日記37

スコットランド・FINDHORN(フィンドホーン)への旅(その1)

3月15日から半月間、スコットランドをおとずれた。目的地は北スコットランドにあるFINDHORN FOUNDATION・ヨーロッパの精神世界をリードするコミュニティです。
ご存知のかたも多いと思う。知らない人のためにちょっと説明させていただきます。
アイリーン・キャディーとピーター・キャディ、そしてドロシー・マクレーンの三人が小さなトレーラーで海沿いの閑散とした砂地のキャラバンパークに住みついたのがこのコミュニティの始まりで1960年代のことです。彼らは生活の全てを神と精霊からのガイダンスによって行い、砂地の畑から普通ではありえないほどの豊かな野菜たちを生み出し、一躍有名になりました。そのうちにそこを訪れ、彼らと一緒に生活をする人々が後を絶たなくなり、今では400人以上の人々がそこで生活をして、年間15000人以上の英国や海外からやってくる人々のためにワークショップを開いて新しい生き方の紹介をしています。


私がFINDHOENのことを知ったのは1989年八丈島で開かれた“イノチのマツリ海編”で、おおえわかこ&まさのりご夫妻や山川亜希子&鉱矢ご夫妻とともに来島された寺山心一翁氏の話でした。
今回のきっかけは、昨年マウイからネットで見つけた軽井沢にある不思議な喫茶店
“カフェフルール”にWALTER SCHMIDとともに歌いに行ったのが大きなご縁です。
カフェのオーナー広瀬尚子さんが毎年FINDHORNでの体験週間ワークショップを日本でオーガナイズしている方で、今年も募集していると聞いたときにぴんと来て参加することを決めました。

http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/findhorn1.htm

又広瀬さんがファシリテーターをしているトランスフォーメーションゲームにも非常に惹かれるものがありました。ちょうどそのツアーの後にIONAという島にあるコテージでオリジナルなTeansfoemation gameが行われることを知った私は体験週間の後皆と別れてそのゲームを受けに行くことにしました。

35年ぶりのヒースロー空港に降り立つとき、窓から見えるLONDONの町並みに、自分がじゅん&ネネを解散して一目散に英国に来た時もこうやって降り立つ飛行機の窓から心細さと期待感に胸を一杯にしてLONDONの町並みを見つめていた記憶が蘇り感慨にふけりました。「わたしは何も変わっていない。ただちょっと人生の経験を多くしただけであって、本質的には何も変わっていない、相変わらず自分を夢中にさせてくれるものを追い求めていきている」と思いました。
ヒースローから国内線に乗り換えてスコットランドのアバディーンというところに向かいます。日本にたとえれば東京から北海道に行くようなものでしょうか、実は自分があまりなじみのない場所、それも大勢の人間がいるところではそこの磁場と人々の発するVIBRATIONの流れに体がくらくらとめまいを起こすのですが、やはりヒースロー空港でも同じで、乗り換えの飛行機を待っている間、行きかう人の流を見ながら、くらくら状態を楽しみました。ハワイで初めてSAFEWAYというスーパーマーケットに入ったときも幽体が離脱ではなく剥脱しそうなほどクラクラ感があったのを思い出しました。
アバディーン飛行場からバスで2時間、FINDHORNに到着したのは凍てつく夜の8時過ぎでしょうか、ひとまずまだ体験週間が始まるまでの2日間は昔の貴族の家を改造して宿舎にした建物で過ごすことになっていて私は同室の女性ふたりと和気あいあいに心地よく過ごしました、ただし、、、忘れていた。。。ヨーロッパの水事情。シャワーを浴びようとしてお湯をひねっても出てくるのはちょろちょろとしたぬるま湯で、もう寒くて寒くて、
最初は怒りがこみ上げて、そのうちがたがた震えながら笑いがこみ上げて、もう漫画!!
日本の温泉が恋しかった。
2日目に体験週間が始まって私たちも宿舎のCULNY HILL COLLEGEに荷物を降ろして雪の降るスコットランドの景色を堪能しながら食べる朝食は全てが美しくホワイトグレーの清らかさがありました。


体験週間のワークショップはカリキュラムが密でぼっとする時間もないほど忙しかったけど。そんな中で私が一番好きな場所はサンクチュアリー〔聖域・瞑想室〕。
真夜中に目を覚まして、サンクチュアリーに呼ばれているのを感じて、出かけるとそこには誰もいなくて、沢山の安らぎだけが私を待っていてくれ、部屋の真ん中にあるキャンドルに火もつけず座り込めば、すぐに内側の扉が開き深い瞑想状態が訪れるのでした。八丈島の母松の下で何時間もすごしたあのときの安らぎが蘇ってきて、自分が瞑想を覚えていることに驚きもしました。八丈島をでて、マウイ島をでて、横浜に住み始めていつしか忘れてしまっていた深い瞑想状態を真夜中のサンクチユアリーで体験することが出来ました。
FINDHORNで私が体験したことは沢山あるけど、これはとても重要なことだなって心から感じたのは、キリスト教や、仏教、神道に見られる祭壇や偶像崇拝対象がないこと。
たとえば創始者のアイリーン・キャディやピーター・キャディー。まだ健在のドロシー・マクリーン達の肖像写真はCULNY HILL 入り口のレセプションには飾られているが、サンクチュアリー・聖域には十字架もない。神さま!と言って拝む対象がないのです。
在るのは丸く輪になるように置かれた椅子と結跏趺坐を組むためのクッション。その中心におかれたキャンドルだけ。各々がそこに座って自分の内側に住む神性と出会う場所。外側にあるものが内側の反映であることが何も言わなくても示されているその場所が、FINDHORNを支えている叡智なのだとおもいます。神は外に求めるものではなくてそれぞれの個人の内に求めるものなのだ。
この気付きが私にもたらした意味は大きいと思う。一人一人が神を表している。そして神とは宇宙のありとあらゆるところに遍満するエネルギーに他ならない。私が神ならば当然あなたも神で、動物はもちろん、森や花や、野菜や、石までもが神の一部なのだ。そんな真実がFINDHORNではなんの障害も無く当然のことのように、受け入れられている。
物質文明が終わりを迎えて、新しい生き方が見つからなければ人類は遅かれ早かれ滅亡するという警告が人々の口に上っても、まだぴんとこないで、今までの流れの中に留まって試験勉強や、大企業への就職、出世などにしがみついている人々がいるが、その一方で着々と新しい叡智を身につけて生き方を変革している人々もいることに。希望を見出すことができました。新しい世界は、ロハスとピースとスピリチュアルな三つの要素が三位一体となって機能していました。興味をもたれた方はぜひFINDHORNを訪れて体験してみてください。


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