日記83

ただいま修行中 その二

 

さて今・・・私は新たなカリキュラムコースの中に突入して、、、むむむむっずかしい!!
まず大まかなコースの概要を説明すると、経済的な問題を克服してお金持ちになること。なんだけど、どうしたらお金持ちになれるのか・・・見当もつかない。
それにお金持ちとは何を定義にお金持ちというのか???
もちろん自分の銀行口座に ン百万円・・いや、ン千万円・・いやもっと・・ン億円が入っている人を言うのであれば・・・私はきっと無理だと思う。
私にとってのお金持ちの定義は・・・自分が好きなことをできる経済力を持っていること。私にとっての好きなことは。自分が行きたい、行く必要を感じている場所へ行くこと。それは日本国内でも、世界でも同じ。今でも、私自身の一番の経費は交通宿泊費だ。特に、コンサートなどの仕事で地方に行くだけでなく、そこで何か意義のあると思えることが行われているところへ、是非歌いに来て欲しい・・といわれたときに、私はいつもジレンマに襲われる。そこへ赴いて、歌いたいと思う気持ちが募れば募るほど、自分がプロの歌手で、お金をいただかなければ歌わないというポリシーを持たなくてはいけないのでは・・と思う気持ちとの間で、心が揺れるのだ。
私は自分の声や歌は自分が努力して得た。という自覚があまりない。私には自分の天性は、神様から頂いたもので、それはみんなと分かち合わなくては・・と・・・いう気持ちが常時あって、それを自分のエゴでお金が入るから、やる。入らないから断る。という、割り振りがうまく出来ない。でも今現在私は歌うことで生活費を稼いでる。プロの歌手だ。お金を払って私の歌を聞きに来てくれるお客さまが、居てくれることへの感謝と、自分が歌いたいと思ったときに、お金が派生しないで私の歌を聴いている人々もいて、どちらも大切なひと時なのだ。
私は今、日本全国の女性刑務所を歌って回りたいと思っている。
私は今、日本中の聖地を歌って歩きたいと思っている。八丈島の森で歌っていたようにはだしで歌い歩きたいと。


昨年、自分にはマネージャーが必要だとおもって、某事務所に自分を売り込みに行った。残念ながらいまだにその事務所からなんのお返事もないので、就職は失敗したみたいだけどそのときにオーナーの方が私の印象を「ネネさんは裕福なイメージがありますね」と、
評してくれた。マウイに住んでいて日本といったり来たりしているからだという。
以前にも、和歌のCDを製作してくれたVENNTAINスタジオのオーナーに、
「ネネちゃんはお金持ちっぽいよね。」といわれて、驚いてかぶりを振った覚えがある。私は決してお金持ちでも裕福でもありません。
行動力があるだけです。そして自分の行動力にお金がついて来てくれたら、私にとってはお金持ちといえるのですが・・・・

今、とりあえず“ユダヤ人大富豪の教え”の著者で自らもお金持ちの、本田健さんというお金の専門家が出している“幸せな小金持ちコース”という通信教育を受けて、お金のことを学んでいる。そして知らないことばかりの自分に・・目からウロコ状態で夢中になっている。
でも、この期に及んでなぜお金なのか・・・。59歳にもなってですよ・・・普通59歳といったらもう孫もいて、年金ももうじき降りて、ある程度の貯金もあり、悠々自適に暮らしている・・・まあ私の3人の姉夫婦たちを見ていて、けっして派手ではないけれど、人間が普通に毎日を勤勉に暮らしていたら、今の日本ではそうなるのだろうと思えるぐらいの余裕を身に着けている。家を持ち、車を持ち、孫をもち、まさに中流の人々なのだ。
その姉たちの頭痛の種が私なのです。
最近も私が一切の保険の類に加入していないことが判明して、年金もない私に、
「一体どうするの?年取ってくると体が若いときとは違って動かなくなるのよ、病気になったらどうするの?誰が面倒見てくれるの?入院したら誰がその費用を払うの?お願いだから保険に入って頂戴!!」

「ハイ分かった保険に入ります。」といってまだ入っていない私。
ここで、今までの自分の人生を振り返って、人生の最後の青春時代と思える今、すべての条件がそろってお金という問題がクローズアップされてきたのだと思う。現実的に、お金は必要だし、そのお金のことで現在、私自身がクレジット会社に多額とはいえないが、借金も抱えていて、返済方法などを含めて真剣に考えざるおえないところに立たされているのだ。

私の母は、4人の子育ての時期に自分の夫(私の父)が経済的に安定していないためにやむにやまれず、私が小学校2年のときに東京の自由が丘で始めた小さな小料理屋が良いお客さんに恵まれて、いつしか、まあまあの小成功を、してしまった女性ですが、本人は頼りがいのある夫に甘えて生きていく人生を望んでいたようで、働かなくてはならない妻の立場を時々嘆いていた。
「経済力のない男は男でない」とか「世の中やはりお金がなければどうにもならない」等と私が成長してくると自分の人生での見解をよく述べていた。
私としては、彼女の世界観が、自分の夫に対する不満の中から出てきたものだということを感じていて、素直に受け取れません。いつも心の中で、
「母の言うことは偏っている・・・世の中お金がすべてじゃない」と反発をしていたのを覚えている。

そして、じゅん&ネネで若くしてお金を持ってしまった私は、22歳のときに芸能界の持つ虚についていけなくて、じゅん&ネネを解散してロンドンへ行った。かっこよく言えば留学だが、内的な事情は、ただひたすら自分が知らない人は、相手も自分を知らない、というごく普通の人間関係の中に身をおいてみたかっただけだった。狭い日本ではテレビ文化が全盛で、当時、私の顔は10人中9人の人が知っていた。そんな環境から英国のロンドンへ脱出。
そこで贅沢三昧の生活をしていたが、ある日、知り合った、最初の夫Aさんが貧乏で皿洗いしていたのをみてあこがれてしまった。外国で皿洗いしながら音楽をやっているなんて、かっこいい!と。
今までお付き合いしてきたお金持ちの息子さんたちとはまったく違う世界に生きていたAさんは、ビートルズのアビーロードのアルバム写真から目と鼻の先に建っていた私のフラット(アパート)に遊びに来たときに、部屋の片隅に私がパリから帰ったばかりで無造作においてあるブランドグッチの二つのボストンバックをちらっと見て
「あのさ、こういう物はね、君の本質とはまったく関係ない物なんだよね」といい、そのままおもむろに、弦の切れたギターで歌を歌いだした。(彼はお金がなくて弦が買えなかったのです)
♪ 二人にあるものは・あの空とこの大地・ほかには何も要らない・僕は君だけを愛している 僕は君だけを愛している。♪
私はその歌を聴いて感動して涙があふれた。そして自分自身に誓ったのだった。
「この人と、何も持たないで、生きてゆこう。愛する彼と空と大地があれば、ほかには何もいらないんだ。」貧乏ライフを選択した瞬間だ。
それは自分の母親に対する証明でもあった。
「お母さん、愛があれば・・お金がなくたって幸せに生きていけるよ」
その22歳のLONDON時代に私はこれからの人生、自分が貧乏で生きてゆくことを選択したのだった。

写真はハレアカラ山頂の駐車場で出会ったNENE

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