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◆抵抗のない世界

 今回は物理学の話である。あまりにも難解で日常生活とはまったく縁のない遠い世
界のこと、と思う人が大部分かもしれない。が、実はとてつもなく身近な話なのだ。
たとえば、電気。電気は手でつかむこともできないし(危ない!)、目で見ること
だってできない。しかし日常、私たちは様々なかたちでその恩恵を受けている。一昔
前からすると夢のような生活だ。そんな人類の夢に貢献してきた 物理の「目」で、
電気の世界を垣間見ることにしよう。京都大学大学院理学研究科の前野悦輝助教授に
お話を伺った。

超伝導の不思議な世界

 超伝導という言葉を耳にしたことがある人は多いだろう。極低温で金属の電気抵抗
が突然なくなる現象のことだ。今、私たちが使用している電気はすべて金属や半導体
の中を流れているわけだが、流れる際には必ず電気抵抗が生じる。電線などの配線に
は、電気抵抗が小さい銅が使われている。電気抵抗が問題になる理由の一つとして、
抵抗によって生じたエネルギーがすべて熱に変わってしまうことが挙げられる。物を
燃焼させているわけでもないのに、電気を流すだけで相当な量の熱が発生してしま
う、これでは非常に効率が悪い。
 なぜ電気抵抗は起こるのだろう。ここから舞台は一挙にミクロの世界になる。数億
倍にも拡大して金属の中を見ると仮定しよう。固体である金属の原子は規則正しく格
子状になって並んでいる。しかしよく見ると原子一つ一つがブルブル振動している。
電気が流れるということは、原子の間を電子が流れるということだ。しかし原子は振
動しているので電子がボコボコとぶつかってしまう。この電子の流れの乱れが電気抵
抗になるのだ。
 そもそも温度とは原子たちの活発な動きの度合いを測るモノサシのようなもの。気
体、液体、固体と、温度が下がるにつれて原子の動きは鈍くなり、絶対零度とよばれ
るマイナス273℃になるとやがて原子の振動はゼロ点振動という奇妙な動きを除いて
は停止してしまう。
 単純に考えると、温度が下がり振動が小さくなるにつれて次第に電気抵抗はゼロに
近づくはずだ。しかし、実験すると、徐々に小さくならずに、「ある温度で突然」、
抵抗が完全にゼロになるのだ。これが超伝導状態。物質によって超伝導状態になる転
移温度は異なる。そこで、少しでも高い温度で超伝導状態になるような、取扱いやす
い新しい超伝導体を求め、世界中の物理学者たちの発見競争が始まった。

電子たちの出会い

 ところで、超伝導には謎があった。なぜ絶対零度になる前に電気抵抗が消失してし
まうのだろう。超伝導発見から約五〇年後の一九五七年、ようやく謎は解けた。
 原子はプラスに荷電した原子核と、マイナスに荷電した電子から成り、全体として
は中性である。太陽の周りを回る惑星のように、電子は自転(スピン)しながら核の
周りを公転する。金属原子は複数個ある電子の一部を手放す性質があって、マイナス
の電子を手放した金属原子自体は中性ではなくなり、プラスに荷電したイオンの状態
になっている。マイナスの電子(マイナス)は振動にぶつかって流れながらイオン
(プラス)を引きつける。すると今度はイオン(プラス)が別の電子(マイナス)を
引き寄せる。
 こうした原子の振動を媒介として、二つの電子が引き寄せられ対を組む。対になっ
た途端、事態は一変する。それまで各々に無関心、好き勝手に流れていた電子たち全
員が、一つのマクロな集団運動を開始するのだ。みんなで流れれば怖くない。振動な
んぞどこ吹く風とばかりに、電気抵抗も突然ゼロになってしまう。
「原子に電子がぶつかるほど電子の対ができやすく、超伝導状態になりやすいわけ
です。電気抵抗が大きい金属ほど、冷やせば電気抵抗がゼロになりやすい。逆説的な
話ですよね」

実用化へ向けて

 高温超伝導体探し競争は続いていた。誰もが電子対のできやすい金属ばかりを狙っ
たが、なかなか芳しい成果は出なかった。しかし、競争も行き詰まりかけた頃、また
しても逆説的な新発見がなされた。
 電気抵抗が小さくて誰も見向きもしなかった銅。その銅を酸化させる(錆びさせ
る)ことによって、35Kの高温で超伝導状態になることが判明したのだ。スイスのベ
ドノルツとミューラーの二人はこの発見によって翌年一九八七年ノーベル賞を受賞。
超伝導ブームの時代が到来した。キーワードは銅と酸素。以降10年足らずの間に銅と
酸素を使って50種以上もの超伝導体が開発され、転移温度はマイナス120℃にまで上
昇した。この温度だと、マイナス200℃近くまで冷やせる液体窒素で、超伝導状態を
簡単に手に入れることができる。
 コイルに電気を流すと磁場ができる。これが電磁石だ。超伝導体を使うことによっ
て、従来、猛烈に発熱する巨大な鉄のかたまりだった強力電磁石が、二万ガウス級で
も手のひらに乗るほどのサイズになった。リニアモーターカー(磁気浮上列車)の実
用化もすぐ目の前まできている。超伝導に特有の電子対による電気の集団運動を利用
して、超高感度磁気センサーも開発された。磁気共鳴を使って体内の断層写真を撮る
MRIや脳波の測定など、医療現場ではすでに超伝導は不可欠の存在だ。扱いやすい温
度になったこれらの高温超伝導体を、どのように使うのか。 実用化に向け各方面で
研究が着々と進められている。

超伝導の超ルール

 物理学者の多くは銅以外の物質にも目を向け始めていた。が、銅は原子当たりの電
子が奇数個だったため、奇数個の物質を狙う研究者が大半であった。一九九四年、前
野助教授のグループでは、電子数が偶数で目立たない存在であったルテニウムに着目
し、ルテニウムの酸化物が超伝導状態になることを発見した。さらに材質の改良を重
ね、大阪大学やコロンビア大学の研究者たちと共同研究を進めた結果、今年になって
超伝導状態のルテニウムが予想外の画期的な性質を示すことが明らかになった。
 電子のスピンには、時計回りと反時計回りの二通りのスピンがある。従来、超伝導
状態の電子対は、逆向きのスピンをもつ電子同士が対になったものしか知られていな
かった。しかしルテニウム酸化物が超伝導状態になると、同じ向きのスピンからなる
電子対が生じることが証明されたのだ。これがスピン・トリプレット(三重項)超伝
導である。
 逆向き同士だと電子自体の磁性は相殺される。しかし、同じ向きだと電子のスピン
と電子対の公転運動はともに相殺されず、微弱な電流が流れることになる。電流が流
れると、自発的に磁場も発生する。スピン三重項超伝導体は過去に一例が認知されて
いたが、複雑な電子状態であったため定量的な証明はまだなされていなかったのだ。
 「まさかこのような特性があるとは夢にも思いませんでした。物理学には過去の膨
大な研究の積み重ねからくるルールのようなものがあります。研究者はそのルールを
念頭に置いて研究を進めるわけですが、すべてのルールに固執していたのでは新しい
発見はできません。大切なのは、どのルールを捨てるか、ということです」。
 一つのルールを破って、スピン三重項超伝導という新分野が生まれた。ルテニウム
の超伝導体は比較的シンプルな構造だ。原理的性質の解明から応用まで、多様な研究
が期待される。
 物理分野の発展によって、世の中は目を見張るほどの変化を遂げた。そして、これ
からは何を見せてくれるのだろう。目には見えない物理の世界、それは私たちの世界
そのものなのだ。