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なまえのある家「Rupa」

第九回 「ち」に帰る時


 子供の頃、ドキドキすることが最高の楽しみだったように思います。大人にとっては当たり前のこの世界も、一枚皮を剥がせば不思議でゾクゾクできる世界に早変わり。「通りゃんせ」の遊び歌に「行きはよいよい、帰りはこわい」という文句がありますが、突然にして周囲の様相が変わってしまう、そんな瞬間がよくありました。行ったことのない近所の山に、調子にのってどんどん進んでいく。いざ帰ろうと思ったその時、気持ちよくさえずっていた小鳥の声が止み、木々がざわつく。もと来た道など、ほとんど覚えていなかったことに気が付き、言いようもない違和感と格闘しながら、ほとんど小走りになって山を下る…。そんなドキドキ感を求める気持ちが、外の世界へと誘っていたのです。
 外界に行くことと、家に帰ることを通して、目には見えないエネルギーを思いっきりもらってきたのでしょうか。行くことと帰ることで完結する遊び。今になって痛感することなのですが、行くことは簡単でも、帰ることは難しい。目に写るものを楽しんでいるだけで行きは済んでしまうのですが、帰りは、自分の内で熟された「第二の世界」とでも言い得るような内的なレベルと対面せざるを得なくなるのです。

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 「帰り」というものを再び意識的に感じるようになったのは、ここ天理市に引っ越してからのことです。教祖 中山みきが神がかったことによって起こされた天理教ですが、その神がかりの地点は「おぢば」と呼ばれています。信者は「おぢば」を世界創生の地として捉えていて、そこに参拝することを「おぢばがえり」と呼び、里帰りのように定期的に帰ることが奨励されています。そのため、天理市内に入る主要道には「ようこそおかえり」の看板や垂れ幕が数多くあります。旅から帰ってくる度に目に入る「おかえり」の言葉は、「帰ってきた」という思いを実感させてくれるのです。
 また天理は、神社を中心に古い祭祀が比較的よく残っている地域ですが、「帰ること」が祭りの主要な意味づけの一つとされています。祭りの時期に、土地を離れていた人々が帰ってくるというだけでなく、祭りのメイン行事である御神輿も「神様の里帰り」とされていることが多いのです。例えば、「奈良の祭りはじめ」として有名な、大和(おおやまと)神社の「ちゃんちゃん祭」では、おおやまとの神様が乳母であるヌナキイリヒメゆかりの場所を巡って里帰りします。
 この地にも、当時の権力者達によって編纂された「日本書紀」や「古事記」には記されていない、いや、文字によって封印されてきた、口承伝承があります。正史と呼ばれているものとの相違が大きく、詳細は未公表で、地元の人達の間にもまったく知られていません。しかし、古老が語る言葉は、古代のこの地の姿を切ないまでに感じさせてくれます。神様の里帰りを終えてこそ、大和神社とその氏子地区は、無事、春を迎えられる。古代に比すと極めて簡略化されてはいるものの、祭りのために頭屋を中心として今も準備される数々の祭祀儀礼の意味合いは、想像を超える深いものがあったのです。
 帰る神々によってエネルギーを甦らせる大地。しかし、人はどうなのでしょうか。旅に例えられる人生において、人はどこに帰ればいいのでしょうか。

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 沖縄の古くからの風習に「スダチ」と呼ばれるものがあります。人生において何か不穏なことが起こった時、自分が誕生した地を訪ねてウガン(御願)し、今生での感謝を祈ることで、本来の自己に目覚めることが促されます。神々やご先祖に、生まれ直しの正式な挨拶をすることによって、本当の巣立ちができるという意味なのでしょうか。一種の通過儀礼のようなものですが、行う年齢は決まっておらず、時期は基本的に自分で決めるようです。
 以前からスダチが気になっていた私でしたが、昨年末から深いレベルでの動きが頻発しており、ついに今年の誕生日に決行することにしました。地図で自分が生まれた病院を探した結果、そこが千四百年以上も昔、神仏をかかげて大勢の人々が戦った古戦場跡の真っ直中であることが判明したのです。病院の敷地内の気になる場所や周辺の霊地を巡り、一日かけてウガンしたあたりで、言葉にはならない感無量の思いで満たされました。そろそろ、私にも帰るときが来たのです。

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 以来、折々に「帰ってきた」という感覚は強まるばかり。この帰り道は、頭を使う必要がないという点では非常に楽なのですが、全身全霊にかかわることだけに衝撃的なことも多く…。ところで、私は一体どこに帰ろうとしているのでしょうか。今の私が言えるのは、まずは「ち」であるということです。
 「ち」は、「地」であり、「血」でもあり、「霊」でもあるようです。自分が今住んでいる地、自分がかつて住んでいた地、自分の御先祖が住んでいた地、自分を生んでくれた親、その親を生んでくれた親、そのまた親……。多くの「ち」に対する感謝の思いを、自らの内側から広げるとでも言えばいいのでしょうか。広がる先は、母なる地球、宇宙そのものなのですが、はじめの折り返し地点は、自分の足元なのです。
 帰り道では、今まで見えてこなかったことがよりクリアに見えてきます。なかなか言葉で表現するのが難しいのですが、今の日本人が「ち」に対してあまりにも無関心になっているため、多くの「ち」が眠っている状態になっているようです。それは内なる自分につながっているため、自分自身の目覚めを遅らす結果となっているのでしょう。帰途を促すシグナルは目に見えるかたちで顕れているのに、まだ多くの人々が先を急いでいるように思えます。帰ることによってパワーアップすれば、その先はさらなる旅立ちが待っているのかもしれません。スパイラルに巡る流れが、どこまで
続いているのか、今の私にはまだわかりません。ドキドキしながらの長い長い帰り道で、なにが見つかるのか…。この世界での遊びは、まだ終わらないようです。

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Rupaのメールアドレスが変わりました。
新アドレス:rupa@k4.dion.ne.jp

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ヲイベント案内ヲ

11月10日、私たちがいつもお世話になっている大和(おおやまと)神社で、おいかどいちろう氏(*この時に取材して近々本誌に登場予定)の大道芸が行われます。古代からの歴史がある神社です。興味のある方は、是非!

10日 午後3時半頃〜
おいかどいちろう大道芸
芸の前のお話:河野嘉明さん「天理再発見」
大和(おおやまと)神社にて 投げ銭大歓迎
その後Rupaに流れて打ち上げ 千円
午後6時半頃〜 
machiko(北陸の南国娘・サンシンと唄)ライブ 投げ銭歓迎

22日 夜7時頃〜
くりライヴ&ピースウォーク(NY、広島〜天理)報告会
・アイルランド・東欧・オリジナル音楽
・アメリカ人・日本人ウォーカーによる平和のメッセージ
Rupaにて 詳細未定

(イラスト=金子亘)


名前のない新聞 No.115=2002年11・12月号に掲載