日記82

ただいま修行中・その一

 

いつごろからなのか、自分の人生を学校のような気分で、見つめるようになったのは。多分昔からそんな思いが何処かにあって、いつの間にかその感覚が自分の血と肉になって当然のように思って生きているのだと思う。
人生は、カリキュラムにそって、学んでゆく幼稚園?の様なものだ。一人一人微妙にカリキュラムが違っていて、どれもが大切な学びのプロセスにいる。こんなことを思えるのも私の生まれた日本という国がとりあえず戦争を体験して、貧しくただ必死で生きてゆく状況から、もう少し、精神的なことを考えられる状況にまで成長?したからかもしれない。
私は“サヨナラ戦争”という歌を歌っている。その歌を聴いて、一緒に歌ってくれる大勢の人々と言葉や理屈でない感覚でつながりあっていく体験を通して、今後、日本人は二度と戦争をしないという認識に至っている。一作年前まではまだ、不安があった。でも2007年広島の原爆記念日に原爆ドームの前でその”さよなら戦争”を歌っているときに突然、白い大きな鳥がどこからか飛んできて原爆ドームの上に止まったのを見て、多分その時に、私の潜在意識の中で何かを理解したのだと思う。2008年の広島での原爆ドーム前の平和イベントはいままでの鎮魂と祈りのイベントからまるでメビウスの輪がひらりと裏返るように平和を喜び祝う祭典に変わってしまっていた。
そして、理解したのだ。絶対後戻りはしない・・と。
日本がまた戦争をしてしまうとは、日本という国が戦争という大きくて深い、一番大変なカリキュラムの学習を終えたにもかかわらず、進級しないで落第してしまうことになる。
そして、みずがめ座の時代の今、日本人の潜在的な集合意識は、戦争から学んだものをしっかりと理解して、血肉として、戦争は幼い、ナンセンスなものという答えを出してしまっている。それを“サヨナラ戦争”を歌うたびにひしひしと感じるのだ。私たちは成長している。
私個人の人生カリキュラムは盛りだくさんで、時々学んでいてため息が出てしまうことがあるが、大体にして、うまくこなしていると思う。今だから言えることかもしれないけれど2度の結婚も面白かったし。学びが深かった。あれで一挙に成長した感じがする。
人間として早く成長したければ、結婚はとてもよい学びの場だと思う。まったく素性の違う二人が日常生活を共にこなすことによって見えてくるものがある。愛し合っているつもりの男女が実はただ、自分の望むとおりの反応をしてほしい、してくれているからそこに愛があるように思えるだけだったり、何かの条件下で愛している錯覚で結婚してみたり・お互いはいい関係なんだけど、双方の両親とのかかわりでギクシャクしたり、それぞれの学びがあって、どんな結果になろうとも、結婚生活にはただ、恋人がいるだけでは味わえない複雑な学びがある。

以前、私の友達に、フィンランド女性と、マレー系シンガポール人の男性のカップルがいた。二人は私が瞑想ルームとして借りていた三宿の外人アパートの住人で、部屋は私の隣だった。日本家屋の隣の部屋なのでプライベートはほとんどない、いつも話し声から、メイクラブの息ずかい、及び、振動まですべて筒抜けの状態だったが、彼らの一番の意見の食い違いは、窓を開けるか閉めるか。フィンランドの妻は育った環境からも、窓は閉めることが正しいと信じていた。そしてシンガポール人の男性は、窓は開けて風を通しておくことが良いことという認識を持っていた。部屋の窓、入り口の窓、それらの窓を開け放しにしておく夫に対する妻の怒りの言葉を壁越しに聞きながら、私はよくため息をついていたのを覚えている。結局彼らは別れてしまった。とても愛し合って大恋愛の末に結婚した二人だったが、お互いの生まれ育った価値観の壁を乗り越えることはできなかった。両方とも素敵な人たちだったので彼らが離婚してしまったときにはとても悲しかった。でも、私個人の学びからすると離婚をするプロセスの中にも深い学びがある。カリキュラムの中でパートナーとして私の人生に参加してくれた二人の男性には心から感謝をささげたいとおもう。
私は、究極には、男性と女性はひとつから分かたれてきていると思っているので、いつかわたしの半身と出会えるという確信がある。でもそれは私がもっともっと自分のことを知って、余分なエゴや思い込みなどを、手放して、ありのままの自分に戻って行ったときにめぐり合えるのだと思っている。今世で会えればいいけど・・・まだまだ未熟なもので・・

又続きを書きます。

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