あれは1976年の5月 大学を退め、ヒッチハイクの旅の果て
恋する女を追って再び訪れた、奄美大島宇検村の部落
昼下がりの凪いだ海、ソテツと原色の花々、行商のトラックから流れる古い歌謡曲
まるで時がその流れを緩め、タイムスリップしたかのような時空間
湾と接して、目前に聳えるように浮かぶ海上の神殿のような枝手久島 それは、笑って僕を迎えているように見えた
それはとうとがなし(神々がなし)の永遠(とわ)の島
嗚咽と涙が溢れて止まらない
そこは、北国育ちの僕が、初めて知ったもう一つの心の故郷
世俗の部落の只中にある、コミューンの最前線、無我利道場
シマ(部落)では、日本語とは程遠い島言葉(シマグチ)が交わされ、夕暮れから夜になると、どこかのオジイが三線を爪弾く音と島唄が流れてくる
夜には、毒蛇のハブが人里に降りてきて、人々を脅かす
それは古き良き奄美世の名残、最後の残照の一時だった
雨期が上がった奄美は、5月でも真夏のような熱い日差しが連日のように続く
三度の食事は、麦飯とサツマイモ、キュウリ、ラッキョウ、ブタミソ
汗を流して働いて終えた一日、晩酌に黒糖焼酎の水割り
それが無我利の、そして島人(シマンチュウ)の定番だった
住処も耕作地も放棄され、原始に還った無人島の枝手久島
そこは失われた神話のステージ、ハブ発祥の伝説の地
世俗と隔絶された無我利道場の密部
そこは同時に、石油会社の土地買収による石油コンビナート計画が持ち上がっている、問題の場所だった
そこで僕らは、住居を作り、畑を開墾し、瞑想の場を開こうと新たな神話を創造しようと試みた
枝手久島にも対岸の部落にも、テレビも電話も無く、当然ながらケータイもネットもない
そこは、喧しく、刺激的な世の中情報の流れからは外れた地
そんな中で、島人も、僕ら無我利コミューンの仲間も、何一つ不便も不足も感じていなかった
テレビや新聞も見ることもなく、ラジオを聞くこともない日々の営みの中、労働と瞑想、遊びが一つとなって完結し、暮らしの全てだった 21世紀の現代ニッポンでは、人々は、都会にいても田舎においても、ケータイ、スマホなしには何もできない、何も始まらない
自宅にいても、仕事中も、電車やバスに乗っていても、クルマを運転中も、海や山に行っても、どこにいて何をしていても
人々の意識の焦点は、現前の世界に向き合うよりも、常にケータイやスマホの仮想現実の画面に向かっている
今や人々は、モバイル・マシンの端末そのものとなってしまった
このプラスティックの小さな端末は、現代ニッポン人にとっては、なくてはならない新たなお守り―小さな神殿であり、社会公認のドラッグ
こうして日本人は、大多数が"ケータイ教"の信者となった
その電子画面を見ている間中、その人の脳は、その電子信号に自動的に反応し続け、脳細胞がそれに麻痺している状態だ
そこに別な思考や情報が入り込む余地はない
人々はそうやって、死ぬまでケータイの画面と向き合って過ごすつもりか
ワカモノよ、端末であることを止めて、自分の心と大地自然を一度じっくりと見つめ、直に向き合ってみないか
それはモバイルの電源を切り、一人の時間、沈黙の時間を持たないとできない
この国では、たとえ山奥や田舎にいても、ケータイのネットワークから逃れることはできない
一時期でもいい、意識的にケータイやスマホを手放さないと、独りで沈黙の時間を持ったり、宇宙に直に向き合うことは不可能だ
その「情報」が空気のように流れている日常から、一度自分を切り離してみたらいい
たとえば、どこかの山間地、島国で
試みに一切のモバイル、PCを手放して、数カ月でも暮らしてみたらいい
その時、君は何を感じ、知るだろう
ふとした呼吸の合間、大地自然と宇宙の光、音、風が、直に君に流れ込み、語りかけるのをきっと知るだろう
東シナ海を望む無人島という島宇宙で、僕は外界の「情報」から隔絶されながら、大地と海、そして宇宙と直接、交感し、膨大な情報の海に浸されていた
そこでは日々の営みが、そのまま瞑想であり、神の戯れを生きることであり、島宇宙は神殿であると共に大宇宙の写しだった
思い出してほしい 私たちは、たとえケータイやスマホという物質的な通信機器が無くても、十分生きていける
情報は、人間同士、全宇宙と直接、交わし合うことができる
地球という孤島に、もうすぐ宇宙からの新たな海流が押し寄せ
電波通信やインターネットを超えた宇宙規模の情報ネットワークに繋がれる時が来る
その時、人々は知るだろう 私たちは五感と物質的次元の限界を突破して、無限の宇宙と次元に直接、アクセスできることを
私たちの全細胞は、元より宇宙と直接、送受信しているアンテナであることを
そしてその時、失われていた神話の時代が再び始まる
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