2001年12月19日   クリスマスがちかづいて


クリスマスが近付いてきた。今年は日本から帰ってきたばかりでなかなかそちらに気
がまわらなかった。でも、あまちも八星も指折りかぞえてサンタさんの来るのを待っ
てるから親としてはやるっきゃない、先週、UKIAHの友人の車に乗せてもらってリッ
チモンドにあるヨガナンダのアシュラムで行われたクリスマスの冥想会に初参加しに
遠出した時、バークレーの町に寄ってプレゼントを用意できた。行きの車の中で、こ
どもたちにプレゼントを用意することへのためらいを友人に話した。話してみて、た
めらいはふっきれた。

彼らはサンタさんが運んできてくれるプレゼントを心待ちにしている。アメリカでは
通常こどもたちは知人からいただく山のようなプレゼントをクリスマスツリーの下に
並べ、クリスマスイブ、サンタさんのプレゼントが加わるのを待って、翌朝全部のプ
レゼントの包装をあける。わたしも例年、あまちや八星が喜ぶ顔を喜びとして、でき
る範囲でいろいろ用意してきていた。でも、物質的に満たされ幸せになれるのは一瞬
のことだから、物にあふれた日本を廻った後はなおさら、ためらいを感じていた。け
れど、友人と話しをしてみて、物質的に満たされ喜ぶ経験も、彼らの感性を満たして
ゆくことには変わらないのではないか、と思えてきた。欲しいものが自分でわかり、
それをイメージするとサンタさんが運んできてくれて自分のものになり、それを使っ
て遊べる、それは、わたしにはできなかった経験だ。(わたしたちはこどもたちの希
望をそれとなく事前に調査している)こどもたちの未来が、自由な選択を許されてい
ることを感じられる時代の側面をわたしはうらやましいとも思う。わたしたちの未来
も今も、わたしたちの心のありようにかかっているのだから、どこに心をむけるか、
それを心がけてゆけばいい。そのことをを心掛けてこどもを見守ってゆきたいと思え
た。また、わたしたちの家はまわりにはお店も家もない広大な山の一軒家。そんなと
ころにまでサンタさんが雪ぞりにのってやってくるなんて、なんてロマンチックなん
だろう。こどもたちは、今年もイブの夜、眠れないだろうな。”今年こそサンタさん
を見てやる!”と言ってる。我が家のサンタであるわたしも”今年はどんな風にサン
タさんやってくるのかなあ。”とこどもと一緒に想像の羽を広げている。
 
冥想会はヨガナンダのアシュラムで行われた。ヨガナンダはインドの聖者で戦前にア
メリカにヨガを教えにきた。ヒンズー教の僧侶でありながらキリスト教の神髄を説い
たということでアメリカ人にも今も広く知られている。わたしは去年ヨガナンダの自
伝を読んで感銘をうけた。日本をコンサートで動き回って、瞬間に自分のスケジュー
ルを決めることを覚えたから、友人から話しを聞いた時”冥想会にいってみよう!”
とすぐ決められた。静かなアシュラムに着いたのは昼過ぎ。300人くらいの人々が
椅子に座って冥想していた。
 
わたしは、山に暮らすようになってから自己流でひとりで冥想を始めた。家族だけの
生活は、パートナーシップが上手く行かないと辛くなる。冥想はわたしにとって唯一
の解決への扉だった。自分の心のありようが変わると不思議と相手も変わることを体
験上知った。

日本で密度の濃い日々を過ごしたせいか、アメリカに帰っても人と密に繋がっていく
感じがする。6時間ちかく多くの人々と一緒に冥想して心がいつもより平和だった。
友人宅へ戻る前、ナチュラルフードの店に寄った。レジが混んでいて、いつもなら待
たせている友人を思うとイライラしてしまうはずなのに心が波だたない。不思議だっ
た。今は山に帰ってきて、自分が山のくらしを改めてどう作ってゆけるかイメージし
ている。これは、わたしが作っている現実なのだという自覚が不思議と産まれてきて
いる。

また、このところ、日本でいただいたCDをいろいろと聞いている。中には歌ってみた
くなる歌もある。京都で会った年若い兄弟の歌など。以前は山では静けさ、なにも音
楽を流さないのが好きだった。日本では忙しすぎてCDや本に目を通せる余裕もなかっ
た。今、人の気配のないアメリカの山にいる間も、わたしは、あいかわらず忙しいが
音楽も聞き、本も読んでいる。なにごとも集中でき、心に深く入ってくるのはやはり
この場所ならではの味わいだと思う。