2003年
6月5日 伊那から新宿へ



朝、こどもたちを父親へ受け渡しして、伊那から新宿ゆきの高速バスへ乗った。明日から東京ツアー。1週間で4回のライブがある。高速バスに揺られながらパソコンを打つのは体に悪そうだけど、珍しくなにもすることのないという、このチャンスを逃すと、また書けなくなるので、今のわたしを報告しておきましょう。

5月31日と6月1日、福岡から瀬田先生という泌尿器科のお医者さんであり、水や竹炭の研究を通じて、みえない世界に目を開かれたユニークなおじさまをお迎えして伊那の友人のスペースをお借りしてお話会&コンサート、個人カウンセリング&ヒーリングの集いを主催した。20人以上の方々が集い、カウンセリングは10人以上、午後2時から10時過ぎまで、瀬田先生はフルに働かれ、わたしは全体のコーディネイトをしながら、よしえちゃんや飛び入りの祐介と時々、歌を歌った。夜は山室の我が家へ移動し、翌日は近辺の散策と瞑想会を内輪で。

この会を企画してまもなく遠方の方々も来られることがわかり、宿泊所として自宅を解放することにして、家の改革(お掃除とアレンジ)に積極的に取り組んだ。なにしろ、大人はわたしひとりの田舎暮らし。周辺は超多忙な隣人たかこの他は、老人の村で、ひとりでコツコツやっていたが間に合わなくなり、友人達に助っとをお願いした。伊那に住むひーちゃんと、よしえさん、それから、広島から駆けつけてくれたボディーワーカーの通称殿(殿元さん)。そういえば、東京は国立から遊びに来た清香さんも畳をはがしての掃除、頑張ってくれた。みんな、ありがとう。

この家に引っ越して間もない頃、玄関を履き掃除していたら、「この家は魂の家族の集う、みんなの家」という発想が風と共にやってきた。ひーちゃんと相談しながら家のための買い物をし、部屋をアレンジし、よしえさんが台所とお風呂を磨き、殿が障子を張り変え布団を隣家から運びこんでくれて、そこへ5月31日、11人のお客さんを迎えた。泊まれるようにした7部屋それぞれに、布団が敷かれ 合宿所の様相となった。

なんて、いろんな要素のみんなが集ったのだろう。瀬田先生はお連れ合いと、福岡での瞑想会を主催されている北野さんも同行され、気さくだが、どこかハイクラスな感じ。彼らを見送った後になって「意外と心は親しくなれなかった。」とそこはかとない寂しさにへこんでしまったわたしに、先の見える人はクールなのかも、と殿がメールしてくれて見方を変えられた。
 東京からは瀬田先生を慕って、ロックシンガーとベーシストの夫婦も来た。彼女から電話があった時、わたしはとっさに「お泊りはどうなさいますか?知りあいのロッジを紹介しましょうか?」と言ってしまったのだ。彼女の話し方の中に、どこか違和感を感じて、(あまり知らない人は、大変だからロッジを紹介しようかな?)という発想が産まれた。たまたま、その時、東京のお寺に滞在していたので上人さんに、自分の迷いを話すと、あっさりと「選んではいけないよ。先着順で収容可能な人数だけ泊まってもらいなさい。お寺とはそういうものだよ。」と言われた。我が家はお寺ではないけれど、上人さんの言われることは実にごもっとも。
 とても、軽いタッチの若者夫婦の彼らとも、寝泊まりを共有すると親しさも増す。2日目、東京へ帰る頃になって、彼女が話してくれた。「ここへ来たわけがわかりました。」と。深夜に何気なく、よしえちゃんとわたしの話しを聞いて、親の子への無条件の愛を感じたらしい。「わたし、よしえさんか有里さんの子どもに産まれたかった。」と、その時、言ってたな。(それは、実は大変だぞう〜)
 翌日の瞑想の中で、彼女の病気の細胞は彼女に愛を求めている、大切な子どもだと気づき、涙が止まらなかったそうだ。今まで目を向けてあげなくてごめん、悪いお母さんだったね、もう大丈夫だからね、お前のことも愛してるからね、と話しかけたそうだ。今までは元気な細胞頑張れ、病気の細胞をやっつけろ、という思いだったというから、すごい発想の転換だ。手術をせず病気を直すという道を瀬田先生の指導で取り組んでる彼女、心から応援したい。体を病んでるとは思えない、とても素直で明るい、かわいい人でした。
 また、カリフォルニアはエルクバレーで出会った今やミュージシャンの祐介も、たまたま長野ツアーから、我が家へ寄ってくれた。思いがけず一緒に時を過ごせて嬉しかった。
 また、東京から、コンサートの製作などでお世話になってる佐久間さんも来てくれて、瞑想タイムに、こども係りをお願いした。快く引きうけてくださってありがとう。

瀬田先生御一行と隣人たかこを訪ねたり、山室の小さなお宮のお清めとご神事をしたりして、さらに夜、短い個人カウンセリングの中で「生活基盤がないと、崩壊するから、そこをしっかり。」とアドバイスされて、今さらながら、そうか、めんどうでも現実面としっかり向かいあっていかなくてはならないんだな、とリアリティーを感じた。

今回のわたしの留守中に村の草刈がある。おととい、ひとりで先に刈らせてもらい、村へ戻ったら、交替で回っている動物よけの電柵の見まわりのやり方を村のおじいちゃん、おばあちゃんに教えていただく予定。