2003年7月17日 長野 山室 ガミガミお母さんになった日




「ママは怒らないんだね。パパはいつまでも怒ってるよ。」「ママはどのお母さんとも違う。お母さんってみんな顔は違うけど、雰囲気が似てる。お母さんって、みんな自分のこどもにガミガミ怒ってる。ママはどのお母さんとも雰囲気が似てない。」

これは、7才になる八星の言葉で、至らない母ではあるけれど、至らないなりに自分の子どもに特別に愛されてる気がして、そう言われた時は不思議な心持ちになったんだ。でもわたしもこの頃ガミガミお母さんになってしまう日がある。なぜか、いつまでも腹が立つ自分を抑えられない時があるのだ。これは、いったいどういうことなんだろう。

今日は、学校から帰ったら、八星の昨日からのお願いで、新しい靴を買いに行き、その後コンビ二でカードをカラーコピーし、温泉に行く予定だった。我が家は田舎だから、お店まではちょっと距離があるので渋ったのだけど、かわいい「お願い」の嵐に負けて、連れていってあげることにしていた。わたしとしては、この頃、暮らしだけではなく音楽のクオリティも高めたいと感じていて自分の時間がなるべく欲しかったけど譲歩した。けれど、学校から帰るなり、アマチが「東くんちに遊びに行きたい。」と別のお願い。東くんの家はお店とは反対の山の中。車で送り迎えをしないと行けないんだ。おまけに、遊ぶためにカードをパパの家に取りに行きたいと言う。往復1時間はかかる。
 でも、八星の「お願い」を聞いてあげたくなったと同じようにアマチの気持ちも聞いてあげたかった。畑に人参の種を撒いてたので、それを終わらせてから人里離れた山中のパパの家にカードを取りに車を走らせた。アマチの言うには東くんちに送ってくれたら帰りはパパの家の近くに住む友達のお母さんが東くんちに迎えに来るから乗せてもらって、パパの家に帰るから。と言うことだった。今夜はパパは用事で出かけているが、夜には帰ることになっている。さすがに送るのに1時間かかるから迎えまで頼んだら連れていってはもらえないと踏んでいたのだろう。ところがパパの家にカードを取りに行く途中、東くんの家の前に自転車が止めてあるのを見かけて「あれ、アマチ、友達は自転車で自分で来てるんじゃないの?」と思い、そう聞いた。「そんなはずはない。こんな遠くまで自転車では来ない」とアマチ。「もう、6時過ぎてるけど、何時まで遊ぶの?」「友達が帰るのが8時くらい。その時一緒に帰るから」とアマチ。出かける時に機転を効かせておにぎりを握ってきてあるし、まあいいかと思う。東さんのご両親とは
、わたし、まだおつき合いが始まっていないんだ。でも、このところアマチの友達が集まって遊ぶのは、その家。たまには遊ばせてあげたいと感じていたんだ。しかし、カードを取りに行き、東くんちに到着したのが7時で、アマチの友達は自転車で自分で来ていて、既に帰ろうとしていた。

友達のお母さんは車で迎えにくるのではなかった。そして解散は8時ではなく7時だったんだ。それで、10分ほど、カードの交換するのを外で待って、アマチを車に乗せて、次なる八星の用事に向かいました。腹が立って仕方なかった。「アマチの言ったことは、みんな嘘だったんだね。忙しいのに、山の中を1時間も車を走らせて、なんの意味もなかったね。」と。

考えてみたら、アマチはただひたすら東くんの家にカード遊びに行きたくて、正常な判断力を欠いていたんだね。自分のいいようにしか考えられなかった。とにかくわたしに車を運転させて、そこまで行きたかったんだ。わたしは、親心でアマチの必要も八星の願いもかなえてあげたかった。おまけに家に帰ったらコンサートツアーを目前にして、自分自身準備したいことがあって気分的には切羽詰まっていたんだ。切羽詰まってるけど、こどもの気持ちもかなえてあげたいと思って無理してたから、希望的観測にのっかてしまい判断が甘かった。アマチの甘さ、自分の甘さ、無駄足したことで腹が立ってしかたなかった。ひとつひとつのことには時間がかかる。アマチの心、八星の心とゆっくりつき合っていないから逆に振りまわされて、無駄な動きをしてしまう。自分自身に腹が立っていたのに、それをアマチのせいにしてしまい、それでは解消されないから、いつまでも怒っていたのでしょうねえ、わたしは。

靴屋さんは、閉店してしまったのでコンビニにだけ行って、温泉に行き、帰って夕ご飯を作って食べ、こどもとの1日は終了。その間、思いだしてはいつまでも、ガミガミ怒っていた悲しいわたしでした。

このところ、ツアーで出る日ばかりでなく、忙しくなりかけた時には子ども達の父親に、こどもたちの世話をお願いしているが、別々に暮らしてる今、形ばかりでなく心の流れも引き継いでもらうのは難しい。それぞれにそれぞれのやり方があり、だからこそ、離れた今、こうしてのびやかに暮らしていられる。それで、なにもかも自分でやろうとするのだが、無理がでてくる。自分一人でできることは限られているし、仕事も子育ても畑も、近所つきあいも、全ては時間がかかることなのだ。

いいタイミングで、この大きな家にも お互いにとってサポートし合える同居人が現れるといいな。隣のたかこの家には1週間程前から、田舎暮らしをしたい若い女の人が同居人として暮らしはじめた。お互いにとってバランスがとれ、いい感じ。

手が足りないと余裕がなくなる。愛の心はいつでも胸深く存在してるけれど、それをあらわせる環境を整えることも必要。こどもたちにとっても、わたしにとってもいい自然環境と人の環境(ゆるやかなコミュニティ)をなんとなくイメージしているガミガミお母さんの今日でした。