ピエール瀧逮捕とドラッグ

 “ピエール瀧 裏の裏 元DJ女性が告発した電気グルーヴ薬物乱用現場の狂態”―3月21日発行の「週刊新潮」の記事の見出しだ。
 テレビのワイドショーでも、この記事に基づいた井戸端会議をやっていた。その記事に曰く、90年代頃、電気グルーヴが出演していたクラブのパーティーでは、エクスタシー(MDMA)や大麻がつきもので、皆、忘我の境地になって、ぶっ倒れるまで踊り狂っていた―等々と、そういうものに縁も馴染みもない人が聞くと、いかにも異様で、おどろおどろしいことが繰り広げられていたというダークなイメージばかりが膨らむ。とはいえ、そこにドラッグがあろうとなかろうと、ハイなトランス状態を求めて踊り狂うというのは、クラブやディスコでは普通のことであり、それを求めて客が来るのだ。そうやって踊り狂うこと自体を悪いこと、異常な行為と見なすいわれはない。

 週刊誌の記事やテレビのワイドショーで、その異様さを強調するのは、そこに大麻やエクスタシー、コカイン等の“違法薬物”が介在しているからだろう。これが酒―アルコールだったら、同じく大騒ぎしても、さほど異常性を強調することはないだろう。一言で言えば、酒による酔いはいいが、他のドラッグによってもたらされる酔いや、それで意識を変えることは悪いこと、“狂った”状態だという考え方だ。だからドラッグ・ハイによって影響を受けたかもしれないピエール瀧の過去の作品―映画、テレビドラマ、楽曲などを、ドラッグの助けを借りた紛い物として認めたくないという意見が、業界にも多い。ドラッグの影響下で創ったものはニセモノだと。
 私は全くそういう考え方はとらない。何かを創造するに当たっては、完璧に素面で“正常”な意識状態であらねばならないとは誰が言ったのか。乱用のレベルに至るのは、過ぎたるは及ばざるが如しだが、酒でも、コカインでも、大麻やLSDでも、それにパワーやインスピレーションを得て創造した作品や表現が、偽物であるとは思わない。

 今のメディアの報道は、各々のドラッグの負の面と弊害ばかりが語られ、正の側面―薬としての効能については、触れてはならないことのように伏せられ、語られない。薬草である大麻まで覚醒剤と同じ薬物のカテゴリーに入れ、全てのドラッグは絶対悪視されつつある。最近では、なぜかタバコへの風当たりも強くなる一方だ。健康に悪影響を及ぼすかもしれない嗜好物は全て悪なのだ。健康優先を絶対視した一種の潔癖主義が強まっている。私は予言する。近い将来、タバコは危険な薬物に指定され、販売や所持も法律で禁じられるだろう。法で許されるのは、辛うじて酒―アルコールだけになるのではないか。
 私は別に薬物―ドラッグの使用を推奨したり、法で規制し、取り締まることに反対しているわけではない。強力な中毒性と依存性があり、身体とマインドにリスクが高いハード・ドラッグ―覚醒剤(スピード)、ヘロイン、コカイン、MDMA、ケタミン等のケミカル幻覚剤、危険ドラッグは、法で厳しく規制されても致し方ないと考える。しかし、ここに挙げたものの中でも、ヘロイン(モルヒネ)やケタミンのように医療現場では無くてはならない麻酔薬として重宝され、役に立っているものもあるのだ。

 ドラッグというものは、ダメ、ゼッタイ!だけで切り捨て、撲滅できるものではない。歴史が示す通り、いつか薬物が社会から消滅する日が来ることは望むべくもない。そして、薬物の使用と乱用とをはっきり区別しなければならない。通常、酒―アルコールを嗜むこと―日々の晩酌でも、週末の飲み会でも、それを誰も乱用とは言わない。そうやって多くの人はアルコールと、ほどほどの付き合いをしている。しかし中には、アルコール依存症のように乱用のレベルに陥ってしまう人もいる。
 大麻やコカインでも同じである。適時に適量を嗜むことは乱用ではない。但し、覚醒剤やヘロインとなると、一旦、手を出したら、いとも簡単に乱用のレベルに至るリスクが非常に高く、その快楽の代償は、その人の人生を潰しかねないほど高くつくことを知っておくべきだろう。

 ピエール瀧氏は、警察での供述で、大麻やコカインは20代の頃からやっていた。止めていた時期もあったが、30年近い使用歴があることを明かしている。これほどの長きに渡ってそれらを使用しながら、彼が私生活でも仕事の面でも破綻することもなく、むしろ活躍といっていい活動を続けてきたことは、ドラッグ中毒者というイメージにはそぐわない驚嘆すべきことではないか。これが覚醒剤だったら、もっと早くに破綻をきたしていたに違いない。彼は大麻やコカインを表現活動の活力剤、あるいは緩和薬として、乱用に陥ることなく、けっこう上手くつきあっていたのではないか。

 よく知られているミュージシャンでは、エリック・クラプトンやミック・ジャガー、キース・リチャーズやジョン・レノンも、一時期、皆コカインにハマっていた。しかし、誰もそれで潰れはしなかった。結局、皆、それから脱したのだ。
 キース・リチャーズが自伝『ライフ』も含めて、欧米の雑誌メディアのインタビューに度々応じて、ローリングストーンズの音楽や自分自信について語っているが、その中で過去のヘロイン、コカイン体験や、大麻やLSDまで、ドラッグ体験をあけすけに語っている。「俺は間違っていた。反省している」などとは、一言も言っていない。曰く「純粋なコカインほどいいもんはないけど、もう手に入らないしな。ヘロインは…やっぱ最高だね。ハッパも、まぁ悪くないよな」
 これはどんなドラッグが良かったですかという記者の質問に答えてのものだが、訊くほうも直截だが、答えるキースの方も平然としている。日本の業界では考えられないことだ。まずメディアの方で絶対にそんな質問をしない。インタビューの相手―たとえばアスカや、今回のピエール瀧とかが、ドラッグを礼賛するかのような発言をしただけで、猛バッシングを受けるだろう。違法薬物であるということ以上に、ドラッグの持つ正の面の効能、力というものを絶対に認めたくないという意識が、この日本社会では根強いのだ。
 キースのドラッグに対する見解は、その中毒を乗り越えた者だけが言える含蓄深いものだが、今でもそれを好きだと言い切る姿勢は、私などは天晴れな奴と笑ってしまうしかないが、世間一般の感覚や良識からは、危険で受け入れ難いことなのだろう。

 一般人が、エリック・クラプトンやキース・リチャーズの真似をしてはいけない。彼らは希有な強運の一種の超人である。我々凡人が同じくヘロインに手を出したら、廃人コース一直線で、戻ってこれないだろう。いずれにせよ、コカインだのヘロインだのは、とんでもなく高価で、供給・売買に反社会組織が関わっており、我々一般人がセレブ、芸能人、アーティストの真似をして、それらに手を出すと、ろくなことにはならない。我々貧乏人には、もっと金のかからないものの方が向いている。
 それは酒でもいい。タバコでもいい。私が思うに、これらは公認のれっきとしたドラッグだ。後はせめて大麻とキノコなどの天然モノは薬物指定を改め、合法化が議論されてしかるべきだ。これらは自分で栽培すれば、ほとんど金はかからない。
 私の主張は極めて穏当で常識的なものだ。ヘロインなどのハードドラッグは法で禁じられ、規制されるべきである。しかし、今も当たり前にある酒やタバコ、加えて大麻やキノコなどは個人の嗜好として許されてもいいだろうという考え方だ。
 天然の植物でも、コカインなどの薬物でも、それ自体に罪はない。
 適切な使用も乱用も、全ては対する人間次第だ―。







 

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