原発を終わらせる(その一)

第二の「フクシマ」が迫っている

 M9.0 の東日本大震災によって引き起こされた、福島第1原発の未曾有のメルトダウン事故から丸5年目の「3.11」を過ぎた4月14日、そして4月16日に発生した九州・熊本を震源に起きたM6.5 、M7.3 の大地震。余震を超えた群発地震が頻発し、震源は北東の大分、南西の熊本県南西部へ拡大する様相を見せた。

 これらの地震を引き起こした活断層は、日本最大の活断層「中央構造線」上に含まれるものであり、私は単なるローカルの断層が動いたものではないことを直観した。そして地震の拡大方向が九州の川内原発、四国の伊方原発に向かいそうな様相を見て、内心ゾッとした。度重なる地震の発生と、その渦中にあっても、九州電力は川内原発は何の異常もなく、今後も地震によって異常や被害を受ける恐れはないと平然と宣言し続けた。

 私は、電力会社は本番の地震で原子炉の耐震テストをするつもりかと叫びたくなった。

 安全第一で万が一に備えて停止すると言うどころか、意地を張るように運転を継続すると宣言する。とても正常な神経とは思われない。異常があってからでは遅いということは、福島第1原発の事故の経験から誰の目にも明らかだ。それなのに、これほど危険な事態が進行しているのに、電力会社も政府も危機感が全くない。この期に及んでも福島の事故に何一つ学んでいない愚か者共だ。この恐るべき鈍感さ、あるいは見て見ないふりという在り様とは何だろう。これではまるで、次の原発事故が起きるのを誘導しているか、指をくわえて待っているようなものだ。こんな連中に任せていては、国民は命がいくつあっても足りない。

 今回の地震では震度7を観測した熊本県益城町で最大加速度1580ガルを記録した。

 原発の耐震性はM6.5 までしか耐えられない設計であり、基準地震動(耐震性)は川内原発が620ガル、伊方原発は650ガルでしかない。熊本で起きたような直下地震を受ければ、一撃で終わりである。1580ガルの強震動が川内原発周辺で起きないと断言できるのであればいいが、熊本で起きたのだから、その延長線上の活断層もズレる可能性が十分にある。地震学者たちは「今、何が起こっているのか分からない」と頭を抱えている。ならば、川内原発はとりあえず止めて様子を見る。当たり前の話なのだが、安倍政権はそれをしない。規制委がお墨付きを与え、九州電力はしめしめとばかりに原発を動かし続けている。正気の沙汰ではない。

 九州全域の地下が活性化しているのに、川内原発を動かし続けるのは科学的にもあり得ないし、民主主義国家としてもありえない。他の原発だって同様だ。四国・愛媛の伊方原発の再稼働が迫っているが、これだって、ありえない話である。

 琉球大学名誉教授・木村政昭氏(地震学)は、「今回の地震を局所的な事象と捉えるべきではない」として、こう警鐘を鳴らす。

「今回の地震は〈中央構造線〉とも連動する内陸の“日本列島断層帯”の南端部にある布田川、日奈久の2つの断層帯が動いて発生したと思われます。“日本列島断層帯”とは、簡単に言うと、日本列島を取り囲むユーラシア、太平洋、フィリピンの3つのプレートの境目で、熊本のケースは日向灘地震域からのプレッシャーが要因とみられる。つまり、単なるローカルの断層が動いただけの話ではありません。地震のエネルギーは今も解消されておらず、今後も日向灘やこの断層上などで地震が起きる可能性は十分に考えられます」

 然り、私自身も今回の地震は、これで一段落ついたとは考えていない。既に現地もマスコミも、課題は復興云々の段階に移っているが、次の地震が中央構造線上のどこかで発生する可能性が高まっており、今回の熊本地震は、近い未来の様々な危機の“前兆”ととらえ、備えるべきだろう。

「フクシマ」5年後の真実

「レベル7」の苛酷事故に至った福島第1原発のメルトダウン事故から5年。事故を起こした原発の状況と現地の放射能汚染に関する報道は、すっかり影をひそめ、あたかもそれらの事象は過去の出来事か問題のような空気が社会を覆っているが、とんでもないことで、収拾のつかない事故原発の処理も、放射能による健康被害も、問題が本格化するのはまさにこれからである。

 2014年8月25日、東京電力は、毎日、ストロンチウム90が50億ベクレル、セシウム137 が20億ベクレル、トリチウムが10億ベクレル放出されていると認めた。これは主に海中にだが、1号機から3号機まで合わせて、空中に1時間当たり1000万ベクレルが放出されていることを認めている。1時間当たり1000万ベクレルということは、毎日2億4000万ベクレルということになる。これは2014年時点の数字だが、その後も放射能の放出が止まったという発表はない。多くの日本人は忘れているのかもしれないが、事故直後の数カ月間だけでなく、その後も、今現在に至るまで放射能の放出は止むことなく、ずっと続いているのだ。政府は避難地域の解除などを進めているが、これが人間が住んでよい環境だろうか。

 東京電力の今日に至るまでの態度は、とても加害企業のそれとは考えにくい。あっという間に救済法案を成立させ、倒産を防いでしまった。賠償も国任せであり、いつの間にか被害者であるはずの国民が、血税で加害者の東電を支えなくてはならないという倒錯した仕組みが作られてしまった。この関係は資本主義経済の原理をも逸脱している。東電は単なる私企業だ。事故を起こした私企業は、自らその責任を負わなくてはならない。補償や事故収束のために本店ビルを含めて売却可能な資産は全て現金化し、役員や社員の報酬や年収を削減する。株主が有限責任を問われるのは当然で、融資している銀行は債券放棄をしなくてはならないはずだ。これが世界共通の市場のルールだ。

 ところが、実際になされたことはどうか。共犯関係にある官僚たちと、電力会社や労組に選挙で借りがある政治家たちが、事故を起こした企業の延命のために、国民の懐に平気で手を突っ込んでくる。原発建設を含めたあらゆる経費に利潤を乗せた総括原価方式という、原発建設を支えている市場の需給メカニズムからかけ離れた電力料金の仕組みすら、今なお放置されたままだ。そして東電は平然と電力料金の値上げを打診している。こんなバカげた話はない。だが、これが日本の現実なのだ。

 未曾有の原発事故が映し出したものは、自分の発言や日常の仕事、生活の尺度を常に「長いものに巻かれる」ことに据え、個人としての社会的責任に背を向けてきた精神の在りようだ。これは政治家や有識者、メディア関係者たちに限らない。福島では、子どもたちの放射能被曝や集団疎開を訴える人たちが、「放射能の影響などあまりない」という国や地方自治体、御用学者の圧力と闘っている。彼らにとっての最大の壁は、こうした国などの宣伝を信じたいと感じている多くの住民たちの視線だ。「長いもの」は身近にある。その精神の怠惰さ、臆病さは、明治維新以降の日本社会にずっと流れている悪弊だ。

 福島第1原発のメルトダウン事故では、大量の放射性物質が空気中と海中に流れ出た。

 通説では、その総量はチェルノブイリ事故の6分の1ということになっているが、海外の研究機関によると、チェルノブイリ事故の2倍以上という推定もあり、現在も放射能の流出が続いていることからも、私もその可能性が高いと考えている。

 それはチェルノブイリ原発事故の3倍の希ガス―アルゴン、キセノン、クリプトンと、大量の揮発性、及び非揮発性の放射性元素―セシウム、トリチウム(三重水素)、ヨウ素、ストロンチウム、コバルト、銀、プルトニウム、アメリシウム、テルル、ルビジウムなどだ。

 福島の放射能災害は終わっていないし、今後、数十年経っても収束することはない。

 日本は東日本を中心に放射性降下物で覆われ、その毒性は何万年も残る。簡単に“除染”できるものではなく、食物や人間や動物を蝕んでいく。完全なメルトダウンを起こした3つの原子炉は解体も封鎖も望み薄だ。IAEA(国際原子力機関)の予測によれば、ダメージを受けた原子炉は放射性線量が危険なレベルにあるため、40年経っても何の進展も見込めないとのことだ。

 

 この事故は医学的意味においてもチェルノブイリの大惨事に匹敵する。福島原発のメルトダウンで放射性元素を体内に取り込んだ住民の間には、ガンをはじめ様々な疾病が蔓延するだろう。チェルノブイリの1度の爆発とメルトダウンで、ヨーロッパ大陸の40%が汚染された。ニューヨーク科学アカデミーが発表した2009年の報告書によると、既に百万人以上の人々が、この事故の直接的な影響で死亡している。悲しいことだが、同じことが日本でも起こってくるだろう。

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 現在の日本は、原発に関して「事故後の放射能汚染で以前の日本とは全く違う世界になった」と感じている人と、「これまでの日常が続いている」と思っている人の2つにきっぱり分かれてしまっているように見える。そして、前者は明らかに少数派だ。たとえば事故前にはレントゲン室などの放射線管理区域は厳重に管理されていたが、今ではその20倍だの100 倍までが安全ということになり、福島市や郡山市では、子どもたちがそういう高汚染の環境で普通に遊んだりしている。汚染されている可能性が高い野菜なども基準値以下(100 ベクレル)だとして流通し、食べられている。福島原発事故以前の日本の食品の放射能値は1kg当たり0.1 〜0.2 ベクレルほどだった。1kg当たり100 ベクレルという基準は、事故前の1000倍の汚染を許すということになる。

 東京などにも高汚染のホットスポットがかなりあるのに、一部の人々しか問題にしていない。日本はヒロシマ、ナガサキ、ビキニ核実験による第五福竜丸の被爆、東海村のJCO事故、そして福島と、世界で最も核被害を受けた国であり、度重なる放射能被害を受けた国民であるのに、それについて何も学ばず、放射能が微量でも危険であると認識している人が少数派であることが、救い難いと言ってもいい深刻な問題なのだ。

 映画『マトリックス』では、人々は眠ったままコードに繋がれて安楽な夢を見続けている。真実を知りたいという人は非常に少なく、ほとんどの人々は夢を見続けたいと願っている。日本人の大半は、ちょうどそんな世界に生きているように見える。

『マトリックス』では、真実を知ることは現実と闘い続けることを意味する。夢の世界を維持しようという勢力が、真実を知った人々を攻撃してくる。現在の日本でも、そういう人々を叩き、人々の目を逸らすために、政府とメディアによって、やれアベノミクスだ、北朝鮮のミサイル発射による危機だ、東京オリンピックだと、「逸らし」が盛んだ。

 真実を知った人は、政府や社会による同調圧力と闘い続けざるをえなくなる。その「闘い」とは、信用できない政府やマスコミや市場から自立し、情報を集めて自分で考え、可能な限り安全な環境や食品を求め、社会をできるだけ正しい方向に向けようとすることだ。

放射性物質の危険性

 日本の原子力産業に巣食うシンジケート集団は、半世紀以上前の1950年代に広島・長崎の原爆被爆者をモルモットとして観察したアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)が語った言葉と、ICRP(国際放射線防護委員会)が勝手に定めた安全基準を、おうむ返しに繰り返している。日本の「放射線の専門家」と称するほとんどの人間が引用しているICRPの基準は、レントゲン写真、自然界から受ける放射線等―全て体の外から浴びる放射線である。このような外部被曝だけを論じて、内部被曝量を無視しているので、医学的な根拠など全くないのだ。

 原発事故の場合、危険の尺度となるのは、「体の中に入ってくる放射性物質の量」である。その放射性物質には、発癌性のほかに、2つの特徴がある。一つは長期性であり、もう一つは濃縮性である。そして体内で濃縮を起こすのが、内部被曝である。

 この最大の特徴が、ICRPとIAEAによって無視され、闇に葬られてきたために、未だに世界中のほとんどの人に放射能の危険性が認識されていないのである。その結果、日本のテレビも新聞も、食品業界も、福島原発事故の内部被曝問題を、ほとんど真剣に議論していないのだ。我が国における福島原発事故後の基準―食品1kg当たり100 ベクレルという数字が危険過ぎるにもかかわらず、この数字を超えない食品は安全だという迷信が日本中に流布している。

 放射能というのは、ある一定の時間に、どれほど多くの放射性原子が崩壊するかを示す術語だ。1ベクレルは1個の原子が1秒間に崩壊する際の放射能の強さに等しい。1キュリーは370 億ベクレルに相当し、1秒間に370 億個の割合で崩壊する放射性物質の量と定義される。これら人工放射性核種が、バナナやその他の野菜に含まれるカリウム40のような天然の放射性核種と比較されることがある。しかし、天然の長寿命放射性核種のほとんどは、通常地殻に存在し、その放射性が非常に低いため、このような比較自体が間違っている。カリウム40の放射能は1グラム当たり1000万分の71キュリーしかない。セシウム137 は1グラム当たり88キュリー、ストロンチウム90は1グラム当たり140 キュリーの放射能を持つ。言い換えるなら、セシウム137 はカリウム40の約1200万倍の放射能を持つのだ。原子爆弾とダイナマイト1本を比較しているようなものだ。

 人体の中に蓄積された放射性物質の量は、現在ではホールボディカウンターという測定器で測ることができるが、セシウム137 が放出する透過性の高いガンマ線しか測定できないので、絶対量の測定ではない。ストロンチウム90や、染色体異常を引き起こす放射性水素トリチウムが出すベータ線(電子)は、全く測定できない。東日本全域に降ったセシウム137 が出しているのは、ガンマ線だけでなく、実はそのベータ線である。また、猛毒プルトニウムが出す「アルファ線」(ヘリウム原子核)のエネルギーは特に強く、この放射線も測定できない。どのような種類の放射性物質が、体内のどこに、どれほど蓄積しているかを測定できなければ、実際の被曝量を計算することは不可能なのである。

 最大の問題は、最も危険な地帯の福島県内で行われている実質的な放射線の測定が、空間線量である、という点である。つまり、モニタリング・ポスト線量計などで空気中を飛び交う放射線を測っているだけだから、内部被曝量とは関係のない数値である。

 内部被曝にとって最も重要な単位は、体内に取り込む食品と、水、呼吸する空気中の放射性物質の種類と絶対量(ベクレル)の総計なのだから、東日本全域の土壌の放射能濃度(ベクレル)を実測しなければならないのだが、日本では空間線量の推定ばかりが横行して、ベクレル実測が行われていないのだ。

                     *図版、写真は「北海道新聞」、「週刊金曜日」から転載


 

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