日記12

酒マガジン「BIMY」インタビュー 2005年3月号 より


 「歌鳥NeNeとしてカムバック」



 「じゅんとネネ」というデュエットは、40代後半以上だったらば、覚えているかもしれない。大ヒットした「愛するって怖い」を聞けば思い出すかも。そのネネさんは現在、早苗NeNeとして、地球環境保全活動や平和運動にもコミットするシンガーとして活躍している。そして今年は、じゅんとネネが完全復活し、CDもリリースする。でも、ここまでに至る経緯は、ちょっと長い話でした。NeNeさんの過去と未来の話をお聞き下さい。

   ■ NeNe、ハワイ州鳥ネネに出会う □□□□□□□□□□□□□□□

 ―NeNeさんがシンガーとして再び登場するまでに、いろいろな出来事があったかと思います。そのキャリアの中でもターニングポイントになったところから、お話をお聞かせ下さい。

NeNe 35歳を過ぎた頃、それまで東京にずっと住んでいたのですが、心身症になってしまい、いろいろな病院で診察を受けました。それで、37歳に東京を離れて八丈島に移ったのです。このときから、自分としての成長がスタートしたと思っています。

 八丈島にいたのは、10年間なのですが、ほんとうにいろいろなことがありました。定時制の高校に4年間通って卒業しましたし、町長選挙にも立候補しました。そして、離婚と同時に八丈島を出て、ハワイのマウイ島にあるコミュニティカレッジに留学したんです。

 実は、まだ卒業していないんですよ。

―じゃあ、まだ学生なんですね。ちょっといいな。

NeNe 本当に気分はまだ学生ですよ(笑)。それで、ターニングポイントなのですが、当時、カレッジに通いながら、環境NGOや国連のユニセフのような機関で仕事ができればいいなあって思っていたんです。でも、それには英語をきちんと勉強しておきたいので、4年生の大学、ユニバーシティに切り替えたかった。しかし、資金がないから、仕事もしなきゃいけないという問題がある。40歳を過ぎて、勉強とバイトの両立っていうのは、かなりつらいんですよ。2年制のカレッジでこんなに大変なのに、4年制で大丈夫なのか、すごく悩みました。そんな時に、ハワイのハレアカラ山に登り、そこで鳥に出会ったんです。その鳥の名前が、ネネっていうんです。

 ガチョウの仲間なんですけど、かつてはハワイ諸島に2万5000羽以上もいました。でも、90年代にはわずか500羽まで減少し、絶滅危惧種に指定された鳥なんです。

 この野生のネネという鳥に出会ったときに、私は「もう一度、歌を歌おう」って決心したんです。このときが、早苗NeNeのターニングポイントになります。

 最初に本「熟年少女」を出しました。次いで2001年にダライ・ラマの提唱もより広島県宮島で開催された「世界聖なる音楽祭」にもエントリーしたんです。そうしたら、「食べるところと泊まるところはあるので、ぜひ来てください」という返事をいただきました。ちょうど、学校が夏休みとなる6月だったので、ハワイから日本に帰ってきたんです。これが早苗NeNeとしての最初の活動ですね。

 帰国後、実家がある自由が丘の遊歩道でギターを抱えて歌ったとき、自分はストリートパフォーマーというか瞽女の気分になって、自分は聞きたい人がいればどこにでも出かけていって歌えるって思いました。

―そして、出されたCDが「WAKA 花のいろは」という、和歌を歌ったものですね。美しい日本の言葉がポップな音楽に乗っていて、とても気持ちの良い歌です。和歌は昔からお好きだったのですか?

NeNe 和歌に出会ったのは定時制高校の2年生のときの古文の授業でした。実は当時結婚していた夫が、八丈島の女性と恋に落ちたんです。そのとき私は、自分の夫が幸福に直面していたので「良かったね」って言ったのですけど、よく考えると私は妻ですから、そう喜ぶわけにもいかない。夫の恋の物語を肯定する気持ちと否定する気持ちで揺れ動いたんです。そのときに、伊勢物語の「筒井筒」という物語に出会ったんです。夫が愛しい人のもとに行くのになおその身を案じる物語ですね。その気持ちを詠んだ歌があるんです。それが自分の気持ちにぴったりきたんです。無条件に人を愛することを考えた時期でもありました。つらかったですけど。

 本当に和歌を歌うようになったのは、ハワイのカレッジで、ドラマの試験のときに、英文の説明を添えて歌ったのが最初でした。教授に感動していただき、試験の成績もAをいただきました。このときから、真剣に和歌を歌うことを始めました。

 和歌を歌うようになって、小野小町お姉様とか清少納言お姉様とか紫式部お姉様とかが、生きていたのが感じられるようになったんです。これからも和歌を歌っていくのがライフワークですね。万葉集から後々まで、特に女性の和歌を歌っていきたいですね。

    早苗NeNe、ツアーに出る □□□□□□□□□□□□□□□

―活動を開始して、いろいろなところにツアーに行かれたと思います。このインタビューの直前も行かれていたんですよね。

NeNe マウイ島で知り合った、私のパートナーであるギタリストと一緒にまわりました。ライブは彼と共同で作った歌と和歌の二本立てなんです。

―どんなところで演奏されたのですか。

NeNe ほとんど、神社仏閣でした。なんか、歌を奉納させていただいたみたいですね(笑)。だから、よくお神酒をふるまっていただきました。

―お客はどんな世代なんです?

NeNe 40代から60代まで。百人一首の歌ですと、皆さん、一緒に歌って下さって、うれしいですね。CDも買って下さいましたし。

―ところで、パートナーの方と作った歌はCDにはしないのですか?

NeNe もちろんします。今度は、それをCDにするつもりです。

―それも楽しみですね。ところで、ツアー先でいろいろなお酒を飲まれたと思うのですが、特に印象に残るお酒ってあります?

NeNe 島根県横田町ではよくおいしいお酒を飲みましたよ。おもに「玉鋼」ですね。あと「七冠馬」。

 それから、酒蔵でもよくコンサートをするんですよ。アカペラで歌うので、よく声がひびくんです。

広島の酒蔵でもコンサートをやったんですけど、そこのおばあさんが90歳以上なのにバリッバリに元気でね。名物がお酒をかけたシフォンケーキでこれがまたおいしい。そこで水がすごいなあって思うのは、この酒蔵の人がみんな病気しないっていうことなんです。この水を飲んでいる限り、病気しないんじゃないかって。産湯からここの井戸水ですからね。

 ところで、海外にいてインターネットで見ていると、東京よりも広島の方がメジャーなんですよ。何といっても平和都市ですから。それで、“聖なる音楽祭”以来、広島の女性たちとも知り合ったし、広島にいる僧侶の方が私の私設マネージャーみたいになってくれて、おかげで活動の中心になっているんです。今度の平和記念日にも歌いに行くつもりです。

―一方、環境運動や平和運動としては、どんな活動をされているんですか。

NeNe エコプロダクツ展という展示会があるんですけど、そこのイベントで1曲だけ歌ってくれって言われているので、「憲法第9条」を歌ってきます。

―それはいいですね。

NeNe これはいろいろなところで歌っていきたいですね。それに、もっと若い人にも聞いてもらいたい。

―ところで、環境問題や平和問題に関心を持つようになったきっかけって何だったんです?

NeNe 自由が丘に住んでいたとき、ゴルフ場跡地にビルが建設されるんですけど、その工事でたまたま木が倒される場面に遭遇したんです。そのとき、感情的に見ていられなくって、私は木に抱きついていたんです。そんなことがあって、木は移植されて残った。

 後に八丈島に行ったときに、あちこちでごみが流れていたりしたんです。地球が加速度的にだめになっていく気がして、それで町長選に立候補する。落選はしたのですが、選挙戦で訴えたことは少しずつ実現されたので良かったんですけど。そういったことからだんだん、人間というよりヒト科の「生物」であることに目覚めてきて。戦争のことにも関心が出てきて、日本が向かっている方向はだめなんじゃないかって、そう思うようになってきたんです。これは、自分が動かなきゃって、強く思うようになりました。

―ついでに聞いてしまうのですが、ベジタリアンになったきっかけも教えて下さい。

NeNe 30歳を過ぎてから。最初は玄米がおいしいなって食べていて、それからだんだん、お肉も食べなくなってきてしまいました。

    お酒を飲むとほっとする □□□□□□□□□□□□□□□

―お酒をめぐる思い出ってあります?

NeNe 私が子供の頃、母は自由が丘で小料理屋をやっていたんです。カウンターしかない小さなお店でした。元々は母の妹がやっていたお店なんですけど、急に亡くなったため、母が継ぎました。当時、家は神奈川にあり、母だけが自由が丘に住んでいたんですが、私は小学校6年生のときにオーディション番組に合格し、デビューするわけです。それからは、仕事があるので、神奈川に帰るのが大変になる。それで、中学生の3年間は母の店の3階に住んでいたんですね。でも、私は神経過敏な子でしたから、なかなか眠れない。すると母が、眠れるようにって、お猪口一杯分のお酒を飲ませてくれたんです。そのときから、お酒ってほっとするっていうイメージがあるんです。だから、逆にほっとしたいときは日本酒を飲むんです。でも、母はお酒を一滴も飲めないんですけどね(笑)。

 今はワインでも日本酒でもワイングラス一杯くらいをちびちび飲む。食事もお酒も美味しいっていうのが幸せですね。

 そうそう、私はこれまでずっと、化粧をしていなかったんですけど、今度、“じゅん&ネネ”を復活させるので、化粧もしなきゃって。それで、クレコスの米糠を原料とした、オーガニックコスメを使うことにしたんです。米糠はお酒を造るときに出るものなんですけど、クレコスのパーティのときにお酒の方もいただきました。これがすごくおいしかった。

―ところで、ワインエキスパートの資格もお持ちだとか。

NeNe そうなんです。だから、本当はワインを飲まなきゃって思うんですけど(笑)。

 和歌っていうと、学術的な堅い雰囲気じゃないですか。でも、もっとカジュアルに歌いたい。そこで思いついたのがフランス・イタリア料理店でのディナーショー。ドレスを着てピアノを弾きながら歌えばいいかなぁって。ワインが飲める場所なので、きちんとワインの勉強をしようかと。動機が不純ですけど(笑)。それでワインスクールに行ったわけです。

―ワインは白と赤、どちらがお好きです?

NeNe ベジタリアンなので、白ワインですね。日本酒にも近いものがあるし。

―ぼくも思います。白ワインの方が、日本酒好きの身体に合うなあって。

NeNe そうそう。赤ワインはねえ、納豆に合う赤ワインってないか、とか、私も探しているんですけど。ロゼはいいのがあるんですけどね。

―ロゼって色がついた白ワインですよね。

NeNe そうそう。

―今日のお酒はどうです。

NeNe このお酒、色が黄色くて瓶が変わっているのがすごくいいですね。

―これは、越後鶴亀の貴醸酒なんです。お酒で仕込んだ、ちょっととろっと甘いおさけでしょ。瓶は元々はドイツのビール瓶なんですよ。

NeNe 何という偶然。今のパートナーがマウイ在住のドイツ人なんですよ(笑)。

  ■“じゅん&ネネ”復活 □□□□□□□□□□□□□□□

―ところで、先ほど話に出ました、“じゅん&ネネ”の復活、くわしくお聞かせ下さい。

NeNe 私が歌を再開させたら、テレビ局の人が「あの人は今」みたいな番組で来るんですよ。私は活動再開しているからいいんですけど、彼女の方は子育てがあって、ずっと断っていたんです。でも、昨年(2003年)12月に、子供が大きくなったっていうこともあるのかなぁ、あるテレビ局からのオファーに応じたんです。それが再結成のきっかけになりました。

そうそう、いままでは彼女、髪の毛が長かったんですよ。そうしないと、じゅんだってわかっちゃうから。それをばっさり切ったんです。しかも金髪なので、フランスの男の子みたいですよ。

2004年はずっと、彼女と二人でどこまで歌えるか、試してきました。ステージも2,3回やったんです。それで、行けるねっていうことになって。2005年いっぱいは、“じゅん&ネネ”をやっていきます。過去にはとらわれないでやっていこうって思っていて。2月ぐらいにはCDを出す予定です。「愛するって怖い」はもちろん新たにレコーディングしたんですけど、その他にラップのお祭りソング「チョイス浅草」と、カラオケに合う「こけのむすまで」の3曲なんです。

―ラップにこけのむすまでですか。なんか、聞いただけですごいですね。でも、この3曲で終わるわけないですよね。

NeNe これはもう、名刺代わりです(キッパリ)。

―次はフルアルバムですよね。

NeNe 早苗NeNeとしては、ショービジネスの世界で活躍するのは、ちょっと違和感あるんですけど、じゅんと一緒だったら、デビ夫人や美川憲一さんと一緒に出演しても怖くない。そんな気持ちでやっていきます。

―じゅん&ネネも早苗NeNeもともに、過去にとらわれない活躍、とても楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

プロフィール
1965年、デユエットグループ“クッキーズ”としてデビュー。68年、“じゅん&ネネ”と改名、「愛するって怖い」が大ヒット。以降解散までの5年間に、3枚のアルバムと20曲のシングルを発表。89年、八丈島町長選挙に立候補し、地球環境保護をアピール。99年、早苗NeNeと命名、音楽活動を再開。2002年、「熟女少女」(学研)を刊行。アースデイTOKYO2002の司会。2003年、帰国後、本格的に活動開始。2004年、“じゅん&ネネ”再結成。

■ インタビュー後記 □□□□□□□□□□□□□□□

 今回、早苗NeNeさんとの素敵な出逢いを紹介して下さったのが、昨年1月号のインタビューで登場した岡田修さんの奥様の岡田さとみさんでした。「早苗さんという名前なので、きっとお酒も嗜まれると思いますよ」とのこと。その通り、この日は少しだけ、おいしいお酒を味わっていかれました。

 環境ジャーナリストでもあるもとはしは、エコプロダクツ展では、ぼくも別の仕事で参加していました。ブースでお客様の相手をしているときに、会場に響き渡る「憲法第9条」は、たくさんの人の心に一筋の光をもたらしてくれたことを、記しておきます。


美味しい酒マガジンBIMY 05年3月号(No.230) より http://www.bimy.co.jp メール


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