84.  第5回 山水人村まつり

 

 今年はいきなりケチがついた。8月29日オープニングの夜、会場近くの検問で数名が大麻所持現行犯でパクられ、警察からは「レイヴ・パーティを中止しなければ、会場に捜査員を入れる」と恫喝された。
 そのため主催者側は、始まったばかりのゴア・ギルのレイヴを中止し、「今後一切レイヴ・パーティを主催しない」という誓約書を書いた。これで日本でもレイヴ・パーティはできなくなった。もっとも本場ゴアでは10年以上も昔から、レイヴ・パーティの開催は不可能だった。それでも陽動作戦でポリスの目を欺き、ゲリラ的にパーティを仕掛けるレイバーたちはいたが。
 かくて「山水人」はオープニングなしで、4〜6日「前夜祭」、11〜13日「村まつり」となった。私は村まつりにだけ参加、そのため前夜祭に参加した今井田歌、サヨコ、せいかつサーカス、山本公成、おおえまさのり、虫丸、そしてイサムやアーチにも会えなかった。
 11日、例年通りカツの車で下口君と3人で9時間のドライヴ、山深い朽木村の鬱蒼たる森が活力を恵む。会場入口でイスラエル帰りのサワに会い、宿舎の本部で主催者の祖牛、スタッフの一本、緑郎、敬子さんなどに再会、焚火番のオッチャンも元気、情宣のアパッチ、ペコ、田恩伊とも会った。
 東日本の仲間とは「てのひらまつり」や「あさのひかり」など埼玉周辺の日帰りで参加できるイベントで会えるのだが、西日本の仲間と会う機会は年1回の「山水人」だけだ。
 ステージ広場のバザールの中に、アキの「カフェ・マヤ」があるので、今年も3日間とも入りびたりで、たくさんの仲間に会った。2歳年長のヨシダミノルさんもまだまだ元気だ。大難を乗り越え久しぶりに再会したシャブドーは、大鹿村のゲタの息子タケルのベースを弾いた。神戸のパパには10数年ぶりに会った。あの明朗なヨッちゃんが4年前に他界したことを知った。合掌!!
 快晴つづきだったのに、翌日はやっぱり雨が降り、山水人の名の通り泥んこぬかるみになった。ナダは引退したが、モクやケン(彼も10数年ぶり)など総勢30人の四国フンドシ学会は、「上関原発反対!」を訴えて練り歩いた。今年は女性のフンドシ姿が見えなくて残念。
 辰巳玲子さんの話では、宮田雪はついに点滴だけの状態だが、意識はしっかりしてるとか。娘のアヤはホピランドを訪れるつもりだと。2日目のステージではナミさんが緑組をバックに歌った。雨は次第に上がった。
 最終日、わくせい広場でナナオ追悼の集い。サワの詩朗読と古代フラの水野みさをさんのダンス奉納の後、ヨシダミノル、宮崎さゆり、サワ、ボブ、祖牛、水野みさを、飯高転石、アキなどを発言者に、私が進行係を担当して、戦中派ナナオのメッセージとして反戦平和について語り合った。色んな意見が出たが、私は小学一年生の戦争体験として、天皇制“現人神”のもとに国民を侵略戦争に総動員した狂気が、9条改憲論者の内部に潜んでいるのだと忠告しておいた。
 午後のメイン・ステージでは、熊谷モンの後、宮崎さゆりさんの詩の朗読に続いてポンの出番となり、詩「アフガン・ブラックよ、いずこ?」を朗読。アフガンのアヘン生産は世界の80%、それをアメリカ軍は製薬会社に売って、駐留経費を賄っているという情報を伝えた。ついでながら製薬会社はそのアヘンをモルヒネに精製して世界中の病院に流し、ヘロインに精製してマフィアに流し、稼いだ金でアフガン民衆を殺しまくっているのだ。オバマの「核兵器廃絶」も何となく子守唄くさい。
 ポンの後、小嶋さちほ、「THE FAMILY」「バルナギータ」と続いて、「ヤポネシア フリーウェイ」の大合唱のあと、アンコールとしてビンとボブを左右にポンの「シャンカラ シヴァ」で決めたのは昨年と同じ。ステージではヒメとアミの両ダンサーが華やかに踊り、全員乗りまくった。
 「バルナギータ」のマーボー、ジミーとも久しぶりの再会。舟山フェスで呪詞を称えた富田貴史君とも4年ぶり。昔馴染では、ケメ、イシ、キヨシ、李さん、マキ、ケイジ、マチャミ、大橋、長沼、バギ、マモル、レイナなど。
 古株ばかり集まるカフェ・マヤだが、娘のホシコや手伝いのユキ、それにバヌアツ育ちのハズキなど20代の娘たちも出入りして、ワクワクさせる。
 名前を覚えられないだけで、顔見知りの若者もいっぱい、若者がいなくては祭にならない。
 レイヴ・パーティは出来なくても、エコビレッジの村まつりとして山水人の祭りは、今後ますます必要とされ、盛り上がってゆくだろう。来年もまた「お祭りポン太」を勤めたいものだ。
                                  (9.18)


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