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『東京五輪がもたらす危険』(緑風出版)は、医師や科学者、避難者たちによる警告の書。アスリートや観客にもたらす放射能被害の危険性について改めて詳述している。福島原発事故で放出された放射性物質は「ガラス状不溶性放射性粒子」と呼ばれ、その粒子を一個吸引しただけでも4500ベクレル相当のリスクになると言われている。つまり五輪開催中の短期間の滞在でも危険は避けられず、生涯にわたって健康リスクを背負うことになる。また、野球とソフトボールの会場となる福島あづま球場の放射線量は、セシウム137 ベースで最大6176ベクレルの土壌汚染があることや、東京と関東圏の水道水中の放射性セシウムを吸着フィルターで測定すると、五ヵ月で最高908 ベクレルという高い数値になることも明らかにしている。 政府は今、福島第一原発で百万トンも溜まっているとされるトリチウム汚染水を海洋投棄しようとしている。しかし、排出された汚染水は沿岸で北向きに流れた後、沖合で親潮に乗り、南方向に流れ、東京圏に近づくとされている。トリチウム汚染水は海水より軽いので、海水表面に拡がり、上昇気流に巻き上げられて雨となり、降り注ぐ恐れもある。もし五輪前に汚染水が放出され、関東圏を台風が通過しようものなら、日本国民は元より、世界のアスリートや観光客も放射能汚染させることになると本書は訴える。 福島でも、あるいは東京や関東でも、モニタリングポストによる放射線量(空間線量)の数値は、どこでも規制値を大きく下回っていると国も東京電力も言うだろうが、それより問題はその地点の土壌の放射能値(ベクレル)である。たとえば、福島のあづま球場の放射能の数値は、セシウム137 ベースで6176ベクレルの土壌汚染があるという。こんな地面の上で野球やソフトボールをやったらどうなるか。選手たちは地面から舞う放射性微粒子を吸い込んで、確実に被曝する。一時、外部から放射線を浴びるのと違って、体内に取り込んだ放射性微粒子によって24時間、365 日、体内の組織や臓器で低線量被曝が続くのだ。低線量とはいっても、それが以降は一秒も途切れなく続くのだから、影響は深刻だ。このままいったら福島も東京も、被曝五輪といった状況が起こるのではないか。しかし、その最中は誰も何も感じず、何も起こらないから、多くの人々が被曝したという自覚はなく、問題にもならないだろう。アスリートも観客も、自分たちは被曝したなどとは露ほども思わず、祝祭に熱狂する。その代償はいずれ必ず現れてくる。それでも誰もオリンピッ 東京五輪の聖火リレーは、オールジャパンと称して全国各地で、ニュースで話題になった人、著名人、芸能人の総動員。誰も文句のつけようがない善意と笑顔のファシズムが跋扈する。今から既に「感動」の押し売りが始まっている。これに異を唱える奴は歪んだヘイト、そして非国民と言われそうだ。一切の異論、問題提起が出ない礼賛、同調一色の報道とムードが、私には異様に見えて仕方がない。一切の政治や世界の問題を忘れようとばかりに、なぜ今、国民挙げてオリンピックに浮かれ、熱狂しなければならないのか。 アスリートたちには悪いが、その時が差し迫った今でも、私は東京五輪には賛同できない。今からでも中止、返上を決断すべきだと考えている。今回の東京五輪は、2013年のIOCの招致委での、安倍首相の「フクシマはアンダーコントロール、現在も未来においても放射能被害というものは一切ありません」という大嘘によって招致が進められた。当の東京電力でさえ、のけぞるようなデタラメを、この首相はしたり顔で平然と言ってのけた。 日本は、国民が言祝ぐ2020年の東京五輪を使って、国民挙げての「復興」を演出し、歴史から「フクシマ」の忘却を図ろうとしている。国民の多くも、放射能汚染の実態というものを、まるで理解していないし、知ろうともしていない。このままでは、こんな国に人類の未来など創造できるはずがない。かくして狂騒と混乱のままに、この国は、東京五輪の開催に突き進んでいくしかないのだろうか―。
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