秘密結社ヴリルとナチスUFOの謎

(その一)


 なぜ今、ナチスや古き良き空飛ぶ円盤―アダムスキー型UFOの問題を取り上げるのか。それは、一般のメディアや有識者らには軽視、あるいは無視されているナチスのオカルト的側面を再検証することの重要性と、まだ未知の部分が多い当時としては驚異的なナチスの科学テクノロジーにこそ、後世のUFO問題の布石となったものが存在していることが、最近、あらためて確認されてきたからである。
 ナチス・ドイツが秘かに開発を進めていた空飛ぶ円盤の試作機とテクノロジーは、第2次大戦後に秘密裏にアメリカ軍に受け継がれ、アメリカ軍が極秘で開発を進める地球製UFOの原型となっていた。アメリカに移送されたナチスUFOは、アダムスキーをはじめとするUFOコンタクト事件の演出―情報工作にも度々使われた。
 アダムスキー型UFOの正体は、ナチスUFOの試作機だったのである。アダムスキーは確かに砂漠に着陸したUFOと、金星人と称する宇宙人にも遭遇した。だが、それは金星から飛来したUFOでも金星人でもなかった。
 ナチスUFOの存在については、1990年代に矢追純一氏が調査・報告していたが、最近、飛鳥昭雄氏の独自の情報と併せて、さらにその確証が高まった。

 重大なのは戦後、ナチスのテクノロジーと科学者、さらには軍人も含めて、その多くが“ペーパークリップ作戦”と称して、アメリカに移送、移植されたことだ。その中には、ロケット技術やナチスUFOの鍵を握る人物だけでなく、常識的には絶対にありえない人物―ヒトラーその人と、ナチスがチベットの地下洞窟から連れてきたモンゴロイドの2人の女霊媒師が含まれていたという。超寿命のその2人の女霊媒師は、その後もずっと、現在に至るまでペンタゴン(アメリカ国防総省)の深地下に匿われていて、闇の力を呼び出す魔術を執り行っている―。
 これは飛鳥氏独自の情報だが、一般には想像を超えたトンデモ話としか聞こえないかもしれない。ヒトラー生存説は、都市伝説として以前から繰り返し語られてきたが、近年、そのことの傍証となる新事実が発見された。
 今回、紹介するのは、その生存説の極めつけ、これまで誰も考えつかなかった展開である。私が敢えて取り上げるのは、その忌まわしくも戦慄するような現実は、大いにありうると認めるからである。ヒトラーの狂気のナチス・ドイツは滅びても、その命脈は名を変えてアメリカという軍事帝国の中に受け継がれ、現在もナチスは世界に力を及ぼし続けている―。

ナチスの秘密結社「ヴリル協会」

 「緑龍会」―。戦前の京都に存在した秘密結社である。緑龍会は政治的秘密結社で、日独を裏で結び付け、日独防共協定や三国同盟を結ばせた謎の組織だ。その中の何人かは戦前のドイツに渡り、ナチス設立に関与したという話もある。ちなみに京都という街は、五行五色の配置で、中央の平安京を黄(黄金)とし、北の黒を玄武、南の赤を朱雀、東の青を青龍、西の白を白虎に配して四神相応とした。だから戦前の京都では北に黒龍会が置かれ、ナチスと関わる緑龍会が東に置かれた。日本では緑を青と表現する。
 一方、ナチスのハーケンクロイツは鉤十字と呼ばれるように、中心を囲む四方支配の呪術だったが、緑龍会が卍を神道の鏡像反転で逆卍にし、ナチスのシンボルにさせたとされる。

 1871年、イギリスのエドワード・ブルワー・リットンは、地球内部に存在する超文明を記した小説『来るべき種族』を著した。後に彼の孫がリットン調査団を率いて満州に入り、日本を国際連盟から脱退させるきっかけを作るが、祖父であるリットン自身もナチス創設のきっかけを作ることになる。その小説『来るべき種族』では、地下世界にヴリル・ヤという超人たちが存在し、彼らはヴリルという謎の超エネルギーを使いこなすということが語られていた。
 その教えをヒムラーをはじめとするナチス幹部に徹底的に教えたのが「ヴリル協会」である。1918年、ドイツのバイエルン州ヘチスガーデンで秘密裏にヴリル協会が設立された。そのヴリル協会を設立したのが、ドイツ人の地政学者カール・ハウスホーファーだった。この秘密組織はやがて、ナチス創設者に多大な影響を与えていく。
 ナチス最高幹部のヘルマン・ゲーリング、ルドルフ・ヘス、アルフレート・ローゼンベルク、マルティン・ボルマンらは正式会員であり、ヒトラー自身もヴリル協会のメンバーとなる。
 ハウスホーファーが、日本の駐在武官だった頃、緑龍会と接触し、神道に隠された多くの奥義に触れ、ドイツに戻った後、ヴリル協会を設立して日独接近を画策した。現にその成果により、日本政府は勲二等瑞宝章を彼に与えている。ハウスホーファーはヒトラーの政治顧問を務め、ナチスは地底世界シャンバラの出入口を探索するため、チベットへ親衛隊(SS)を派遣していた。彼らは、そこで地底世界に通じるペンタゴン(五角形)ピラミッドを発見し、その周辺の洞窟に住むモンゴロイドを見つけ出したという。
 ヴリル協会を生んだ『来るべき種族』は、現代では夢物語か古典的SF小説の類とされている。だが、はたしてそれだけなのか。そもそもリットン自身は近代フリーメーソン、スコティッシュ・ライトのグランドマスターだった。当然、彼は古代から伝わる秘密の知識に触れる機会があったことになる。

「シャンバラ」は、釈迦が予言した理想世界で、1000年の寿命を持つ人々が平和に住む楽園とされている。チベットのサンボ渓谷にその出入口があるとされ、ロシアの芸術家・探検家のニコライ・レーリッヒがシャンバラ・シンボルの撮影に成功している。
 そのシンボルと同じものが出雲大社の心御柱跡で、南朝系の天皇を匿い続けた毛利家の家紋にも見ることができる。シャンバラ・シンボルは、世界中を騒がせたアダムスキー型円盤の底部にある3つの球形ギア配置と酷似する。聖人たちの王国シャンバラは、ヒトラーが追い求めたヴリル・ヤの王国でもあった。

 ドイツ人探検家テオドール・イリオンは、チベットのサンボ渓谷から地下に入ったと記しているが、そこで彼は無表情な顔の女に導かれ、100人ほどの堕天使のような人間たちと遭遇した時、そこがシャンバラではないと気づき、逃げ出したとある。
 そこからシャングリラの伝説が生まれたわけだが、その容姿はチベット人とそっくりで、彼らは後にチベット人としてベルリンに渡っているのだ。
 当時、アメリカもソ連も中国も、秘密裏に地底世界シャンバラを探索していた。特にアメリカは、ニコライ・レーリッヒによって、チベット奥地にあるペンタゴン・ピラミッドの存在を知っていた。しかし、すでに近くの地下施設の中はもぬけの空で、住民はドイツに送られた後だった。

ヒトラー生存説

 ヒトラー生存説は、戦後70年近く経った現在でも、未だに根強く囁かれ続けている。
 終戦のどさくさに紛れて、54隻のUボートとナチス親衛隊技術部門の6000人を超える技師・科学者、さらには4万人の強制労働者と数十万人のドイツ国民が「行方不明」になったという情報もある。肝心のヒトラーにしても、最近になって、自殺したとされる彼の遺体が科学的な鑑定の結果、全くの別人だったという話も出てきている。ヒトラー生存(逃亡)説は、あながち荒唐無稽な都市伝説とも言えないのである。では、ヒトラーは、生存していたのか。仮にそうだとしたら、どこへ消えて(隠れて)しまったのだろうか。

 1945年4月30日、ドイツ・ベルリンの総統府地下室に愛人のエヴァ・ブラウンと共に籠もったヒトラーは、自ら頭に銃口を向け、命を絶った。これが世界史の「常識」とされるヒトラーの最後だ。ところが―2009年9月29日、その「常識」が覆るという、とんでもないニュースがAFPから世界に発信された。これまでヒトラーの遺骸とされてきた頭蓋骨のサンプルをDNA分析にかけたところ、20〜40歳代の女性のものであることが判明したというのである。
―「ナチス・ドイツの総統、アドルフ・ヒトラーのものとこれまで考えられてきた頭蓋骨の一部が、実は女性のものだったことが、米コネチカット大学の調査の結果、明らかになった。この頭蓋骨には銃弾による穴が開いており、ヒトラーはソ連軍がベルリンに侵攻した1945年4月に、地下濠で銃と青酸カリを使って自殺したという説を支えていた。
 2000年に初めてロシア政府の公文書館で公開されたこの頭蓋骨は、当時ソ連軍が掘り起こしたという顎骨と共に〈戦利品〉として、ソ連軍が持ち帰ったとされている。顎骨の方は、ヒトラーを診ていた歯科助手が本人のものと確認した。しかし、今回のコネチカット大学の調査で、頭蓋骨は20〜40歳代の女性のものという結果が出た―」

 なお同年12月8日には、このコネチカット大学のDNA鑑定に対して、ロシアの国家情報局が次のように反論している。ロシアが1945年5月5日に押収した顎の骨の鑑定結果では、間違いなくヒトラー自身のものという結果が出ている―と。
 確かにアメリカが鑑定したのは頭蓋骨であり、顎の骨ではない。だが、その頭蓋骨には間違いなく銃弾によるものと思しき穴が開いているのだ。頭蓋骨と顎が別の人間の骨だとしたら、拳銃で自殺したのは誰なのか。それ以前にヒトラーの死は、公に確認されたものだったのか。
 ヒトラーの死にはその直後から多くの疑問がつきまとっていた。ドイツを占領したアメリカ・イギリス軍の諜報部が、戦後何年にも渡ってヒトラーを捜していたという記録もある。もしも彼の死が公的に確認されたものだったら、このようなことが起こるはずがない。そこには絶対に、深い闇と謎が隠されているはずなのだ。

ヒトラー最期の顛末

 ソ連軍がベルリン市内に迫りつつあった1945年4月22日、ナチス幹部による作戦会議の席でヒトラーは、「この戦争は負けだ」と語った。それほどまでに敗色濃厚となっていた。あらためて自分の時代の終わりを認識したヒトラーは、その夜、口述筆記で2通の遺書をしたためる。1通は自分亡き後のドイツおよびナチス高官の指名であり、もう1通は個人的な遺書で、愛人エヴァとの結婚と自殺後の死体の焼却を願う内容だった。
 日付が変わった4月30日、ヒトラーは愛人のエヴァと、2人だけの結婚式を挙げる。
 すでに死を覚悟した2人だったが、拳銃自殺で体が傷つくのを嫌がったエヴァのために毒薬(青酸カリ)を用意。やがて2人で自室に籠もると、室内から銃声が響き、側近たちがドアを開けると、そこには2人の遺体が転がっていた。エヴァは毒薬を飲み、ヒトラーは自らの頭を銃弾で撃ち抜いていたとされる。
 その後、遺言通りに2人の遺体には140リットルものガソリンがかけられ、激しく燃やされた。それは、ほとんど原形をとどめないほどだったとされる。
 この遺体は、ソ連軍によって回収されたが、あまりにも損傷が激しく、誰もヒトラーの顔を確認することはできなかった。にもかかわらず、すぐに遺体はヒトラーのものであると発表されたのだ。しかも肝心の遺体は、ソ連軍によってどこかへ持ち去られてしまったのだ。

 以上が歴史として語られるヒトラー最期の様子だが、内容的には大いに疑問が残る。
 まずヒトラーの最期を目撃したのは側近たちだけであり、基本的には彼らの証言だけで成り立っているいるということ。そしてその彼らが、即座に遺体を、それも徹底的に焼き尽くしてしまったこと。そしてソ連軍も、この遺体を回収すると、ろくに検証もしないでヒトラーのものと断定し、そそくさと運び出してしまっているのだ。あまりにも手際が良すぎる印象さえ受ける。

 実は当時のCIC(アメリカ陸軍情報局)の調査によると、ヒトラーの遺体を焼いたという穴に焼却痕は全くなく、自殺したという部屋にあった血痕も、ヒトラーや愛人のエヴァとは違う血液型であり、銃弾痕もなかった。それどころかエヴァ・ブラウンの遺体すら発見されていないと、正式に報告していた。そして当時の結論として、ヒトラーが生存している可能性が高いとしたのだ。

ヒトラーはどこへ逃げたのか

 ヒトラーが生存(逃亡)していたとしよう。そうすると、彼はどこへ向かったのか。
 南米のアルゼンチン、南極の秘密基地、地底世界シャンバラ。これらが主に巷間で語られてきたヒトラーの逃亡先である。ここに一つの重要な証言がある。「20世紀最大のスパイ」と呼ばれ、様々な歴史的事件の目撃者として知られるアンヘル・ベラスコ。そのベラスコに複数回取材し、様々な情報を受け取ったジャーナリストの高橋五郎氏が、この件について詳細なレポートを行っている。
 ベラスコによれば、ヒトラー一行はソ連軍が迫りつつあるベルリンをどうにか脱出し、バイエルンにある天然要塞ロタック・アム・エルヘンに身を隠した。そしてその後、国外脱出を試みる。
 高橋氏は言う。「総統はノルウェーのUボート基地へ向かったという話をベラスコに語ったのは、ナチス副総統のマルティン・ボルマンです。戦後になってベラスコとボルマンは同じUボートに乗って南米へ渡っているんです。イベリア半島の寒村からアルゼンチンの小さな港まで、18日にも及ぶ極秘の航海を2人は共にしました」
 やがてボルマンはベラスコに、ソ連軍がベルリンを包囲する手前でベルリンを脱出したヒトラーと側近たちは、バイエルンに潜伏後、ノルウェーのUボート基地へ移動し、そこから潜水艦に乗っていずこかへ去ったと語ったというのである。

 もし、この証言が事実なら、歴史で伝えられるヒトラーの最期とは、実は「影武者の最期」だったことになる。と同時に、ヒトラー生存説を裏付ける重要な証言の一つともなる。ベラスコによれば、ヒトラーはUボートでノルウェーの港を離れ、18日間かけて南米に渡ったとされる。そして後年、ひょんなことから南極のナチスの秘密基地へ連れていかれたベラスコは、そこで「生きていたヒトラー」と再会を果たしている。ヒトラーはこの時、すでに以前の壮観なイメージとはかけ離れた姿をしていたという。
 しかし、これらの「証言」をもって、逃亡したヒトラーは南極に到達したと決定づけるのは、もちろん早計だ。当時のドイツの最新鋭の潜水艦とはいえ、ノルウェーから南米、さらに南極まで航行が簡単に成功するとは考えにくい。しかも氷床の下の海底を航行しなければならない南極の海では、その潜水能力の数倍の深さを航行しなければならないのだ。

 そもそもベラスコの証言を、そのまま信じるのは問題がある。それはあえて嘘を言っているのではないか、情報攪乱のための作り話ではないかと疑ってみるべきだ。南極の秘密基地とか、そこから通じる地底世界などといった話が示唆されることで、一般の常識ではありえないトンデモ話のように思わせる。そんな含みがあるようにも見えてくる。

 ベラスコとは何者か。どこのスパイかということになると、表向きにはドイツの「アブヴァーデ」、国際情報局。ナチスのSS―親衛隊の情報局にも所属していた。そして一方で日本の外務省が作った「TO機関」(東機関)との契約があった。しかしてその正体は―ベラスコはバチカンのスパイだった。つまり、日独伊の枢軸国と英米など連合国の双方を監視する“第三極”の立場だった。バチカンというのは、カトリック教会を操るイエズス会のことだ。このイエズス会を使う“本部”の命令で、ベラスコは色々なところに出向していた。
 ベラスコを動かしていた“本部”を、便宜的に寡頭勢力と呼んでおくが、このベラスコの立場を見れば、従来の戦争の概念を一旦ガラガラポンにしないと意味は分からない。
 連合国と枢軸国が戦ったとか、日本がアメリカと戦争して敗けたとかいうのは、あくまで将棋盤の二次元の世界であって、実際に駒を動かしているのは各国政府の上部にいる寡頭勢力だった。その勢力のためにベラスコは働いていた。

 ヒトラーの逃亡先についてのベラスコの証言も、注意が必要である。その中には一部に真実が含まれているとしても、う呑みにするべきではない。当然、ヒトラーには影武者が何人もいた。後年、彼が南極の秘密基地で会ったという老残のヒトラーにしても、本物だったかどうかは確証はない。
 ベラスコの証言は別にしても、ヒトラー生存の可能性は消えていない。では、ヒトラーはどこへ逃亡、あるいは匿われたのか。南米でも南極でもない。ましてや地底世界シャンバラでもない。それはこれまで誰も、ありえないこととして想定されたこともなかった場所―国だった―。

 

*画像は学研「ムー」より転載



 

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