日記50

2008年58歳の誕生日に寄せて

 

昨日は6月15日誕生日だった。
ミュージカルパートナーでもあるWALTER SCHMID氏の招待でPAIAという町にあるカジュアルフレンチレストランにディナーを食べに行ってきた。
料理はまあまあだったがウエイトレスの女性がフランス訛りの英語で、ドイツ訛りの英語のWALTEには同じヨーロッパ圏の雰囲気がリラックスさせて楽なのだと思う。
WALTER氏は始終笑顔で、私もとても楽しいディナーだったのだが、そのレストランに行き着く前に今後の私の人生のなかで、とても示唆的な光景に出くわした。

食事の前に私は家で飲むための蒸留水を買いにマーケットの駐車場に車を止めた。
車を止めた真正面が石段になっていて、私の車がそこに着いたのと同じようにそこの石段に一人の男性が歩いてきてナップザックを肩から下ろして座った。
瞬間的に私は彼がホームレスだと判断した。何故そう思ったのか分からないが、そこは一晩のねぐらを構えるにはちょうど良い小さなコーナーの石段で、それに彼がちょっと薄汚れたようなとてもくたびれたアロハシャツを着ていたから。
車から降りてマーケットに向かうときに彼が何かわたしに話しかけたが、何を言っているのか殆ど聞こえなくて、私は無視してそのままマーケットへ。
そして水を買い車に戻ると、彼は同じところでナップザックから本を取り出して読んでいた。
ドアを開けて水のボトルを車の中に入れて、乗り込もうとしたところで又彼が何かを話しかけた、彼との距離は4〜5メートル。今度は無視するわけにはいかなかった。
私はジェスチャーで言葉が分からないことを伝えた。彼はあきらめたように肩をすくめて、私は内心ほっとして車に乗り込んで、駐車場をでた。
たったこれだけの光景なのだが、私はなんとなく後味が悪かった。
知らない人と接するときはどうしても瞬間的に身構えてしまう自分がいて、自分の態度がとても後ろ向きだった事を私の良心が恥じていた。
もっと私らしい良いコミュニケーションがとれたはずなのだ。
でもどうすりゃいいの?
夕暮れ時の人のいないパーキングロットで石段に座っている男の人に声をかけられたら、お金をせびられるのではないか、とか、襲われるのではないかとか、無理難題を押し付けてくるのではないかとか、それらのネガティブな推測がまず先に私の心を占領してしまって、それ以外の選択が思いつかなかったのだ。

そしてレストランに入ってしまえば、そんな情景はすぐに忘れてしまって、楽しいひと時を過ごして家に帰ってきた。

真夜中に目が覚めた。

私の潜在意識はそのレストランでの食事よりも、スーパーマーケットの駐車場での光景のほうを鮮明に覚えていて、そのとき私が取るべき態度のヴィジョンを知らせてきてくれた。

彼がホームレスだと思ったとたん、私は関わりたくないというネガティブな思いがよぎってしまって、その結果の態度になってしまったが、ホームレスであれ一人の人間として私に話しかけてきたのであればちゃんと応えたいと私の良心は願っていた。

私が、昨夜彼に取らなくてはいけなかった態度は、言葉が分からなかったら、ちゃんと日本語で分かりませんと言うこと、そして、もしお金をせびられたら、お金の換わりに歌をプレゼントしよう。(その時、私は7ドルしか現金の持ち合わせがなかった)

彼の人生に祝福がたくさんありますように。

そしたらわたし達は笑って別れられたはずなのだ。お互いの生きる境遇は違っても、出会いの楽しさに感謝しながらALOHA!!と言えたはずだった。

それが今後、私が送る人生の選択て選んでゆきたい光景です。

はっぴいばーすでい早苗、58歳まだまだ青春真っ只中♪

 


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