49. 洞爺湖サミットと「ケータイの犬」

 「第3回てのひらまつり」は、今年もまた梅雨の合い間の快晴に恵まれ、6月13日から3日間、長瀞キャンプ場に昨年を上回る1000人以上の仲間が集まって「オルタナティヴ・ヴィレッジ」を楽しんだ。
 世間のつき合いとはパラダイムの異なるオルタナティヴな「村」を、祭り期間中のキャンプ生活を通して実現するという試みは、60年代カウンター・カルチュア運動に発する。従って年に1度か2度の出会いでも、あるいは初対面でも、40年来連綿と続く「村人」同士の仲間意識は、世間のつき合いより確かなものがある。
 わが家からは車で1時間くらいなので、私はカツの車で毎日通った。年輩の仲間では、ナミさん、サワ、シロ、アキ、キヨシ、キクリン、ルル、ジャンシー、中川、クリス、モン、ミオ、タカオ、そしてジローさんなど。若い仲間では我が娘、宇摩と維摩の3人の子供をはじめ、孫世代の幼児や赤ん坊がいっぱい。
 盗聴マイクや防犯カメラのウルトラ管理社会の中にあって、「ラヴ&ピース」の自由が息づく貴重な空間だが、3日目の朝(私の不在中)、通報があったとかで、警察官7〜8人が踏み込んで来て、大麻の捜査をしたが、ブツが出なくて引き上げて行ったとか。油断禁物の「ケータイの犬(密告者)」たちだ。
 昨年、私がステージで大麻詩を朗読したことも、地元のPTAか何かの問題になり、主催者にクレームがついたとか、そこで今年は大麻のことは一切口にせず、シヴァのマントラを唱えるだけにした。
 CO2だ、反原発だと、エコづいているくせに、大麻が最高のエコ植物だとは知らない連中が、「正義」の麻薬撲滅を騒ぐ。そこで問題は、洞爺湖サミットだが。
 サミットとは世界の政治経済の実権を握っている先進8ヶ国(米、英、仏、伊、独、露、カナダ、日本)が、年一回、持ち回りで開く頂上会議である。彼らが市場の自由化によって大企業の利益を守り、大多数の人々を貧困と格差におとしいれるネオ・リベ(新自由主義)を、世界中に浸透させる仕組みをつくってきたのだ。
 これに対して90年代から、サミットに対する反対運動が起こり、99年シアトルでは6万人、2001年ジェノヴァでは30万人が決起し、「もうひとつの世界は可能だ」を共通スローガンに、インターナショナルな個人や組織が、多種多様な表現方法でデモや抗議行動、あるいはフォーラムなどを行ったが、そこから必然的に数千、数万の参加者が生活をともにするキャンプ・インが実験され、「オルタナティヴ・ヴィレッジ」と呼ばれた。
 7月7日から3日間の洞爺湖サミットに合わせて、世界中からとほうもない数の人々が北海道へやって来て、オルタナティヴ・ヴィレッジが実現するだろう。八ヶ岳に1万人近いオルタナティヴ・ヴィレッジを作った「88いのちの祭り」から今年で20年、あれよりもっとインターナショナルで、スケールの大きなものになるだろう。
 サミットの市場主義グローバリズムに対抗して「もうひとつの世界は可能だ」とする「オルター・グローバリゼーション運動」を、サミット主催国の治安警察は、最大の警戒体制で迎撃するだろう。「テロ対策」の名目で、オルタナティヴ・ヴィレッジは包囲されるだろう。そこで問題は「てのひらまつり」であったような「ケータイの犬(密告者)」である。
 G8のうち日本以外の国では、大麻は解禁されており、先進国からの参加者の中には、祭り気分で一服やる連中もいるだろう。それを見て「ケータイの犬」たちは、警察をオルタナティヴ・ヴィレッジに導入するのだろうか。国際連帯のチャンスが、マスコミのスキャンダルになって、日本の後進性が世界中に知れ渡るかも知れない。それは我が国の「警察国家化」を促進し、ますます世界の孤児になってしまうのではないのか。

                                   (6.22)


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