2003年1月21日 
ハワイ ビッグアイランド



 ハワイはビッグアイランドに、子ども達と3人で初めて訪ね、今日で1週間たつ。今朝はHiloに住む友人Yukoさんの家のベランダで、熱帯の植物の生い茂る庭に、さえずる鳥や虫たちの声に風を感じつつ、家族だけの静かな時間を過ごした。
 きのうまでの3日間は、Yukoさんの子ども達も学校が休みで、島の反対側の暖かな海のコナへ、寝袋に食料、シュノーケルや水着などを用意し、どこへ泊まるかも決めずに大人2人、子ども5人で車で出発した。Kailua-Konaの街で、Yukoさんの友人でマッサージスクールへ通っているという玲子さんの家により、トラックをレンタルさせてもらった。2月6日に島を発つので、前日に車を返し、6日の早朝は空港まで玲子さんに送ってもらえることになり、ほっとした。初めてのHawaiiで知り合いもほとんどいなかったけれど、Yukoさんを通じて徐々につながりができはじめている。今日の午後は、玲子さんに借りた赤いトラックを運転し、地図を見ながら道に迷いつつ、Yukoさんに紹介されたアリシアさんに会いに自宅まで訪ねた。アリシア・ベイ・ローレルの17才の時に著した「地球の上に生きる」は、私も20年くらい前に日本で読んだことがある。彼女は絵を描き、本を著し、そして自作の歌を歌う。マンゴやパパイヤ、ヤシの木やバナナ、コーヒーが美しく茂る庭を案内していただいてから、お互いの話を交換し、また歌を交換した。彼女も歌ったことのあるという近くの教会のディレクターにすぐ電話してくれて、2月2日に私も歌うことになったが、なんといつも北カリフォルニアで歌い手として参加しているポジティブリビングセンターのハワイ支部で、そこのミニスターとも以前カリフォルニアで会ったこともあるという自然な流れだった。
 コナではまずシュノーケルのポイントであるKahalu Bayへ。3時をまわっていたけれど、日がおちる6時すぎまでたっぷり泳いだ。極彩色の魚たちに見とれながら海の世界に溶け込んでゆくと時を忘れる。ハワイの暖かく豊かな波に揺すぶられ波間から地平線を見る。半円形にふくらむ地平線を見た時、「ああ、私は母なる地球の子宮の波間にいるんだなあ」と思った。7才になる八星にも岸辺から離れた深い海に生息する紫色のとりわけ美しい魚を見せたくなって、誘いに行った。サンゴ礁からサンゴ礁へと足場を見つけながら、八星を背中につかまらせて遠くまで泳いだが、水中メガネとシュノーケルに海水が入り込んで私自身がむせてしまった。危険なので浅いところへ。ウミガメや色とりどりの魚たち、豊かな命が自然と私を満たす。夕暮れになる頃、大きい子ども達が黒い岩場の太陽光であたたまったお風呂を見つけた。「1ドルプリーズ」と子ども達は得意そう。服に着替えてからHookena Beachへ車で移動。このビーチに早朝イルカが来ることがあると聞き、2台の車をビーチにとめ、私と八星はトラックの荷台、他の子は2台の車の中に寝袋で眠ることにした。週末で、それなりに賑わう人の声や音も、絶え間なくうち寄せる波の音に溶け平和なねむりにおちた。満月前夜のまるい月の光は、一晩中私たちをてらし、「この島は女神ペレの住まう島‥」と眠る前に思いだし、導きを祈った。
 ふと深夜目を覚ますと、隣に眠る八星が「今ね、マグマの夢をみたんだよ」と不思議な物語を聞かせてくれた。ねむりながら聞いたので、今思い出せないのが残念。
 翌朝、Yukoさんの友人でコナにコーヒー園を営む和音さんがビーチまでコーヒーをポットに入れて届けてくれた。ホーケナビーチは早朝波が荒く、イルカたちは寄ってこなかった。ホナウナウビーチへ移動し、しばらく遊んでから、和音さんの家へランチをよばれる。和音さんのパートナーのアンディとバイオリンとギターのセッションなどして、コーヒー園も見学させていただいてから、この日の宿泊場所と決めたホナウナウビーチへ。

 険しい私道を下りてゆく時、子ども達はトラックの荷台に乗り込んだ。公道ではまずいので、短い私道を、これをチャンスと乗り込んだ。道をまちがえUターンした時、たまたま坂の上に白い馬が現れ、気をとられ立ち上がったアマチが道へ落下した。頭から血をしたたらせるアマチを抱き起こして、そっと傷口を確かめた。それほどのキズではないがどうしたらいいのだろうか? とにかくできることを即座にするしかない。手のひらをあてて、「ママの手のひらで今このキズを治すから、アマチも自分自身で治すんだよ。自分で治ることができるんだよ」と静かに言う。私は注意力散漫の料理中に何度か指を切った。そして深い傷でも即座に手をあてて祈り、そこに光を送ると驚くほど回復が早い。Yukoさんが近くの葉っぱを摘んで手渡してくれて、他の子ども達にも一緒に手をあてるよう声をかけてくれたので、大人2人、子ども4人の手がアマチの頭上にあてられた。手をはずしたとき、血はすでに止まり、その夜アマチは怪我のことを忘れ、ホナウナウの海岸で眠る直前まで走り回っていた。
 アマチがトラックから落ちる直前、私は子ども達5人の動きを観察し、どうしたらいいか考えていた。アマチが2歳半の時生まれた八星を、私はいつも身近においてきた。パートナーがいつも一緒に家にいたので、長男のアマチのことはパートナーにまかせっきりで、いつの間にか私とアマチの間に距離ができた。それが関係しているのか定かではないが、アマチは八星にいじわるをする傾向があり、アマチが仲良くなる友達にその傾向がうつるように私には見える。そんなわけで仲間はずれになって泣く八星をみて、どうしたらいいかと考えていた。
 けれどけがをしたアマチを私のそばにおいて世話をすると、子ども集団の流れもちょっぴり変化したりする。予期せぬ出来事は私自身の心をより冷静に深いところへつれてゆく。楽しいときでも注意をおこたらないこと、そしていつもかたよらずお互いを大切にしてゆくことを胸の中に確認した。

 ホナウナウのビーチで満月の光にアマチと眠った。目覚めたとき、やけに波音が大きい。薄明かりの中、波を眺めると、トラックのすぐ下まで波が打ち寄せていた。あわてて車を移動。雨も降り出し、たまたまホーケナビーチでも一緒だった男性が「あらしになるかもしれないから」と注意してくれた。
また再びコーヒーポットを持って現れた和音さんが、駐車場を管理しているPJを紹介してくれた。
 イルカのことをたずねてみたら、「この海にもよく来るけど、会えなかったらボートを出してあげるよ」と言ってくれた。
 来週はテントを貸してもらってしばらく海の世界に浸ろうかな。
 午後は日本でイルカのことを紹介し、ドリームランドというプロジェクトをハワイで進めている野崎ユリカさんを訪ね、彼女の家や宿泊施設などを見せて頂き、私も歌を歌った。そして島の南端にむかう。伊豆大島に住むまなちゃんに紹介してもらったラシャーニに会うために。彼女はアースソングという女性だけのリトリートセンターを営んでいて、この日は4週間のリトリートのちょうど真ん中の日だった。美しい庭と小さな家々、一番奥がテンプルで、真ん中にたくさんの仏像を置いて、8人の女性が毎日そこでリトリートを受けていた。立ち寄った私をラシャーニがテンプルへ案内し、30分ほど歌を歌うことになった。
期せずして歌った歌が、リトリートの目的である「見えない世界を感じ取る」ということと一致していたため、私の歌にラシャーニが解説を加える。ラシャーニも15年、演奏活動を続けてきた歌手で、彼女のミュージックテープをギフトにいただき、それを聞きながらヒロへ向かう。

 途中、ブラックサンドビーチで泳いだ。やはりこちら側の海は冷たい。子ども達はすぐに砂遊びへと移行した。
 明日、1/22はここヒロの近くの海で一泊のキャンプの予定。あさってはボルケーノに住むユーコさんの友人と食事。その次の日は古代フラを見に行く予定。
 それでは又報告しますね。