24. 手足のない乞食の呪文(ビバ・フリークス第2話 )

 『イマージュ』前号の「乞食のおつり」の話が好評だったので、インドの乞食の話をしばらく続けよう。
 インドへは71年から97年までに4度訪れ、合計20ヵ月も滞在し、ヒッピー的放浪の旅をしてきたので、沢山の乞食に出会った。そのなかでも特に印象に残っている乞食といえば、やはり過酷な障害を負いながら、その障害をバネにして、たくましく生きていたフリークたちである。
 彼らとの出会いによって、私の内なる「せむし」というこだわりは完全に霧散してしまった。陰湿な日本的風土の中で培われたコンプレックスなど、インドの炎天下の路上ではたちまち蒸発してしまうのだ。とはいえこれは一種のショック療法だ。出会いのショックと戦慄は半端ではなかった。
 最初の、そして最大のショックはインド上陸の初日、マドラス(チェンライ)の繁華街の路上での体験だ。その乞食は仰向けに寝転がり、空中遊泳さながら四肢をゆっくり動かしていたが、その両腕は手首から、両脚は足首から切断されており、一本の指もなかった。まるで羽根をもがれてひっくり返された甲虫がもがいているような無様な姿だった。おまけにこのフリークは自らの不幸を訴えるかのように、虚空に向かってわめき散らしていた。

 連れの女に促されたが、私はショックで足が止まってしまった。凝視に耐えられないのか、彼女は先へ行って木陰で待っていた。私と乞食とは10数メートル離れており、その間を通行人が行き来していたが、立ち止まる人もバクシーシー(喜捨)を投げる人もいなかった。
 それは限りなく無惨で、酷薄で、生裸々な現実だったが、同時に、それは六道輪廻の一光景として、荘厳な様相をおびて観えた。このパラダイム転換は、ここに来る途中で立寄った公園で、裸足の男たちから受けた歓迎のガンジャ(大麻)セレモニーのせいでもあった。
 前述したように、乞食の子は乞食以上の身分にはなれないというカースト制度のもとに、乞食の親のなかには子の将来のために、赤ん坊のうちに腕や脚の一部を切断して、障害を売り物にさせる者もいるとは聞いたが、まさかここまで過酷にやるとは思いもよらなかった。これでは子の将来というより、親たちの現在ではないのか。いかに実入りが多くても、切断された手足の不幸は量り知れないはずだ。だからこそ路上にひっくり返ってわめき散らす生贄の声は、臓腑をえぐるような痛切さを感じさせるのだった。言葉はわからなくても、それが怒りや悲しみ、恨みや嘆きの呪詛であり、人間存在の極北から発せられた負のメッセージであることは察するに余りあった。
 ほこりまみれの蓬髪とドーティ(腰布)一枚の半裸の肉体からして、歳の頃は30前後か。他人の介護なしには1日たりとも生活できないこの重度身障者を、乞食一家の親やきょうだい達は生涯に渡って世話するのであり、それは一族にとって「不幸」の共有財産でもあろうか。
 パラダイム転換のキーワードはその呪詛にあった。私は彼を凝視するうちに、わめき散らす呪詛の中にある種のリズムがあることに気づいたのだ。それが既成の呪文なのか、彼のオリジナルなのかは知るよしもないが、それはまるでマントラのようだった。ひょっとすると彼は「苦行」をしているのではないかとさえ思った。
 私は初めてバクシーシーを捧げたいと思った。そこで恐るおそる乞食まであと数歩の地点まで接近してみた。彼は上を向いて目を閉じていたが、顔は蓬髪に覆われてよく見えなかった。バクシーシーの相場は10パイサと聞いていたが、意外なことに周囲には1パイサや5パイサのコインが10個くらい転がっていたのに、10パイサコインは見当たらなかった。私は乞食の肩の近くに10パイサコインを投げた。その瞬間である。「チャリーン!」とコインが路上に落ちた途端に、乞食はガバっと上半身を起こし、10パイサコインの方へ匍匐で近づき、手のない腕でコインを引き寄せると、両腕の手首を使ってそれを素速くドーティの中へ隠したのである。その時、私は彼のほこりまみれのドーティの中に、複数の10パイサコインが隠されているのを見た。
 乞食はチラリと周囲を伺い、一瞬私と目が合ったが何の反応も示さず、元の位置に仰向けになって再び呪文を唱え始めた。恐ろしい悪相を予想していた私にとって、それは驚くほど端正な顔立ちだった。その表情は毒々しい呪文とは裏腹に、クールで温和なものだった。そしてその大きな黒い瞳は、怒りも憎しみも狂気も感じさせなかった。一体これはどういうことなのだろう。私の内に混乱が生じた。
 もし10パイサコインを隠す「商法」が親ゆずりだとしても、「チャリーン!」という音に対する感性は、コインを隠す早技と共に、彼自身が雑踏の中で研磨してきたものであり、それは彼の能力であり、生甲斐であり、矜持でもあろう。
 どうやら乞食一家の稼ぎ頭は、単なる非介護人でも、「不幸」の共有財産でもなく、一家の実力者であり、主人なのではないか。このあるじは「職場」では不幸のパフォーマンスを演じながら、「家庭」では象頭の奇形神ガネーシャのように、豊穣と幸福の守護神的な存在なのかも知れない。ひょっとしたら、良き夫、良き父親ということもありうるだろう……と、そこまで考えて、私はやっとその場から解放されたのだった。

[解説]
 「乞食のおつり」の話は「麻声民語15」において「アナナイ通信2号のイントロダクション」として紹介したものだが、同時にミニコミ『イマージュ39号』にも掲載しました。
 『イマージュ』は金満里主宰の障害者劇団「態変」の情報誌で、私は数年前から詩やエッセイを連載してきました。劇団創立25周年の態変は、このたびはマレーシアの障害者たちとプロジェクトを組んで公演を行うなど、身体表現によって自立と解放をめざす前衛芸術集団です。
 「神が細部に宿るように、個別性に宿る文化があってよい。情報誌『イマージュ』は、徹底して個別性にこだわった発信を目指してみます。個別性にこだわりつつ、異文化の交差点を創り出せたら……刊行コンセプトより」
 なお編集長の福森慶之介さんは「せいかつサーカスバンド」のフルート吹きでもある。
 興味のある方は私あてに(手紙、電話、FAXなどで)連絡して下さい。見本を差し上げます。なお年間購読料(3冊)1000円。
 「ビバ・フリークス」と題する私の乞食の話はしばらく連載します。
                                    (07.5.22)

                               


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