〜詩 篇〜   アルツハイマー・エイジ


 

 いつも首の後ろのあたりが、引っ張られるようにだるい

 耳も遠くなり、目もかすんで、よくモノが見えない

 小便がしたくなり、ようやく立ち上がって、よろよろと歩き始めても

 トイレに着くまでに間に合わず、小便が洩れ出て、パンツやズボンまで濡らしてしまう

 モノを食べても、ご飯もパンも口からポロポロと零れて、うまく呑み込むことができない

 ハッと気づくと、日中俺はこの家に一人でいる

 思い出して、「兄ちゃん」と呼んでみても、返事はない

 みんな、どこへ行ってしまったのだろう

 時々、ここがどこだか分からなくなり、たまらなく不安になる

 兄ちゃんは、いつも世話と介護をしてくれるのは有り難いが、いつもせきたてるように大声を出す

 そうガミガミ言われても、そうすぐには動けないし、言葉が出てこない

 ああ、もどかしい、情けない どうして俺はこんなことになってしまったのだろうか

 

              *

 

 脳が萎縮するアルツハイマー型の認知症と診断され

 周りがお膳立てするままに、週一回のデイケアに愛用の杖を持って、よちよち歩きで参加していた親父

 冬まだ明けぬ2月の末、最後の力を振り絞ったようなその日の夜を境に、寝床から立てなくなり、意識は朦朧となり、翌朝、救急車を呼んで、月寒の「しらかば台病院」へ入院した

 応急処置に続いて、集中的な点滴治療が開始された

 慢性的な脱水症状と栄養不足が悪化し、意識障害を起こしていた

 それが一気に堰を切ったように決壊した

 

 その日まで、食事がちゃんと摂れない、トイレに立てない

 自分のフトンが敷けない、下着の着替えがうまくできないという親父を

 同居する僕は、日々、一つ一つ介助し、手や背中をさすり

 励ます声をかけ続け

 それだけでなく、ついカッとなって大きな声を出し、残酷な言葉が次々と口をついて出てきた

 何度後悔し、戒めても、その繰り返しだった

 父と息子は、まるで何かに挑むように格闘しているようで、このままでは共倒れになってしまいそうな一線まできていた

 

 しばらく前から、他人には見えない人が見えたり、その声が聞こえたり 自分が自分でなくなっていくような、大切な何かを忘れていくような未知の不安と恐怖に

 夜中に起き出した親父は、必死の目をして「俺を助けてくれ」と、何度も訴えた

 そうして、俺のふとんに知らない誰かが寝ている だから、そこで寝られないんだと言ってきかない

 夜間に、ここがどこだか、自分は何をしているのか、分からなくなって、「兄ちゃーん」と、僕を何度も呼んで「寂しい、寒い」と、添い寝を願った

 フトンに入って一緒に寝てやると、子どものようにすがりついてくる

 以前は70キロ台はあった、そのふっくらした大きな体は、すっかり筋肉が落ちて、小さくなっていた

 その手指は、びっくりするほど冷たかった

 僕にできることは、その手や背中をさすり、頭を撫で、耳元で言い聞かせるように「心身清浄 々 々…」と囁き、宇宙の気を送ることだけだった

 

 そのうちに、テーブルの食器を片づけたり、自分でお粥を作ったり、二階への階段を昇り降りしたり、神棚の前で『真詞』を詠んだりと、これまで何とかこなしてきた日常の動作もおぼつかなくなり

 テレビや新聞にも目が向かなくなり

 座っていると首が凝るからと、日がな一日、ストーブの側で横になってうつらうつらしているか

 そうでなければ、正座してうつむいて、うろんな目で床を見つめ、ずっと黙りこんでいるか、ブツブツと聞き取れない言葉を呟いている

 その瞼はむくんだように腫れて、口元からは絶えず粘液状の雫のような涎を垂らしながら

(親父が壊れていくみたいだ…)

 そんな親父に一つ一つ根気よく語りかけても、口元に耳を寄せ、何度訊き直しても、お互いに言葉と意思を伝え合うのは至難だった

それが悲しくて、そんな姿の親父を見ているだけで泣きたくなった

 

              *

 

 戦中、戦後、昭和と平成を生き抜いてきた齢92歳の親父

 平成9年(1997)の最愛の妻の他界を始まりに、兄弟、親戚、親しい友人、知人の多くに既に先立たれ、何人もの身内を直に看取ってきた我が父

 妻に先立たれてからも、この十数年、大腸ポリープを皮切りに、目眩、狭心症、右膝関節の手術、脊柱側弯狭窄症、脱腸の手術等々と、それなりの老化に伴う症状を得て、何度も入院した

 それもせいぜい一週間か10日が最長

 今回のようにベッドから降りて歩けない、ずっとおむつをしたままという事態はありえなかったことで、入院期間も一ヵ月に及んだ

 

 老人介護保健施設『元気の出る里』 我が家からクルマで10分、今はそこが親父の仮の住処

 ベッドから車椅子へ、同じくそこへ吹き寄せられた“仲間”の老人たちの集まりの場に“施設デビュー”

 寝たきりから衣服を着て体を起こした生活へ、在宅生活への復帰を目指して、療養とリハビリに入った

 どんなに手厚い介護をしてくれる環境であっても、親父を一人そこに置いて、帰ってこなければならないことが侘しく、悲しい

 認知の症状があろうと構わない でも、我が家にはベッドも車椅子もなく、僕の留守中、世話をしてくれる人もいない

 

 一ヵ月の入院生活で筋肉は落ち、足腰は暫し立てなくなったとはいえ

 瞼の腫れも引き、涎の垂れるのも止まり、その顔色も目もすっきりとして、その姿は、一皮剥けて死地をくぐり抜けてきた人のようだった

 頬がこけて、小さく縮こまって車椅子に座る親父は

 お互いそこに在って、お互いを見ていない、各々が各々の世界に沈潜している同胞の中に置かれて、その目は何を見、何を想うのだろうか

 面会の度に、顔を寄せて話を聞いてやると、時々、フッと力が抜けたような不思議な笑みを見せる親父

 どんな環境に置かれても、けっして怒らず、逆らわず、泰然とした受容と忍耐を見せる そう、今回も

 

 あの恰幅のよかったふくよかな体が、見違えるほど痩せても

 病院から始まった施設暮らしが、ずっと続いていても

 文句も泣き言も言わず、親父は与えられた場で懸命に生きている

 その生きる姿、再び食欲を回復し、力を振り絞って車椅子から立ち上がろうとする姿に、僕は感動する

 今もこうして親父が復活したように元気を取り戻し、生きていることに感謝し、感動する

 

 お父さん、その一皮剥けた体と、何かに護られているような生命力で、まだ一息はここにいて、僕らとこの世界の行く末を、見届けていってほしい

 あなたという存在、あなたが今もここに生きて存在することが奇跡 その貴重な一瞬一瞬を、今、数えている



 

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