2003年
3月1日 長野県伊那郡高遠町芝平



2月7日にハワイから成田をへて長野へ。1週間程、芝平の家で休み準備してから16日から四国を6ヵ所コンサートツアーし、こどもたちと3人で昨夜28日 芝平の山の家に帰ってきた。
 四国から屋久島まで足を延ばす計画は 時期を改めることにした。ハワイの海辺ですっかり心洗われて、そしてまた、四国のコンサート受け入れをしてくださった方々との短時間ではあるけれど深い交流から、自分自身の体験や心の痛みへの理解が深まった。彼らから触発されるものもあり、自分なりの暮らしをこどもたちと始める家を、こどもたちの父親の住む芝平から遠くないところに見つけることを急いだ。しばらくは こどもたちは二つの家を行き来することになるだろう。

実は伊那市のインターの近くで車を預かってもらっていた友人の家には25日の夜、到着していた。友人のこどもたちとアマチ、八星があまりに楽しく遊ぶので3泊させてもらった。27日は子ども達を連れて高遠北小学校へ復帰、28日には芝平の山のふもとの山室という部落に友人の紹介で、4年ほど空いていたという築100年の大きな古い家を見せていただき、その場で翌日から借りることにして電気とガスを手配した。水道は廃止になっていて新規で工事してもらうと10万円以上になるとのこと。沢水は来ているけれど台所へは現在繋がっていない。沢水で生活するのは面白そうだけれど自分で繋ぐのは自信ないなあ。どうしよう?
 今夜は芝平に帰ってきているがふもとの部落に自分の家ができたことが あまりに急で実感がない。明日から掃除に行くけれど、わたしって家具もなんにも持ってないんだよね。2階まである大きな家で、合わせたら10部屋くらいある。とりあえず寒いのでストーブはいるしラジカセも欲しい。お〜い(笑)誰か不用品ありますか。あれば、受け取りま〜す。

パートナーとの10年の暮らしの中で受け取ったものは多かったけれど、距離を持ってみると思っていた以上に心がいたんでいた。

それぞれが同じ価値を持つひとつのいのちとして尊重されること、言葉にコントロールや、誠意のないその場限りのもの、裏腹がなく安心して共にいられるということが改めて わたしには大切なことに感じられている。
 けれど この時代においても 夫婦がお互いにお互いの話を冷静に最後まで聞き 違っていても深いところでお互いを理解し尊重しあえるということは稀なのではないかと思う。そういったことは、生活や平和の基本であるけれど学校や会社では 教わらない。オーストラリアで1週間程、滞在した オールタナティブスクール サドベリーではお互いがお互いを尊重する話合いの仕方だけは教え(スタッフもこどもも同等の権利で長時間にわたる話しあいに参加)他のカリキュラムは全て子どもの自主性に任されている。平和ということが現在の地球の大きな課題であるのなら サドベリースクールは実に的を得たやり方をしていると思う。

こどもたちを久しぶりに学校へ送り、ちょうど生活科の体験発表を見学させていただいたが、自分自身の現在の心境やテーマとも重なり考えさせられた。八星の担任の先生は感覚的にこどもというものを理解されているみたいで、個々の個性や心を尊重し、こどもたちが生き生きとしているので嬉しくなる。けれど、学校という枠組みの中で子どもを育てるには 相当意識しないと、どこか個性や心をおき忘れた訓練的な要素が現れてくる。

全校生徒100人弱が集まり、数クラスの発表を聞いての質問「どういうところが良かったですか?」「どういうところが直したらいいですか?」に手をあげて答える子ども達の声は画一的だった「大きな声で言えたところがよかったです。」「もう少しゆっくり言えた方がよかったです。」「○×ちゃんの声ははっきりしていて良かったです。」などなど。

こどもは幼くして知恵深く博士のようだ。答えを急がせ一定の答えを期待しなければものごとの本質に触れ、感じ、知りたがる。意識は突拍子もなく自由かつ散漫であるけれど体験の中でこどもたちの感性は育っていく。わたしはこどもの心がおおらかにたくましく、そして与えられた個性のままに育っていくことを願っている。心と言葉と行為がひとつである誠意のある大人になってくれることを願っている。

わたしの感覚では学校で過ごす時間が、5日では多すぎる。集団の一員としての訓練が行き届いて欲しくないし、カリキュラムのない時間も大切だと感じるのだ。
 
徳島ではフリースクールTOEKの小学校の部に、楽音楽日のイベントプロデューサー万里ちゃんに案内され少しだけ参加し、自己紹介がわりに歌まで歌った。朝、こどもたちは、それぞれがそれぞれの1日の中でしたいことを決め、それ以外に生活に密着したプログラムが用意されていた。したいことのひとつには「ごろごろ」もあった。大人も好きな部屋でゴロゴロするという意味だと思うのだが。その日はうどん打ち。外では幼稚園の部のこどもたちが焚き火で焼きみかんをして、パンツいっちょで寒風をものともせずかけまわってる子もいた。万里ちゃんのこどもは土手で泥だらけになって遊んでいた。

自分のありのままを理解し愛し、自分らしい暮らしを実践し、他者や周囲との穏やかな関わりを築いてゆく長い道のりのはてに 本当の平和があるように思う。いつでも穏やかに本音で向かいあえる関係性をわたしも作っていきたいな。