんど変わらない風景なんだけどね。子どもたちは川に降りて水遊び。うっかりお茶を入れた水筒を忘れたら、アマチが自転車でとりに帰ってくれた。

帰りに家の前で畑の管理人さんとばったり会った。去年は、広〜い畑の片隅を耕し、それでも余る程の充分な野菜を収穫したんだけれど、「今年は全部やらないかね。」だって。「年貢を3000円納めてくれたらいいよ。」ということ。

さあ、そろそろ畑の季節。静岡から戻ったら畑を起こして灰を撒き、四国にツアーに出る前に人参と大根の種を撒こう。


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