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● 2000.7 ●
「Thanks for Dying」2000年7月1日(案内/報告)


     「あなたは、私の死によって、何に気づきましたか」

と、言われました。ずっと昔に旅立ったその人の声を懐かしく思った途端、乗ってい
た船が傾き、川に落ちてしまいそうになりました。心の波風を静め、バランスをとり
ながら思いを巡らせます。(あなたの死によって、命こそが宝であること、それを全
うすることの大切さを思い出すことができた。死があったからこそ…)。でも、どう
しても上手く口に出すことができません。今度は力を抜いて、思いを手放します。す
ると、船は一瞬で岸に到着しました。今までいた向こう岸が、こちらの岸からはよく
見えます。すると、答えがはっきりと浮かんできました。誰に答えているのか、もう
わからなくなっていましたが。

「いのち」をテーマにした4月のパーティに引き続き、再びRupaでパーティ「Thanks
for Dying」を開催することになりました。テーマは「死」と決まっていますが、前
回同様、非常に流動的な内容になることが予想されます。自然の中でシンプルで豊か
な生活を始めている方々が各地から来られます。貴重な「その時」に遭遇できるよ
う、お友達をお誘い合わせの上、是非、早めの時間帯にお越し下さい。当日、Rupaで
宿泊や出店(手作り品、リサイクル、…etc.)を希望される方は事前にご連絡くださ
い。あらゆる表現活動の飛び入り、口琴など楽器の持ち込み、大歓迎です。

*Open⇒正午頃

Guest

★熊野の「自分葬の会」の方々(三重)
「自分葬の会」の目的は自分の死に方、葬り方を、生きているうちに決めておこうと
いうものです。葬儀をする、しないも、墓を作る、作らないも、本来、個人の自由で
あり、死後の決定権は自分にあるという考え方なのです。これは、これまでの習俗・
習慣に盲目的に従うのをやめるという意志の表れでもあります。要は自分らしい死に
方を考えることで、生命と自分の生き方を見つめ直すきっかけにしようということな
のです。現在、取り組んでいるテーマは、尊厳死の問題、介護のあり方、地球環境を
考えた循環の森構想、自分の棺を手作りしようという“棺桶スクール”と、盛りだく
さんです。

★八ヶ岳の南、風の森 からReiraさん&Ryuさん(長野)
生と死。それはコインの裏表のようなもの。死をまっすぐに見据えることができたと
き、限りある肉体の命のはかなさと、永遠に続く「まことの命」の力強さを感じるこ
とができるような気がします。そう、明日を恐れて今日を生きるのはやめよう…。そ
んな思いを抱く人達が社会基盤のもとである経済、お金の世界に風をおこしていま
す。それが地域通貨。ピースフルな意識を育てる道具として、どこまで使いこなせる
か。そのうねりは、今、始まったばかり。仲間と地域通貨に取り組んでいる風の森か
ら、みなさんと願いと祈りでつながり合えることを楽しみにしています。

★リーディングやヒーリングで各地を巡る幸紫さん(奈良)
「死と友達になって、活き活きとした生を手に入れる」をテーマに、様々なお話や
ちょっとしたミニワークショップ(目からウロコです!)を開催します。

☆他にも各地からゲストが来られる予定です。

“Thanks for Dying in the Dark”(夕方頃〜)
真っ暗にした14畳の和室。その中で、視覚を超え、思い思いに「死」について感
じ、語り合いましょう。

・フード&ドリンクは、さらに変わったカネゴンの「かねごん亭」などで。
・パーティ会費500yen(お食事は別料金)
☆翌日2日は、60年に一度の龍田大社の奉納演奏に出かける予定です(希望者)。

                  ★★★

 人と人との出会いは偶然ではないと、多くの方が感じていると思います。Rupaで
パーティを開く前後には、いつも必然の出会いが度重なります。
 先日、7月1日のパーティ「Thanks for Dying」もそうでした。各地から来て下
さった、一見何の脈絡もなさそうな40人あまりの方々。しかし、日常の区別・解釈・
思いこみが、ほどけてくるうちに、その内なる「つながり」が見え始めてきます。そ
の日は非常に暑く、人の熱気でRupaの気温も急上昇。Rupaの住人である私達も初めて
経験する暑さでした。そんな濃い空気の中、各地で生き生きと芽生え始めた「生」の
報告が続きます。地域通貨、豊かな自然の中でのシンプルな暮らし、自己紹介、疑問
・質問、冗談、確認、観察、感謝……。さまざまな「私」が対峙し合います。どうし
て、今、ここで出会うことになったのか、お互いが見えない触手を伸ばすように。そ
して、夜。雨戸を閉め、例のごとく窓の隙間にダンボール紙を貼ったりして、闇を囲
います。漂い、溶け合う、約30人の魂。暑さは最高潮に達し、流れる汗もそのまま
に、しばしの間(長い・短い、という時間感覚は不明瞭)、まったくの沈黙。「自分
の身体の境界がなくなった感じ」、「トンネルを掘る工事では、時々照明が壊れて
真っ暗になる時があるらしい…」、「へー!」、さまざまな声が浮遊します。Fさん
の提案で、円になって右隣の人の左腕の脈を互いに取り合うことになりました。暗闇
であったにもかかわらず、簡単に円になれたし、隣の人も脈もとれます。強烈に打つ
脈が、なぜか不思議で神秘的。「手を取り合ったまま、右隣の人に温かな気持ちを
送ってみよう」。すぐに、非常に素早い何かが、時計の反対回りに動き始めたような
感じ。身体の形が溶けてなくなり、右手を持ち合ったまま、一つの光輝く輪になった
ようなイメージ。楕円だった円が、きれいな円になって、そのまま縮まっていく感
覚。「人に温かな気持ちを送っているつもりが、巡り巡って、いつの間にか自分に
送っていた」、「声は違うけど、全部『自分の声』のような気がする」、「同感
!」、「『ひとつ』なんだね」…。

 翌日は、希望者で奈良・信貴山にある龍田大社に参拝。「風」を司る「龍」を祀る
神社です。この日は、順風を祈願する「風鎮祭」。ジャンベとダンサーの奉納演奏
に、思わず踊りの輪の中に乱入したり、和太鼓と鐘の音の倍音に酔いしれたり。神主
さんにお弁当を頂いてからは、河内音頭。本場、河内の踊り手達に混じって、踊り終
えた頃には、身も心もスッキリ。祭りの熱気が最高潮に達した時、有名な“手持ち”
仕掛け花火の始まりです。大きな神社の拝殿よりも高い炎を上げる花火を両手に持っ
て、手、腕、肩と、全身に降りかかる火の粉に耐えるのです。Kさんのはからいで、
私達一行の中から、光栄なことに3名がこの花火を持てることになりました。想像以
上に激しい火の粉に、歓声も高まります。後でわかったことですが、花火を持った男
性有志3名は、偶然にも全員が厄年だったということです。持つべき人が持つように
なっているのですね。祭りの最後、間近で上げられた打ち上げ花火に、天を仰いで
「ワー!!!」。あまりにも大きく口を開いて叫び続けたため、直後、「ありらろう
(ありがとう)」しか言えませんでした(近藤の場合)。

 熱い2日間。テーマは「死」のはずだったのですが、そこで見えたものは、熱い
「生」そのものでした。熊野の方々、八ヶ岳の風の森のお二人、福岡・長崎からの
方々をはじめ、各地からお越し下さいましたみなさま、本当にありがとうございまし
た。大勢の「私」に出会い、味わう…。本当にありがとうございます。