2001年12月10日   


 カリフォルニアの山の我が家に3日前、4ヶ月振りでようやく帰ってきた。犬たち
3匹は車の音を聞き付けて、ゲートのあるところまで迎えにきてくれた。彼らは町を
知らず、山の中で繋がれず自由に走りまわって一日を過ごす。わたしたちの不在の間
もそのようにしてわたしたちを待ってくれていたのだろう。山の隣人のけいこ&tomas
や、友人たちが交代で彼らを世話してくださった。彼らが元気でいてくれて良かった
!彼らの目は無垢で、我先にと身体を擦りよせてくる時、山の草原のにおいがした。
家ではネコのミントが大きくなっていて、どっしりと落ち着いていて和生を驚かせた
。残念ながら3羽の鶏はもういなかった。鳥小屋を開け放して、草を自由に食べれる
ようにしてあったのだが、山の動物の餌食になったのかあるいは、番犬役の犬達への
監督がゆきとどかなかったため、つい手をだしてしまったのか、今となってはよくわ
からない。数カ月前までは三羽で仲良く草はらで憩っていた、と友人の話しだ。
 
サンフランシスコ空港から車で北へ4時間ほどして、山のふもとのUppre Lakeに着く
頃には、田舎で道路を走る車も少なく町といっても、人もまばらになるが、わたした
ちの家はそこからさらに一時間弱、鋪装されてない山道を車で走る。あまちと八星が
山道の途中で“なんでこんなに遠くに住んでるの?この辺でもいいじゃん”と言い出
したが、確かにそうだなあと思う。人の住まない山道が延々と続いているのだから。
でもわたしたちはELUK VALLYに縁があったのだろう。有史以来、人が住んでいなか
ったというわたしたちのすむ家の周辺は、飛行機や、むこうの山の谷あいにやってく
るマウンテンバイクの音が時折する以外、人工的な音がない。そして人の想念がない。
あるのは山の静けさと平和。その静けさと自然の織り成すバランスに家族ですっぽ
りと包まれてしまう。わたしたちはこの山に着くと自分たち独自のリズムに身をゆだ
ねることができる。しっかり数えていないと曜日まで間違えてしまう。一昨日、こど
もたちと散歩していて小川のせせらぎを見てドキッとした。たくさんの小石をの間を
流れる水は太陽にきらめいて、そのまま飲みたくなるくらいきれいなのだ。そういえ
ばいつだったか、こどもたちと一緒に飲んだこともあったな。”咽が乾いた”という
こどもの言葉に、この川の水を飲むことが自然に思えた。日本でこんなきれいな川を
わたしは見なかった。また、冷たい風に吹きさらされながら山道を歩くと、いつのま
にか身体も心も透き通る。水と同じように、この山の空気は清らかなのだろう。身体
はその清らかさに反応して、いつのまにやら清まってゆく気がするのだ。

屋久島に住んでいらした詩人の三省さんが家族にあてて残された遺言“日本のどこの
川の水も屋久島の水のように飲めるようにしてほしい”を思い出した。そんなことが
できたらどんなに素晴らしいだろうか。どこに住んでもこんなに気持ちよく過ごせる
世界があると想像したら。そう、わたしはこんなに気持ちよく住める場所を他にはま
だ知らない。それが、ここに住み続けている理由なのだ。
 
しかし今回、わたしたちはまっすぐに山に帰って来なかった。サンノセとペタルマで
歌った後、友人の住んでいるRED WOOD VALLYに数日泊めていただいて、英語のクラス
を探した。アメリカでも日本と同じくらい自由にネットワークを作りたい。それには
もう少し英語を勉強しなきゃあ。日本では短い間に手ごたえのある出会いがたくさん
あった。そのようにアメリカ人ともつきあいを深めたいという思いが湧き出てきた。
山に帰ると、家族の生活、日本語の世界だ。というわけで、ukiahのアダルトスクー
ルに初めて二日通い、メキシコ人、中国人と友だちになった。3回めのクラスに参加
した時、わたしに合うクラスはどこか別にあるな、と直感した。英語会話が目的では
なく私本来の興味を満たす内容の方がわたしには合っている。日本からやってきてい
る二人の友だちが二ヶ月滞在する部屋を探したいという相談もあり、時々歌いに行っ
ているUkiahのSience Of Mindという教会のミニスターの夫婦と会う約束をとった。
この二人はわたしにとってはお母さんとお父さんみたいな存在だ。その晩、わたしは
その教会でCandiceの教えるtreatmentのクラスに初めて参加することになった。参
加者はわたしを含めて五人。Candiceの講議は愛にあふれ、そして智恵深かった。内
容は、自分の人生をいかに自分本来の心と同調させていくかということなど。英語は
とてもハイレベルで、時折、デスカッションもある。わたしはこの週1回のクラスに
参加することを決めた。週1回のクラスだけれど、あまちの学校と同じペースでゆっ
くりホームスクーリングしていこう。また、晋平くんたちは日曜日、この教会のみん
なに家探しのアナウンスメントをさせてもらうことになった。各々に目的が遂げられ
ますように。