2002年3月18日  岡山 奈義町 山の駅コテージ

 




ここは岡山の山の駅という山や田圃の中の公共のコテージ。昨日はここのレストランの2階の眺めのいい研修室で春一番コンサートをした。築山さんという藍染をする女性と4人の仲間の企画力で食事付2500円の60枚の前売りを完売しコンサートの始まる12時半には、お客さんもそろい、休憩をはさんで2時間歌った。
去年、鳥取の智頭町で出会ったなおみちゃんが来てくれて、コンサートの後は一緒に温泉に。彼女は”ずっと会いたかった。去年、出会ってからずっと心の中にいたの。”というありがたい言葉をくれてオーストラリアから戻ったら智頭町に歌いに来て欲しい、と言う。彼女はかねてから計画していた古い民家を改装した喫茶店をもうすぐ開店させようとしている。露天風呂に浸かりながら、わたしもわたしの流れを話すことにした。
わたしは、5月のなかば、オーストラリアから戻ったら基本的にはひとりで動くことを決めている。とりあえず八星と一緒に、双子の妹と共同生活を日本のベースにしようと思っている。八星が望み、状況も許せば、妹の娘と一緒に一時的でもシュタイナースクールに通わせたいなと思う。カリフォルニアと日本、あるいは違う国を行き来していくことは変わらない。和生と今後も、子育てや仕事は協力しあっていく必要はあるが、基本的には独立していく。自分を大切にしたいとこのごろ思う。そこから改めて始めたい。
昨夜、今回ずっと車の運転をしてくれている直人もいる席で、わたしは和生と話し合った。このツアーの間、こどもたちに気が行き届いてない気がしてしかたない。和生がそのパートを主体的に担う、とわたしは了解した上で、家族でのツアーをオーガナイズしている。和生は自分の言ったことを忘れたのかな、と改めて切り出した。言葉は噛み合わず、お互いの言うことを聞けない話し合いになってしまったが、話をしないでお互いに不満を隠しているより、話し合った方がずっといい。
今朝、わたしがヘンプとビーズで販売用アクセサリーを作っている間、和生は自主的にこどもたちを散歩に連れ出した。そしてわたしは、この旅の間にあまちに読んであげる物語をどれにしようかと移動中の車の中で考えているところだ。