(詩篇)“3.11 〜 9.11”

 

「3.11」から ちょうど半年で「9.11」
 これは単なる偶然か それとも誰かがこの日付を仕組んだのか
M9.0の東日本大地震を引き起こしたのは 米軍の電磁波兵器HAARP
そして核爆弾によるものという黒い噂
例によっての陰謀論と見るか 真実の一部が含まれていると見るか 一つの公案
 そしてHAARPが全ての地震を起こしているはずもない
ただ そのような人為の企みがあっても無くても
惑星地球のプレート(地殻)活動が激動期に差しかかっていることに変わりはない
これは太陽と地球 宇宙の変化の第一幕 それは日本を型にスタートした

 震災の第一報に接した時 ああ始まったかと思った
津波の映像も それからの何もかもが こうなることをどこかで見たような
強いデジャ・ヴ感覚があった
 ありえないことが起きた時 人間の意識はそう簡単に現実を認めない
感情は停止する そうしなければ不安と恐怖で発狂するからだ
その時から多くの人々が全く突然 その体験に巻き込まれた
不幸のど真ん中は台風の目と同じ とても静かで 全てがクリアで
時間が止まっているかのようだ

 大手メディア、ジャーナリスト、著名人、有識者、芸能人…らが、
被災地に入れ替わり立ち替わりやってきた 誰もが全く予測も想像も
しなかったことが起きたと、その衝撃を語り 政治家や言論人は「国難」
を口にし、深刻ぶってみせた そうして膨大な言説や書籍が出た
これはまだ始まったばかりで 次には自分が当事者になること
明日は我が身と思った人はどれだけいたか

 早くも「3.11」後云々ということがメディアで論じられ
 被災もしていない東京にいる人間たちが「がんばろう日本」とか
日本の復興とかを盛んに語っている
 ちょっと待った! 東北がいつの間に「日本」に替えられたのか
「日本」は復興する以前に まだ崩壊も破局もしていない
東京をはじめ日本の中枢とその権力は未だビクともしていない
この国は落ちるところまで行き着いていない
本当の力 生き延びる力は そのどん底から生まれる
 宇宙の力と共同して このマトリックスを根本から変えていくのが 
これからのこと 真の復興はその先の未来にあるのだ                

           *

 福島第一原発は 広島原爆20個分、公式発表で77万テラ(兆)ベクレルの
放射能を放出したとされ 今現在も「微量」ながら放射能は放出され続けている
それなのに 政府もメディアも国民も 早くもそのことさえ忘れたような顔
 大丈夫か? そんなに楽観的でいいのだろうか
私は事故発生から三日目には破局を予感し 戦慄していた
 核による大惨事 大量死の発生は時間の問題になったと
今に至るまで どの原子炉も水蒸気爆発を起こさないでいるのは奇跡
それは日本を護っている何か 何者かの力が最後の一線のところで
食い止めてくれているから そんな気さえする

 1〜3号機の溶融燃料は ほとんど全てがメルトスルー、メルトアウトし
原子炉建屋の地下まで溶け落ちた
そこには地下水の流れがあり 海へも通じている
人間のコントロールから離れたその核の澳火は 地下深くで鎮まってくれるのか
これからどうなるのか 誰にも分からない
「フクシマ」の事故は収束できるのか保証は何もない
 忘れてはならない それは何も終わってはいない 現在進行形で
起きていることなのだ

 これまでになかった大量の放射能が 日本の国土と環境に放出されてしまった
これは一つの取り返しのつかないこと
直ちにではなく それは時間をかけてじわじわとホディーブローのように
結果が現れてくる
その現実を誰もが認めたくない 除染し復興に頑張れば元の故郷や家に戻れる
元の社会に戻れると信じていたい
ああ でも残念ながら もう二度と今までと同じ、元通りには戻れない
 個人も 社会も この国土も
一挙に人々の間に普及した放射能の数値を知らせる計測器のアラームが
もう引き返せない危険領域に我々が入ったことを知らせている

 原発大事故の衝撃と 混乱し錯綜する情報の渦の中で 
新たに若い母親たちと若者が目覚め 動いた 文字通り命懸けで真実を求めた
キーワードは「放射性物質」
テレビや新聞はセンセーショナルに報道しながらも「人体に影響はない」とか
「安全なレベルである」と、国や専門家の託宣を流しつづけた
そんな情報に飽き足らない その嘘を直感した人々がネットで 
ツイッターやブログで情報を共有し、出会い 新たな情報ネットワークができていった
 避難の決断 新たな生活 新たな環境 新たな旅立ちと別れ
福島県から避難した主婦は言う
「帰りたいって思わないわけはありません。でも、もうこんなことがあったんだから
全然違う人生 違う日本にならなきゃ意味がないと思うんです
 これで元の鞘に戻ってしまったら何のための事故だったのと思うんです」

           *

 6月11日、新宿アルタ前 360度が人、人、人
デモ隊の列がはるか彼方まで続いている
地鳴りのように沸き起こる「原発やめろ!」コール
ドラムや打楽器、拡声器の音 鳴りやまない音楽と 皆んなの上気した顔、顔、顔
この春以来、何度目かの反原発大デモ 今までデモに来なかったような層が大挙して
「原発いらない」のスローガンのもとに集結し 街頭で声を上げた
参加者の多くはデモは初めてと語り 今回初めて原発問題について真剣に考えた
と言った

 どこかで見たような 懐かしささえ覚えるそのシーンは
そうあの時 「原発とめて いのちがだいじ」の合言葉で
全国的に反原発ムーヴメントが燃え広がった1988年を彷彿させる
それはチェルノブイリ事故から2年後 日本の原発はそれでもまだ大規模な
放射能放出事故は起こしていなかった
 2011年の今、福島原発の大事故というものに直面して
初めて気づかされた自分が住む国の足元のリアルで恐ろしい現実
「人類に原発は無理」「今まで無関心でごめんなさい」のプラカード
デモの最後にサウンドカーから流れた曲は 斎藤和義の「ずっとウソだったんだぜ〜」
 そんなデモ隊の沿道には「私は福島から来た原発難民です」「俺の双葉町を返せ!」
というプラカードを掲げた若者の姿があった

 この抑えつけられていたものが一挙に噴出したような反原発 脱原発の意識は 
今度こそ原発を止めていく本物の力になるのか
 ブームはもういらない 延々と議論をしている時間もあまりない
これから原発を止めていくのは時間との闘いでもある
次の大地震が起きれば 第二第三のフクシマが当然発生する、という状況は
何も変わっていないのだ

 当たり前に享受していた日常のありがたさ 家族と暮らせること
毎日ご飯が食べられること 安心できる場所で寝られることの幸せ
それは当たり前でなく ものすごく有り難い奇跡
 そんな声が被災していない人たちも含めて日本中から寄せられた
いずれ我々全員にとって その「当たり前の幸せ」は過去の郷愁となり
福島からの避難者のように いやおうなくドロップアウトさせられ
それまでの全てを置いて新たな環境 新たな生活へ移る決断を迫られる
 そんなことがあっても いつでも来いと期待と覚悟を持っていよう

 慣れ親しんだ我が家も  思い出の品々も クルマも
財産も失っても 我が身とリュック一つあればいい できれば、愛する家族や仲間が
 生きていればいいと いっそここで腹をくくろう
 我々は今やあまりにもモノや金や それにまつわるしがらみやらに縛られ過ぎた
もっともっと身軽になりたい 本当は誰もがそう思っているはず
 たとえ全てを失っても 命があるだけで丸儲け 路上をリュック一つで旅していた
元の姿に戻るだけ
 私の場合、楽器(ギター)とハーブも欠かせない それは宇宙のどこへ行っても
重宝する宇宙の波動を伝える媒体 宗教よりも音楽と植物こそが希望の標(しるし)

 深まる天秤座の季節 今年も私の回りの道産娘は、熟れ頃のまぶしい姿を
見せている 私一人だけでつきあっているのは あまりにももったいない
今という時こそ 多くの人に彼女を紹介したい
 原発に並ぶタブーだった彼女らの存在は 世間の騒ぎや無知をよそに
今日も大地の上で陽射しを浴びながら すっくと立って優美な姿を見せている
 知ってるだろうか それは放射能に対抗する力があるのだ

 


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