天然自然の露天風呂


大人も子どももゆったりくつろぎ遊べる天然の温泉が、わが家から30分程のところにある。下の子が2才半の頃、突然、人を受け付けなくなり、私達はそこで家族だけの静かな休日を過ごした。以来、そこは私達のいこいの場所。自分の求めているものが、あんがい足下にあることに気づいたりなんかする。


 山の草原にある我が家から、車で山道を三〇分弱、車を降りて、澄みきった川の流れ沿いに小道を歩くと、イオウの匂いとともに、大小三つ、岸壁の露天風呂が見えてくる。川の流れは、温泉の脇でいったんたまり、直径一〇m程のプールになっている。ここが、私たち家族の憩いの場だ。私有地らしい印は、ひとつもないが、五〇人の地主の共同の土地だという。無料で、一般に開放され続け、建物ひとつない天然自然のこの温泉は、これ以上ないほど、美の均衝が整っていると思う。
 温泉に行く日は、朝からお弁当づくりだ。仕事のことは忘れて、とにかく出かける。週に一度と、足繁くここへ通うようになったのは、ここ二〜三年のこと。一日を親子で楽しみ、お湯と水に癒されることで、どれほど、日常をリフレッシュし、家族の絆を深めるかに気づいてからだ。 山の自宅では、やりたい事に追われがち。駆け足で家事を済ませ、昼ごはんまで用意してから、私も連れあいも、各々の仕事にとりかかる。以前は、交替で、一人が、子どもと家事の専任だったが、この頃は、子どもたちも、兄弟二人でよく遊ぶようになった。薪ひろい、畑、家の修繕、草木染、衣類のリフォーム、麻紐のクラフトや、バイオリンと歌の練習、歌作り、CDのレコーディングや編集等々やりたい事は限りない。区切りのつく方が、昼食やら、お風呂やら、子どもたちの要望に応えながら、進めていく。
 週末は、街へ降りて、自作の歌を歌う。この時いただく謝礼や、自作のテープやCD、クラフトの売り上げは、私たちの大事な収入源だ。ふところ具合に応じて、一週間分の山の暮らしに必要な買いものをする。以前は、山で手洗いしていた洗たくも、この一年は、街へ出た時、ランドリーで済ませている。お湯の中、八星(はつせい)(第二子)は、私の膝の上で遊ぶ。天地(あまち)(第一子)は、歓声をあげて、冷たい水で泳ぐ。天地に誘われて、私も八星も、水の中へ。澄みきった冷たい水は、意識をクリアにしてくれる。そしてお湯に浮かぶと、母親の子宮へ帰ったかのようだ。平日だと、家族だけのことも多く、水着を着ることは少ない。来る人たちも、ごく自然に裸で、お湯に入り、水とたわむれる。太っている人も、やせている人も、自然の中では、みなそのままで美しいと思う。しんからリラックスして「さあ帰ろうか」と声をかけあう頃は、もう夕暮れ。
 日常を駈けぬけ、温泉でひとごこちつく。不必要なことは、意識からふるい落とされ、軽やかな新しい日常が、また始まってゆく。
(カリフォルニア・エルクバレー在住)
  
 カリフォルニア北部の山間部で、お連れ合いと二人の子どもとともに暮らす吉本ゆりさん。おだやかな風が吹き、光が満ちる自然のどまん中での日常がつづられる。



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