日記95

ただいま修行中  番外編

8月、9月、10月とマウイから帰ってきてから意気消沈が続いていました。私の意気消沈はいろんな原因がありますが、理由はどうであれ、心に見える景色が灰色になってしまうことです。
自分が見つめる世界に色がなくなってしまうのです。グレー一色の世界です。
これは私が小学校の時、ちょうど思春期に入るときに体験していた絶望感と関係があります。
小学校の高学年になって私は、突然自分の内側で色がなくなって、すべての状況が無意味な殺伐とした絶望感に襲われるという精神状態によく陥っていました。とても不思議ですが、どんなにおいしい食事を家族とともに取っていても、母が私に話しかけてきても、その時の色は無彩色。生きていることが何の意味もなくなってしまう不思議な体験でした。それは突然私の内側に生まれて、あ。。また来た!と思っているあいだにも母の笑顔や見えるものすべての色が消えて、そして食べている物の味がなくなり、感覚の死、ともいえる無意味さに襲われて・・・数分すると来た時と同じようにす〜っとまた色が戻ってくるのです。暖かい感情がよみがえってきて、母の笑顔も父の笑顔も姉たちの笑い声もおいしい食事も戻ってきて。11歳の私は内心ほっとするのです。ああよかった! 消えた!と。

当時の担任、岡部先生はやはり恩師だと思います。彼は私の内側に頻繁に生じている絶望感をまったく知りませんでしたが、自分の受け持ちの生徒への深い洞察力がありました。
父兄参観に来た私の母に「お宅のお嬢さんは大きくなったら自殺とか、間違った道へ行ってしまう可能性があるから、何か彼女が夢中になれる事を見つけてあげなさい」とアドバイスしてくれました。
母は驚いて私に「お前何かやりたいことはあるの?」と聴いて。私は「う〜ん、歌手かバレーリーナになりたい」それが私の歌人生のはじまりです。そして12歳でテレビに応募して歌手への道を歩き始めるようになってから、それまで頻繁に訪れていた無色、無味、な絶望感はいつの間にか消えてゆきました。

今ではその絶望感は私の数ある過去世の中の人生体験からきているということを認識しています。

いつも、自分の根っこのところには深い虚しさがあって、何かきっかけがあるとその自分の絶望感に行きあたります。表面的には明るく生きているのも、波乱万丈な、マウイと日本を行き来するという変化を好む人生を送っているのも、すべてその自分の内側にある絶望感を感じたくないからだとだいぶ前から気が付いていました。
でもやはり私の心はもっともっと成長しなければならない時期が来たようです。
今まで後回しにしてきた未処理の感情。自分の中にあるその絶望感をしっかりと見つめてトランスフォーム(変容)させてゆくプロセスが否応なくはじまってしまいました。
今まで経済的な事に重点をおいて書いてきましたが、この経済に対する不安感も、詰まるところは私のカルマとして浮かび上がってきた絶望感を私自身に認識させるための導入だったようです。
これから、この自分の絶望感とどう向き合って、行くのか、それらのワークを自分なりにしてゆく前に、私自身が認識している過去世のビジョンの中で、たぶんこの絶望感の一番の原因ともなっている悲しい女の子の物語を綴る必要がありそうです。

私は小学校3年からそれまで住んでいた。横浜の駒岡町にある旭小学校から東京世田谷の若林小学校に転校しました。駒岡町の家の周りはまだ道路が塗装されていませんでした。それが世田谷の祖母の実家、下代田に移ってきて、近所の子供たちはアスファルトの道路にロウ石で絵を描いていました。今のように車もほとんど通らない裏道の大きなコンクリート道路は子供たちにとって自分の意識を自由に広げることができるキャンパスそのものでした。
私も絵を描くようになりましたが、その絵はなぜか鎖に繋がれた女の子の絵でした。毎回同じ絵を描いていました。8歳の女の子の心の中にいったいどんな心象風景があったのか。

大人になって、八丈島に移り住んだことをきっかけに精神世界にふれ、自分が生まれ変わって過去に人生を何度も生きているという世界観に出会ってから、徐々に理解できてきたものがあります。
その女の子は私自身でした。今の私の人生に大きな影響を与えている過去の人生、その人生がみじめで悲惨であればある程、私の内側でそれらを乗り越えて愛にあふれた精神状態を生み出しバランスをとって生きてゆきたいとの切望感が募ります。それが今回自分が生まれてきた大きな目的でもあるからです。私は生きる喜びを表現するために生まれてきました。

その女の子は歩くと内側にあるとげで血だらけになってしまう靴をはいていました。遠くまで逃げることができません。時代は戦国時代…でもきっと日本ではなさそうです。中国大陸か朝鮮半島のどこかなのか、友人の霊能者の方は頭に冠のような髪飾りが見えたので中国だろうとの意見でした。私もそう思います。
荒い荒い波動のまっただ中、地獄のような略奪と殺しあいの世界にその女の子は生まれ、生きて、死んでいきました。

次回から、その女の子…過去の世界で生きていた私を、今の自分がどうやって見つけ出したかを、お話ししてゆきたいと思います。

写真はハレアカラの朝日を背に受けて山の精霊にごあいさつの歌を歌っているところ。そしてその後に出会ったNENEGOOSE


 

diary目次 | トップページ