76.  シヴァ・ラートリィ(ビバ・フリークス第8話 最終回)

 私がインドの旅で見かけたフリークス(身体障害者)の中でも、特に印象に残っている人たちを「ビバ・フリークス」と題して紹介してきた。彼らはいずれもアウト・カーストの不可触賎民であり、その障害を白日の下に晒して生きている乞食である。
 そのことからインドという国が、障害者に開かれた国だと思われそうだが、事実は逆である。インドでは乞食以外のフリークをほとんど見かけない。これに関しては、60年代からユーラシア大陸を放浪中のフリークの友人澤村浩行のルポ『インド・ランダムジャーニィ』から抜粋しよう。
 「壁の長椅子に座った数人の労働者風の男たちも黙したままだが、明らかに僕に敬意を払っている。この旅人へのマナーは、ムスリム(回教徒)のものだ。
 これがヒンドゥの店であったら、二本のクラッチ(腕で固定したアルミ製歩行杖)と、乳母車にリュックを乗せて歩く異邦人には、暗闇から現れた不吉な人物として拒否反応を起こす者がいるだろう。身体的障害は前世の行いが悪かったからだと、見えない因果関係を連想して、自分にそれの悪運が及ぶのではないかと怖れるからである。
 事実この人口の割には、インドで身障者に道で出会うことは、乞食を別にすれば極めて稀だ。この四ヵ月で車椅子を操る者に会ったのは三回のみ。それも田舎道だけだった。
 都市では段差だらけなのと、人と車のゴチャまぜラッシュの条件では、インド製の座席の前に手漕ぎ用ペダルの付いた車椅子では走行不可能だ。一人も見かけていない。付添人に押されている車椅子姿、松葉杖姿さえも。
 多分インド中で、すさまじい数の身障者が引きこもっているに違いない」
 
 インドでは引きこもる家を持たない路上の乞食フリークスだけが、衆人看視の白日の下に、野良犬のように解放されているのだ。まるで前世の因果を物語る標本、見世物のように。
 ところで「フリーク(ス)」という言葉は、辞書によれば「気まぐれ、酔狂、変種、奇形、片輪」などの意味がある。
 60年代後半のヒッピーブームの頃、世界中のヒッピーが「ヒッピー」という差別的なマスコミ用語を拒否し、「フリーク(ス)」を自称した。自らを「気まぐれな変種」と認め、社会的に差別されている奇形や片輪たちの仲間であることを宣言したのだ。
 従って私にとって「アイ アム ア フリーク」というのは、肉体的実存であると同時に、活動や運動の本質だった。いわば、タテマエもホンネもフリーク以外の何ものでもないということだ。
 70、80年代と次第にヒッピーという名称が死語に近くなっても、フリークスの間では今だに「フリーク」は通用しているが、90年代のロスト・ゼネレーションあたりから「フリーク」を自称する若者はいなくなり、現代の若者にはほとんど死語になったようだ。代りにヒッピーという名称が、差別的なニュアンスを払拭して復活している。まさに「脱イデオロギー化」の世代である。
 さて、「ビバ・フリークス」は今回が最終回なので、フリークスが花形スターに祀られる春一番「シヴァ・ラートリィ」の祭りで、話を締めくくろう。
 旧暦一月の新月闇夜は、ヨガの完成者にしてフーテン乞食のシヴァ神が、ヒマラヤの王女パールヴァティ女神との結婚式「シヴァ・ラートリィ」である。ヒンズー教の最高聖地バラナシの主神はシヴァであり、バラナシのシヴァ・ラートリィこそはヒンズー教の真骨頂なのである。
 ヒンズー教徒の人気を二分する保持神ヴィシュヌが、秩序と調和に満ちた美形の神なら、破壊神シヴァは混沌と狂乱の荒ぶる神であり、その結婚式もきっと破天荒なものに違いないと、最後の旅で初めて出会ったバラナシのシヴァ・ラートリィに、私の胸ははずんだ。
 西洋暦の二月末から三月初めにかけて、日一日と暑さが増し、刻一刻と祭りの興奮が盛り上がってゆく。聖地の街頭には、何処から来たのか蛇使い、猿回し、大道芸人、物売り、星占い、辻音楽師などが、年に一度の荒稼ぎをめざして集まり、インド中からの巡礼団や世界中の観光客など、多種多様な人種が押し寄せ、百万都市がごったがえす。
 その中で何といっても花形スターは、ヒマラヤの洞窟からやって来たナーガ派のサドゥたち、聖なる灰にまみれたイチモツ丸出しの数十人が大通りを闊歩する。
 もう一方の主役はメインガートの階段にズラリと並んだ数百人の乞食たち、手のない、足のない、目や鼻のない片輪や奇形を売り物に、ボロ布のパッチワークの晴着をまとい、ジャスミンの花環などを首にかけて、「バクシーシー!」の声も高らかに、雛壇を飾る。
 人間だけではない。牛、ロバ、猿、豚、水牛、犬、リス、象、カラス、ハゲタカ、インコ、河イルカなど、生きとし生けるものが近づく祭りにテンションが上がり、ガンジス河の容姿が痩せ細る頃、新月闇夜の結婚式はピークに達する。
 その日はバング(大麻)の守護神シヴァを讃えて、大人も子どもも、男も女も、ポリスもプッシャーも、バング団子を食い、バングジュースを飲み、ガンジャやチャラスを吸って、精神の高揚と乱痴気騒ぎ、貴賎を問わず、礼節を無視し、欲望と信仰にのたうつ発情男たちが、「ハラハラ ボルボム ハラハラ ボルボム!」と叫びながら、夜通し大通りから路地やガートを駆けめぐる、悲鳴を上げて逃げ惑う女たち、日常生活の秩序の中で無意識下に鬱積した、シコリやストレスを発散する、熱狂とトランスの巨大な坩堝、何百年、何千年の昔から伝わる狂気と紙一重の集団カタルシス。
 この祭典で、ナーガババ(サドゥ)や乞食、フリークス、ケモノ、怪物、妖怪、幽霊、ゾンビなど、ネガ世界にうごめく有象無象の魑魅魍魎たちに君臨する王者パシュパティとは、主神シヴァのもうひとつの名である。
 ハラハラ ボルボム !!


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