41. 死刑制度に反対しよう

 2月1日、再び3人に死刑が執行された。「友達の友達はアルカイダ」で有名になった鳩山法相は、就任時に死刑執行のあり方を「自動化」したいなどとバカな発言をしたが、2ヶ月足らずで2度目の死刑執行をし、前任の長勢法相の4ヶ月ごとに3回のペースを上回った。また「密行制度」の慣例を破って、死刑囚の氏名や犯罪事実などを発表した。
 これに対して、死刑廃止議員連盟事務局長の保坂展人衆院議員は「氏名や確定判決を読み上げる一方で、執行時の状況は隠す。都合のよい情報だけの『公開』を口実に、法務省は大量執行時代にかじを切った」と指摘している。
 国連総会が死刑停止決議を採択するなど世界の潮流は死刑廃止に向かっているなかで、中国や中東などの全体主義国家を除けば、民主主義先進国ではアメリカと日本だけが死刑執行をしている。大麻取締制度と同じように死刑制度もまた対米従属なのだろうか。
 しかしアメリカでは50州のうち、12州が大麻の個人使用を非犯罪化しているように、13州が死刑制度を廃止するなど、死刑執行をオープンにして自由に議論がなされているのに比べて、日本の処刑は「密行制度」である。死刑囚は外の世界との交流を厳しく制限され、いつ処刑されるかも当日まで知らされない。遺族などの立ち会いはなく、どんな死に方をしたのかも分からない。
 日本人はすべてがお上任せであり、死刑問題を直視し、人間の根源に触れる問題を議論するという基本的姿勢が欠けているのだ。(ちなみに犯罪大国アメリカの確定死刑囚は約3000人、日本は約100人)
 総理府の調査によれば、日本人のほぼ80%、圧倒的多数が死刑制度を支持している。その主な理由は、(1)凶悪犯罪の抑止効果、(2)被害者家族への癒し、(3)人を殺した者として当然の償(つぐな)い、といったところか。
 これに対して死刑反対論は、(1)生活的、心理的にぎりぎりに追いつめられて生きている人々にとって、死刑制度は殺人のブレーキにはならない。また死刑制度を廃止した国で、殺人事件が増加したという事実はない。
 (2)被害者遺族の復讐心という卑俗な感情を煽るだけであり、それは加害者と同じ道義的レベルに被害者遺族をとどめることだ。従って処刑によって復讐が遂げられた後には「空しさ」だけが残って、何の癒しにもならない。
 (3)人間は変わりうるものだ。殺人という罪が「躓(つまづき)の石」となって、殺人者が人間性に目覚め、罪を悔い改めることこそ真の償いであり、死刑はその機会を永久に奪ってしまう。被害者遺族は加害者の罪を許すという寛容さによって、人間としての尊厳を自覚し、精神的・霊的に成長するのだ。
 (4)死刑賛成論が軽視している重要な問題は「冤罪」である。たとえ生命に支障のない窃盗や痴漢でも冤罪はあり、それによって人生を狂わされる人は跡を絶たない。それでも生きている限り復権と復活は可能だが、死刑にされたら取り返しがつかないのだ。現在、確定死刑囚である元プロボクサー袴田巌氏の冤罪が濃厚になり、再審請求がなされているが、袴田死刑囚は長期拘禁と恐怖のため精神的に不安定になっているとか。神ならぬ人間のやること、100人に及ぶ確定死刑囚のうち何人かは冤罪の可能性があるだろう。
 間もなく裁判員制度が導入され、選ばれた者は否応なく社会人の義務として、刑事裁判に関わり、判決を下さねばならないのだ。もしあなたが大麻愛好者として「ラヴ&ピース」を唱え、戦争に反対するのなら、それと同等の熱意と理念をもって、死刑制度に反対しなければ、それは片手落ちというものだ。
 なぜなら戦争体制と死刑制度は、国民の平和と安全を脅かすと見なした人間を、国家が殺す暴力装置であり、外と内の両面へ向けた「殺し」の根はひとつだから。
 国家の都合によって合法化され、絶対化された「殺し」は、国民を間接的な執行人、後援者、スポンサーという加害者の立場に置くことによって、正当化されるのだ。
 このような欺瞞に満ちた構造を否定するためには、被害者の立場だけではなく、加害者の立場からも自己を否定し、戦争と死刑に反対していかねばならない。
 その証拠に「戦争はイヤだ、憲法9条を守れ!」の1点で合意しても、世間の人々はもしあなたが「死刑制度反対!」と言えば、たちどころに反論し、誹謗し、非国民呼ばわりするだろう。例えば、光市母子殺害事件の被告弁護団に対する世間の凄まじいバッシングを見よ。
 「死刑制度反対」を主張することは「大麻取締法反対」を唱えるのと同じように、世間という体制順応主義者たちからの反撃は不可避である。だが、先ずは身近な者たちに話しかけることから始めてみよう。
 大麻はささやく「殺すな、殺さすな!」
                               (08.2.3)


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