太陽メガクライシスと地球脱出計画(その1)


教皇フランシスコの意味深長な発言

 2016年7月27日、ポーランド訪問中のローマ教皇フランシスコが、「世界大戦は、これまでにも1914年と1939〜45年にかけてありました。そして今、3つ目の世界大戦が起こっているのです。世界は戦争状態にあります。世界の平和は失われてしまったのです―」と語り、海外メディアを驚かせた。そのフランシスコ教皇は来年5月、ポルトガルを訪問し、百周年を迎える聖母マリアゆかりの聖地ファティマを訪れる予定だ。首都リスボンの北東150 キロにある小さな村ファティマは、年に一度、この5月に世界各地から100 万人を超える人が集まる。理由はほかでもない。この地で1917年に聖母マリアが降臨―出現するという奇跡が起きたからである。

ファティマの奇跡と第三の預言

 聖母の姿を目にしたのは、ポルトガルの寒村ファティマに住むルシア・ドス・サントス、ルシアの従姉妹のフランシスコとジャシンタのマルトー兄弟であった。1917年5月13日、3人の子どもはコド・ダ・イリアと呼ばれる丘で羊の世話をしていた。正午頃、3人の頭上の青空に、突然ピカピカッと稲妻のような光が二度瞬いた。驚いて空を仰いだ3人の目は古い樫の木に釘付けになった。木の葉に中に大きな光る球体が浮かび、虹色の輝きを放っていたのだ。身動きもできずに見守る3人の前で、球体内の光が次第に人の形をとり始め、ついには、この世のものとも思えない美しい女性の姿に変わった。

「怖がらなくてもいいのですよ。私は何もしません。ただ、一つだけお願いがあります。
 これから10月まで、毎月13日にこの場所に来てほしいのです。その時には私の身分を明かしましょう。ここで私の姿を見たことは秘密にしておきなさい。そして、ロザリオの祈りを毎日唱えなさい」

 それだけ語ると、美しい女性の姿は唐突に消え失せた。この時、その女性は自分の身分は明かさず、聖母とも言わなかった。だが、3人の子どもは、不思議な女性は聖母マリアに違いないと信じて、毎月この丘に来ようと固く誓い合った。

 3回目の出現の7月13日。噂を聞いて集まった現場の群衆は、一挙に五千人に膨れ上がった。そして同じようにまばゆい稲妻と強烈な光と白雲の出現が繰り返されたが、何人かの見物人が体験したブーンという唸り音、太陽の輝きが失せ、気温の低下、出現場所の木の側に現れた小さな白雲、立ち去る時の大音響などが記録されている。
 この日は重要なメッセージがルシアに伝えられた。10月13日に大奇跡が行われる予告と、後にファティマ預言と呼ばれる「三つの預言」がルシアに託されたのである。
 後にカルメラ会に入会して修道女になったルシアは、上司であるコインブラ大司教の強い要請を受け、1930年に聖母との対話の一部始終を記述した文書を作成し、それはそっくりバチカンに送付された。
 第一と第二の預言は、1942年に初めて一般に公開された。それによると「―秘密は三つの異なった事柄から成っていますが、互いに関連しています。これから私(ルシア)はそのうちの二つを公開しますが、三つ目の事柄は1960年まで秘密にしておかねばなりません」と、されている。(第一と第二の預言は、第1次世界大戦の終結、第2次世界大戦の勃発と核兵器の使用、ソ連の脅威に関してであった)

 5回目の出現の9月13日。その日に現場に集まった群衆の数は3万人に近かった。そのため、3人が現場に到着した時は、群衆をかき分けながら進んでいく始末だった。その中には、この奇跡の正体を暴こうと目を光らせている3人の司祭もいた。
 正午きっかり、急に太陽が暗くなったと思うと、あたり一面が光に染まった。そして全員が見守る中、東の空に銀白色に輝くタマゴ型の球体が現れ、西に向かってゆっくり移動するのが見えた。
 貴婦人とルシアの対話が続く間、小さな白雲が灌木と3人の子どもをすっぽりと包み、空から真っ白な綿雪のようなものが群衆の上に降り注いだ。この白い綿雪のようなものは、群衆が手を伸ばしたり、帽子で受けようとすると、どれもその前に消えてしまった。
 これは写真にも撮られた。対話の内容は、戦争を終わらせるために毎日ロザリオの祈りを唱えること、小額の寄付金を募って聖堂を建てること、10月13日の奇跡のことがあらためて予告された。
 15分後、「お帰りです」というルシアの声が響いた途端、また銀白色に輝くタマゴ型の球体が現れ、ゆっくり上昇して青空の中へ消えていった。一部始終を目撃した司祭の一人は、その球体を「あれは天国の乗物で、聖母を玉座から、この禁断の荒野へ運んできたのだ」と語った。以来、このタマゴ型の物体は「聖母の乗物」と称されることになった。

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 10月13日。その日ファティマ一帯は爆発しそうな状況であった。ヨーロッパ全土からやって来た7万人から10万人ともいわれる群衆が続々と詰めかけ、極度の興奮状態で“その時”を待ち構えていた。その中にはヨーロッパの主要な国の新聞記者、科学者の顔もあった。その日は上空は雲に覆われ、朝から土砂降りの雨に見舞われ、コド・ダ・イリア一帯は一面の泥沼化していた。正午きっかり、ルシアは天を見つめながら身を震わせて叫んだ。
「光! あの方がいらっしゃいました」
 群衆が見守る中、小さな一塊の雲が3人の子どもを包み込むように3度繰り返して湧き出し、ついで5メートルほど舞い上がった。
 貴婦人とルシアの対話が始まった。群衆には聖母の姿は見えず、その声も聞こえなかった。ただ閃光のきらめきや、薔薇のような芳香が周囲に漂い、子どもたちの顔がうっとりと変化するのを目にしただけだった。すると突然、ルシアが叫んだ「見て、お日様が!」

 降り注いでいた雨がぴたりと止んで、空を覆っている雨雲にぽっかりと青空が覗き、太陽のようなものが天頂に姿を見せた。その太陽は明るく輝いていたが、不思議に少しも眩しくない。すると突然、その太陽が震え出した。と思うと、今度はぐらぐらと動き出し、燃え盛る車輪のように回転しながら、四方八方へ無数の色の光線を発した。そして突然、目もくらむような太陽の急降下が始まった。強烈な光を発しながら、ジグザグに太陽が急降下してくるのを見た群衆は、恐れおののき、一斉に叫び声を上げた。
 ようやく太陽はジグザグに上昇しながら元の位置に戻ると、胸を撫で下ろした群衆は感動に震えてクレド(ラテン語の信仰宣言)を合唱した。
 太陽が去ってから群衆は仰天した。自分たちの衣服をはじめ、木々や地面が完全に乾燥していることに気づいたからである。この壮大なスペクタクルが繰り広げられたのは、時間にして10分あまりのことだった。

 この時のファティマの現象に関して「太陽が二つ現れた」と記述した記録文も残っている。コインブラ大学教授、アルメイダ・ガレッタ博士の証言も記録されている。
「私は土砂降りの雨の中で、ずぶ濡れになってしまった。雨が止むと、きらめく太陽のようなものが雲の層を突き抜けて出現した。私もそれを見た。輝いているが目がくらむほどのものでなく、輪郭が明確な円盤状の物体だった。誰も霧を通して見る太陽とは混同しないだろう。円盤の周囲は少しもぼやけず、中心部もはっきりと輝いていた。絶えず変化しながら輝く物体は目まぐるしく運動し、それ自体が驚くほど急速に自転していた」

 この奇跡は、ファティマから遠く離れた地域でも目撃されている。当時の有名な詩人、A・ビエラは、ファティマから40km離れた自宅から見たその光景を語っている。
 この「太陽のような円盤」は、少なくともファティマから半径40kmの範囲で目撃されていたことになり、すると数千メートル以上の高空に出現した直径1kmくらいの巨大な円盤状の物体だったことになる。このファティマの現象について、英王立天文協会のH・・ジョーンズ博士は、次のような声明を発表した。
「ファティマの現象に関して、その日に天文学上の記録は何もない。宇宙に異常な現象は何も記録されていない」

 ともかくも、聖母の預言通り大群衆の前で奇跡が起こり、「全ての人が信じることになるだろう」という聖母の預言は、ファティマの上空に「太陽のような円盤」の乱舞という形で実現された。そしてこの事件は、ポルトガルだけでなく、ヨーロッパ全土に鳴り響いたのである。

 ルシアが1960年まで秘密にしておかなければならないと言った、聖母による第三の預言とは何かというテーマに入る前に、1917年に、ルシアをはじめ3人の子どもの前に出現した聖母マリアとされる存在、そして大群衆の上空に出現し、乱舞した“太陽のような円盤”とは何なのかという問いがある。この円盤状の物体は、聖母の5回目の出現の時から現れている。記録されたその様相は、UFOそのものと言っていい。当時は、今で言うUFOといった概念は全くなかったのだ。空から真っ白な綿雪のようなものが降り注ぎ、触れようとすると消えてしまったというのは、UFO出現時によくある“エンゼルヘア現象”そのものだ。しかし、3人の子どもの前に現れた聖母マリアとされた貴婦人は、いわゆる異星人(宇宙人)で、聖母と名乗ることで人々の信仰を通じてメッセージを伝えようとした――という、よく言われる解釈は、いささか安易で陳腐過ぎる。3人の子どもが接触した“聖母”の姿は、異星人とか宇宙人といったカテゴリーでは当てはまらない、存在次元が異なる存在のように思えるのだ。
 いずれにせよ、この一連の奇跡は、上空で「太陽のような円盤」が乱舞したように、宇宙からの何者かの力が介在していたことは間違いないのである。

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 第一と第二の預言は成就したが、問題は第三の預言である。この第三の預言こそが、「ファティマの秘密」と呼ばれ、ローマ教皇パウロ6世が、その内容を目にして卒倒したとも伝えられている。第三の預言は、バチカンの金庫に長らく封印されていたが、2000年になってようやく公表された。その内容は「1981年に起きた教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件を予言していた」というものだった。
 だが、ルシアは「バチカンは嘘をついている」と否定した。公表された予言はニセモノと主張したのだ。しかし、そのルシアは「第三の預言」の内容を公言することなく、2005年に他界してしまった。ファティマ第三の預言とは、いったい何なのか。なぜ教皇パウロ6世は卒倒するほど驚愕したのか―。

 バチカンの関係者と精通しているフィンランド在住の聖書研究家、ケネス・フォン・プフェッテンバッハによると、ルシアが息を引き取る際、側近たちに次のように語ったという。「もうすぐ大いなる天罰が下ります。太陽が尾を曳きながら回転します。太陽が踊り、地球は焼き尽くされます」

 ルシアが口にした「もうすぐ」とは、いったい何時のことなのか。2016年時点からすると、数年以内か、それとも、より先の近未来なのか―。
 太陽が尾を曳きながら回転するとか、太陽が踊るというのは、文字通り太陽そのものに異変が起こり、その結果、地球上は危機的状況に陥るということではないだろうか。
「新約聖書」ヨハネ黙示録の一節に、そのままそれとリンクするような記述がある。
「第四の天使が、その鉢の中身を太陽に注ぐと、太陽は人間を火で焼くことを許された。
 人間は激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、
 悔い改めて神の栄光を讃えることをしなかった」 (第16章8〜9節)

 これはまさに、太陽からの超巨大フレアのプラズマ熱線を浴び、地上が焼かれる光景のようだ。太陽が踊る時起こるメガクライシスにより、第三の預言も成就することになるのか。はたして現実の太陽はどうなのか。サイクル24の黒点減少期に入ったとされる現在の太陽に何が起こっているのか―。
                       *写真・図版等は『ムー』2016年12月号他より転載


 

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