31. バザールの小人 (ビバ・フリークス第3話 )
 インド上陸の第一日目、手足のない乞食に出会って度肝を抜かれた私は、そのあと大通りや路地を歩き廻って、沢山の乞食と多種多様な五体不満足者を見た。
 今でこそ日本でも家や施設から街へとび出して、おのれの不具をさらす勇敢なかたわ者たちが増えたが、30数年前は偏見と差別に身も心も閉ざされた身障者たちが沢山いた。だから日本人のかたわ者の目で見ると、インドの路上はまさに「かたわ者見本市」だった。
 彼らは恥ずかしげもなくおのれの不具をさらけ出し、それを看板のようにひけらかし、異常さを誇っているかのようだった。そのため不具というセーリング・ポイントを持たない健常な乞食は不利なわけだが、そのハンディを補うため、女乞食は赤ん坊や幼児を使い、男乞食は病人や老人を装って、見かけは「まとも」でも内実は「異常」なのだと訴えるのだった。
 一度私は赤ん坊を抱いた女乞食に同情して10パイサのバクシーシーをしたところ、近くにいた数人の乞食に寄ってたかられ、各人から「異常」を訴えられ、結局全員にバクシーシーすることになった。
 しかし異常といえば、乞食という異常な存在に対して、通行人が立ち止まったり、振り返ったり、指さしたりすることなく、ほとんど無関心に近いということこそが、日本人としては異常に思えた。現に私自身にしても、ロングヘアーにヒゲのせむし男が、若い女(決して現金を持とうとしないという異常な女)を連れて歩いている姿は、日本ではかなりスキャンダラスな目で見られたものだが、インドでは奇異の目で見られたことはなかった。
 この何でもありの世界では、多様性こそが調和であり、秩序であり、本然なのだ。まさに「かたわ者天国」である。
 
 「人間は各々異常なことにおいて平等である」 ウィリアム・ブレーク

 かくの如く、たった半日で路上の悟りを開いた私だが、異常なことにおいて、手足のない乞食以上に度肝を抜かれた怪人物がいた。それは午後は昼寝の時間のバザールでのことだ。
 外の明るさに馴れた目には、狭い入口を一歩入った途端、バザールの内部は闇の世界だ。やがて目が馴れ、瞳孔が開いてくると、迷路のような通路の両側には、ありとあらゆる商品があふれ、その強烈な臭気と共にシュールな異国情緒に圧倒される。
 買物が目的ではなかったが、怪し気な売人に声をかけられ、私たちは小さな店の奥へ案内されて、初めてのガンジャ(大麻)を買った。当時は州立専売公社のガンジャ・ショップ以外のものは闇商品として取締られていた。
 さて、広いバザールを小一時間も見て歩き、出口に向かった私たちは、そこに異様な人物を発見した。間口一間くらいの出入口の前に、一人の小人が突っ立っていたのだ。身体の割に頭が大きく、腕と脚は短くて、がに股。逆光のため表情は分からないが、その目は私たちを凝視し、明らかに私たちを待ち構えて通せん坊しているようだった。私の内部で戦慄めいた悪寒が走った。突然、連れの女が「何なの、あの人?」と言って立ち止まった。「用心棒かな!?」と私も足を止めた。
 直観的に私は出口の向こうには秘密の世界があって、小人はその異界の守衛なのではないかと思ったのだ。
 トラブルは避けたかった。そこで私たちは小人に背を向けて通路を引き返し、別の出口を求めた。この広大なバザールには東西南北の全方向に複数の出入口があった。ところが私たちが選んだ90度別方向の出口にも小人が待ち構えていたのだ。
 見かけはそっくりだが、同一人物とは思えなかった。なぜなら私たちは最初の小人に背を向けてから第二の小人を発見するまでの間、休憩も道草もしておらず、あの短足で私たちの先回りをすることなど不可能に思えたからだ。しかし再度Uターンして求めた第三の出口にも小人は待ち構えていたのだ。私たちは複数の小人に包囲されてしまったようだ。
 小人は世界中の神話や伝説に登場し、時には王族や富豪のアイドルとなり、またサーカスやプロレスのスターだったりするが、私はまだ日常の場で直接対面した経験がなかった。そのため小人という奇形は神秘のヴェールに包まれた異星人のような存在だった。

小人カット

 言い知れぬ不安と恐怖にパニクった私たちは三度び小人に背を向け、今度は180度反対方向に出口を求めた。迷路のような狭い通路を折れ曲がり、ついに出口が見えてからは一気に走った。店員や客人たちが何事が起こったかと訝ったが、私たちには必死の脱出行だった。
 そこに小人はいなかった。長いトンネルを脱けるように、私たちはついに薄暗いバザールから、明るい外の世界へとび出した。開放感にホッと胸をなでおろしたのも束の間、「キャーッ!!」という彼女の悲鳴を聞いて、私は思わず振りかえった。するとそこにはくだんの小人が、上目づかいに私を睨んで突っ立っているではないか。そして私に向かって突き出された小さな右腕には、モミジのようなてのひらが開いていた。「な、なんだ、ただの乞食じゃないか!?」
 驚きと安堵から私は10パイサをバクシーシーした。小人は何も言わず、何の反応も示さず、コインを置いたてのひらはそのまま開かれていた。何となくバツが悪かった。そこで彼を用心棒扱いして逃げまわった反省をこめて、10パイサコインをもう一枚てのひらの上に並べた。やっぱり小人は何も言わず、何の反応も示さず、その目は私を睨んでいた。「しつこい奴だな、もうお終いだよ!」
 そう言って私は彼女を促してその場を後にした。しかし数歩とは歩けなかった。強烈なバイブレーションが後ろ髪を引くのだ。やむなく覚悟を決めて振りかえった。
 だが、もう小人はいなかった。そこには小人を呑みこんだバザールの闇が、黒々と口を開いているだけだった。


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