2002年9月19日 芝平の小学校




ここ芝平に来て、早3週間が過ぎた。もっともこの間、東京に2回、3〜4日づつ出てるので、実質は2週間だ。先週、この家から車で3〜40分の地区の小学校を訪ねた。この学校にたどり着くまで2つの木造の学校らしきものがあったが既に廃校になっている。
 わたしも、パートナーもコンサートで泊まりで出かけることが多いし、今後は大人は交代で家を空け、こどもたちは自然の豊かな田舎に定住させてあげたいと思っている。日本の各地に、ホームスクーリングのネットワークも育っていて、学校という既成のものばかりではなく、こどもたちが育ってゆく場についてはいろいろな選択があると思うが、人里離れた山の家(ここ芝平の家もそういう環境)で両親のもとだけで育つのもどうかな?とこのごろ疑問を感じるようになった。わたしも今やなにかと忙しく彼らに注ぐエネルギーは手薄になってしまっている。八星もあまちも気の合った友達と遊んでる時の輝きは素晴らしいと思う。彼らの世界が展開してゆけるよう、手を貸してあげたいと心から思う。
 あまちと八星の在籍することになっている学校は高遠北小学校。まず、校長先生と教頭先生、そして1年と4年生の担任の先生とお会いした。八星はすぐ退屈してしまい、校長室のソファーで寝転がって、「つまんない。帰ろう!帰ろう!」を連発。「勉強したくない。学校行かない!」と言う。八星はカリフォルニアで数回、シュタイナー方式の幼稚園へ行っただけ。どんなところか一度行ってごらんというのが、わたしの意見。本人が嫌がれば無理強いはするつもりはないが、わたしも過疎の小学校に通い、そこで得られた経験は貴重で、今でも記憶に鮮やかだ。泳げなかったわたしが水泳部に入り、徹底的に鍛えられたのも小学校。今では泳げるところならどこでも泳ぎたくなるくらい体がその快感を知っている。
 「勉強したくないなら、ここへ来て遊べ。」とにこやかにおっしゃる校長先生と、「まあ、気長にゆっくりやりましょう」との担任の先生の印象が柔らかだったので一安心、4〜5日後、初登校することにした。
 
そして、昨日が初日。わたしは八星のクラスで一日過ごしながら時々あまちのクラスものぞく。朝は、全校性徒87人の前であまち、八星、わたしが次々に短い自己紹介。こどもたちや先生方から感じた印象は屈折がなく柔らか。八星のクラスでは、なにをするにも“八星が心を開いてなじめるように”という担任の先生の配慮が感じられ、こどもたちも素直にそのように心配りをして、次第にうちとけてゆく八星を見ていて、親としては嬉しかった。あまちは既に何度か日本の学校に体験入学していて、おとなしく椅子には座っていたが、見た感じではなにを感じてたかはわからなかった。
 授業が終わって下校の時間までこどもたちはしばらく自由に遊ぶ。下校の時間になるとスクールバスが来て、遠方からのこどもたちはバスに乗り込む。「この自由な時間がいいんですよね。」とおっしゃる担任の先生の言葉にまた、安心した。カリキュラムのない学校、サドベリースクールのことを話てみた。「そんな学校があるんですか?自分自身、なんでも自由にしていいっていう経験がないですからね。そうさせる時はドキドキしながらやってますよ。」素直におっしゃる。これから、こどもたちがどの程度、学校で過ごすことになるかは、まだわからないが、とにかくありのままに子どもたちの成長を見守りながら柔軟にやっていこうと思っている。

 久しぶりの学校は、わたしには新鮮だった。授業も面白かった。先生がこどものことを好きだという気持ちは伝わるし、内容が伝わるように工夫された授業は詰め込みではなく楽しめる。人数も少ないので先生にもゆとりが感じられる。ただ、そもそも日本の一般的な学校は、基本的に提供する情報が多すぎて、細切れになる。そういう時間の流れに 身を委ねると、やっぱり受身な人間に育つ傾向は多いんじゃないかなと思う。なにもない時間の中から自分のやりたいことをみつけるのも大切だ。息切れする前に休ませてあげたいなというのは、わたしの今の素直な思いだ。