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なまえのある家「Rupa」


深淵から、高みへ 〜和合のエネルギー〜

 今日は4月22日、アースデイ。和合の日。「柳生さくら祭」でいただいたテーマ「陰陽和合・飛翔」に意識を合わせてみることにしました。目の前には、「17」と印刷されたシールが48枚。4月26日に「アースデイ@浜寺公園」に出店することになったのですが、総出店数「百八」のうち、Rupaの出店番号は「17」番。Rupaのあらゆる荷物に、「17」の数字を貼り付けるのです。 会場の浜寺公園は、堺市。 百八という、この世を象徴する会場に、「境界」から立ち上るエネルギーが渦巻きそうですね。境界の神、サイの神は、ムラを守護する道祖神。道祖神は夫婦神、つまり陰陽和合の象徴。境界は、異なるものが和合するゼロポイントであり、陰陽和合は新たな再生のエネルギーが生まれる処。浜寺公園の「浜」。浜は、海と陸の境界であり、神の寄り付く座でもあります。4+22=26。半年前の10月26日は「みやと祭」。奈良県庁の中庭にある八角形の泉に柱が建ち、大和にスワのエネルギーが届いた日でもありました。みやと=マイトレーヤ。創始の26。
 次なる焦点は5月17日に開催される、古神道数霊研究家・整体師の深田剛史さんたちの講演会。『数霊に秘められた宇宙の叡智 in 奈良 〜聖徳太子と日本の夜明け〜』
(http://kazutama.jp/?p=111)。
 少し前、知人のブログ「四天王」経由のご縁で、5月17日の出店のお声がけを頂きました。この「四天王」から、大和高原の「山の神」神事が再浮上。この神事は、1月7日に、山の神の聖地で、竹や木でつくった御幣や棒を4本、正方形につきさして大地に立てる祈りの儀式。正方形の中央には、他の4本よりも高い棒を立てて、頂点にミカンを刺します。この5本の棒を大地に立てる作業を「クラタテ」と呼ぶのですが、これぞまさに、陰陽和合のエネルギーを中心に生み出す作業。クラは、神座の座、神の座す処。中央の棒が他4本よりも高いということは、そこが中心の座(クラ)であり、「飛翔・上昇・アセンション」を意味しています。ミカンは太陽。天地をつなぐ通路の扉を開け、クラに新たなエネルギーを降ろすのですね。ピラミッド。
 この四方位、つまり四天王(須弥山や須弥壇)の作業の中で重要なのは、中心に立てる、天と地をつなぐライン、柱、光の道です。これこそが陰陽和合の象徴。例えば火と水、男性性と女性性、北と南、右と左、天と地…。イメージは、まずは下向きの↓。天とつながるためには、まず地を目指さねばならない。大地としっかりつながったら、天ともつながることができる。方角に変換して表現するなら、南北のラインをつなぐには、【北から南へ】降りる必要があるということ。十二支で言うなら、北は子、南は午。北は北極星の象徴、中心点であり、そこは新たな生命(太子、御子)が生まれる要となります。でもその母体は、南(午)。馬小屋で御子が生まれたり、馬に稚児が乗せられたり…、それはおめでたい陰陽和合を象徴しているのかもしれません。
 さて5月17日は、滋賀の高島で「風人の祭」も開催。今回、ワタルは滋賀の高島に亘って「風人の祭」に参加し、私は奈良の「数霊」に参加。反対に、滋賀の土鍋カフェのやっちゃんは、17日は奈良の「数霊」に出店。つまり男性陣が動くことによって、南北のクロスが生じます。
 近江の高島と言えば、奈良の長谷寺とのご縁が深い。 高島の三尾に流れ着いたご神木が、めぐり巡って大和の長谷に辿りつき、十一面観音に彫り上げられて、長谷寺の御本尊に。その十一面観音が造られたのは、長谷寺の向かいの天神山の「三燈の嶺」。三つの灯火が輝いたのを見た上人が、そこで造りました。三つの火といえば、ヒヌカン(火の神)のイメージ。長谷寺は、毎年「だだおし」という火祭りが。西国三十三観音霊場第八番札所。
 方や、近江の琵琶湖は水の神。高島にも長谷寺があり、十一面観音がおられます。近江西国三十三霊場第七番札所。奈良時代、奈良の長谷寺の十一面観音と同じ木から彫られた御本尊(総本山は奈良)。
 北と南に分割されたご神木が、それぞれ観音さまに。水・北(近江の7番、長谷寺)の十一面観音さま。火・南(大和の8番、長谷寺)の十一面観音さま。南北・陰陽和合すれば、11+11で、クラタテ神事の4本の棒が建ちます。その心は22。陰陽和合の中心点の扉が開き、飛翔することによって、新たな生命が再生される時空。
 その22こそが、5月17日に王寺駅北口の東館5階で開催の「数霊」イベント。5+17=22。 地の5、天の北極星1・北斗七星7。
 この王寺駅は、実は私の実家の最寄り駅。ここでようやく、聖徳太子の登場。聖徳太子のエピソードの中でも、かねてより私が気になっていたのは、王寺町の達磨寺の創始伝説「片岡伝説」。
 聖徳太子が片岡の山を通りかかったところ、瀕死の飢人に会い、食物と自分の衣服とを与えた。翌日、息絶えていたので、丁重に葬った。墓の様子を見に行かせると、死体は消えており、衣服だけがたたまれて、棺の上に置かれていた。これを知った里人は、「飢人は達磨禅師の生まれ変わりに相違ない」と言い、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まり。
 何故、片岡伝説が気になっていたかというと、私の実家の住所が、片岡にちなんで名づけられた「片岡台」という処だから。実家は片岡台の、一番高い処(番地を足すと22)。 この片岡伝説は、私にとっては、これ も陰陽和合。しかも究極の陰陽である、生死の和合。死と再生。死体が消えているという点が、キリストの復活のイメージですが、このとき聖徳太子は、生死を統合された、究極の陰陽和合を果たされたのだと感じています。ちなみに達磨は、イエスの十二使徒のトマスだったという説もあり、アラム語では「双子」という意味。さらに片岡の「片」は、【二にして一なるXの一方。すなわち、二つの構成要素からなる全体のうちの一方を指す】ときに使われる言葉だそうです。
「片岡・達磨」という言葉を通して、もう一人の自分に出会い、衣食を与えることで、生死を超えて和合を成し遂げたことを意味しているのかもしれません。陰陽和合・次元上昇を成すためには、もう一人の自分と出会うだけではダメなのです。【私を手放す】ことで、成し遂げられるのです。
 ここから私の個人的な課題に突入するのですが、片岡伝説に登場する「片岡の山」の片割れ、ペアが、我が故郷、実家に思えてくるのです。ミクロとマクロはパラレルにつながっているので、一人一人の神話は常に「今ここ」に、創生されているのでしょう。 「岡」を、「陸(おか)」とするなら、海に対する「岸」につながります。片岡 伝説の片岡(天)と、故郷の片岡台(地)。ペアとなる両岸、彼岸と此岸。堺を流れる三途の川。織り姫と彦星。天の川。
 思えば、故郷を否定してきたかもしれない私がいます。新規開発されたニュータウン。3歳で引っ越してきたときは、周囲は山と田畑ばかりだったのが、開発が進んで今では無機的な分譲地に。しかしよく考えると、身近な自然の中で遊びまわった幼い頃の思い出は一生の宝物。一面に広がるクローバー畑で根っころがって花輪をつくったり、四葉のクローバーをどっさり見つけてとったものです。クローバーの葉のひんやりとした心地よい感触。今もありありと思い出すことができます。まぎれもない、私の大切な故郷。母なる大地への感謝。17日前夜、実家に一人泊まっておこもりし、しっかり大地とつながろうと思います!故郷の町のシンボルは【ペガサス】。南・午・地から、再び天へと飛翔できるかな。
 北の11・七番、南の11面観音・八番。陰陽和合22が成され、九へ飛翔。法隆寺の百済観音・救世観音・弥勒菩薩。七転び八起きの達磨さま。天から地へと転がり落ちて、再び地から天へと起き上がる。そこに立ち上るミロクの光。
 柳生と奈良県庁は、国道369号でつながっています。柳生と言えば、平和の剣、柳生新陰流。創始の柳生一族は、江戸徳川家の【御指南役】。王とは、天地(北南)をつなぐ者。天(北)を目指すには、まず地(南)を指し示す必要があったのです。私は、21世紀に入って南西諸島で修行をさせられましたが、それは何よりも大和(東北・丑寅)での作業に必要な作業でした(私の場合)。南・イザナミのエネルギーとつながることこそが、北・イザナギとつながるための、大いなる守護。それは、内なる自分自身の深みに降りてから、高みへと上る作業。
 私は、牡牛座の満月の日、大阪の八尾市民病院で生まれました。曽我一族と物部一族が、神仏をかかげて戦った、一大激戦地跡とされている場所。病院の前は、物部守屋の墓、すぐそばには聖徳太子ゆかりの大聖勝軍寺。病院の敷地には、巨大なイワクラと皇族お手植えのヒマラヤスギが。この出生のためか、異なるエネルギーがぶつかりあう、その境界、ハザマに立たされる機会が、常々、巡ってきます。そこで降りてくるメッセージは「境界こそ、陰陽和合の聖地」。で、陰陽和合のお手伝いをしようとして、いつも七転び八起き。そして、陽はまた上る。
 さクラの花びらが舞い散ったなら、ワタシを手放し、すべてを手放して、羽ばたけばいい。迷わず、羽ばたけばいい。極北の太子、頂点への帰還。生まれ出よ、新たな生命。
ククリガミ 白羽広げし 8ツカのツルギ。クロス。日月出づる処へ 。


アジア食堂 Rupa からのお知らせ

 奈良盆地の東、奈良、三重、京都に広がる山間部は奥大和・元大和であり、巨石に関連する聖地や縄文遺跡が数多く存在しています。このエリアにご縁を感じる方には、お話をお伺いして、関連すると感じられる地へご案内します。宿泊も可能です。お気軽に遊びに来てください。 rupa@kcn.jp  0742-94-0804


名前のない新聞 No.154=2009年5・6月号 に掲載