日記39

FIND HORNの旅・・その3“IONA ISLAND”


日曜日の午前中は自由時間だったので私は早速散歩に出た。島を縦断する一本道を海に向かって歩いてゆくと20分ほどで海岸に出る。朝早くて誰もいないビーチにたどりつくと私本来のキャラクターが顔を出して、すぐ靴を脱いではだしになる。スコットランドの北の果て、それも3月下旬のビーチは、自分の知っているMAUIや八丈島の海岸とは温度が違うが、自分の足の裏から伝わってくる土地のエネルギーが体全体に行き渡り、活力と喜びを与えてくれる。海は全て繋がっている、そしてその砂浜は人間の作ったごみが全く無くて、完璧に美しかった。波打ち際を裸足で歩きながら、見上げれば澄み切った青空、誰もいないビーチで仰ぐ空の気高さ、ため息と憧れ、渇望、感謝。八丈島で覚えて、マウイでもよくやるわたしの至福なときのしぐさ。

そしてやっぱり私は考える。なぜ、こんなにも違ってしまったのだろう・日本の海岸が何処もごみで一杯なのは何故なんだろう、16年前に訪れた島根の隠岐島で誰もその海岸に行き着くことができないような断崖絶壁の海岸でさえ、崖の上から見えたのは目を被いたくなるような漂着ごみの散乱だった。一昨年の沖縄のやんばるの海岸で、誰もいない砂浜で、やっぱり胸が痛んで拾い始めた漂着ごみ、多すぎて2日間の滞在中に両手に一杯のごみ袋を引きずって、何処に捨てればいいのか。民宿に持って帰って、お礼を言われたけど。

同じ地球の小さな島で、今私が見つめている海の対岸には大小の島々があり、その向こうにはアイルランドがある、この島の海岸に漂着ごみが全く無いのは、対岸隣国のアイルランドや、スコットランドと言う国がチープな消費文明にさほど汚染されていないという事なのだ。日本の海岸に散乱する漂着ゴミは、まさに100円ショップの成れの果てみたい。

2時間ほどの海岸散歩は、自分にとって初めてかと思えるくらい、砂浜の石を拾う体験に恵まれた、いつもはごみを拾ってしまう私が、ごみのない海岸で子供のように夢中で美しい小さな石を拾い集めるなんて・・・

最後にはいつも持ち歩いているクリスタルをポケットから取り出して、波打ち際にある岩場に置き、冷たい海の水に浸した。このクリスタルはMAUI島の私の住んでいる場所にあるTWIN FALL(双子滝)の滝つぼに捧げ物とし て沈めた小指ほどの小さなクリスタルと繋がっている。寄せては返す波のために白い砂にうずもれてしまいそうなクリスタルを見つめながら、マウイの双子滝が又キラキラと輝き取り戻すことを祈った。

そしてアイオナ島の精霊に捧げる歌をうたう。私のイノチの発露。歌えることの喜び。

儀式を終えて、靴を履きゆっくりとコテージへの道を戻って行く。ポケットにはクリスタルと拾った小石たちが狭そうに寄り添っていた。

午後はゲームをするにあたって事前に自分の人生の中で何を変容させたいのかを明確にするためのミーティングがある。さて、私は何を変容させたいのだろうか?


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