2.大麻文化の伝承

  久々に帰国したオールド・ヒッピーのSが、あるライヴ・パーティに参加したところ、会場の片隅で若者の一団が大麻を回しているのを見かけ、その輪の中へ入って一服所望したところ、パイプを持った若者が怪訝な顔をして、「えッ、オジサンも吸うんですか、これ大麻ですよ!?」と言われたとか。
 そこでパイプを受け取ったSは、「ボンシャンカール!」と唱えて深々と一服したところ、若者たちは一同に「このオジサン スゲー!」「カッコエエ!」「オジサン なかなかやるじゃん!」などと驚いていたが、ついでに「次はシャブ行きますか、シンナーもありますよ?」と言われてがっくり。
 「いったいどうなってんだ。ポン! オレたちがやって来たことが何も伝わってないじゃないか!?」と、再会するなりSは嘆くのだった。
 大麻を吸う伝統文化がなかったわが国で、60年代後半、アメリカやヨーロッパから無銭旅行でやって来たビートニックからマリファナの洗礼を受けた私たち“和製ビートニック”は、それが日本古来の麻であることを知り、北海道などに野生化した大麻を採取して、各地のヒッピー・コミューンでパーティを開くなど、大麻文化の発祥となった。
 高度経済成長の反作用として出現したヒッピー・ムーヴメントは、西洋物質文明に対する東洋精神文明の、キリスト教的一神教に対するヒンドゥ教的多神教や仏教的無神論の、科学的合理主義に対する霊的神秘主義の、渾身のパラダイム・シフトであり、“大麻道”なる言葉も生まれた。このような大麻に対する畏敬と信愛を込めたアプローチが、ヒッピー伝来の“ルーツ大麻”だとすれば、インターネットの発達と共に大量に発生した“ネット大麻”との間に、巨大な断絶が生じたのは当然のことだ。なぜなら“ルーツ大麻”のオールド・ヒッピーたちはパソコンを使わず、彼らの知識や情報がネットに流れることはありえないからだ。従ってオールド・ヒッピー世代とネット世代との巨大な大麻ギャップをいかに埋めるかが今後の課題である。例え趣味嗜好のレベルでも、伝承されなければ文化とはいえないのだから。
 意識に作用する大麻のスピリットは、禅でいう「不立文字」(ふりゅうもんじ)であり、文字や言説を以って伝えることができず、「以心伝心」しかありえない。ネットも出版物も映像も、あらゆるメディアは無用であり、生来の人間同士がダイレクトに出会ってジョイントを交わすことが大切なのだ。かつてのコミューンはないが、世代を超えて大麻吸いが出会える場として、ロックやレゲエを中心としたヒッピー系のコンサートや祭りがある。タイトルやコンセプトは多様だが、“ルーツ大麻”の正統派ミュージシャンが出演し、そのファンたちが集まるのだから、会場のどこかで以心伝心の秘密パーティが開かれるだろう。
 6月18日〜22日、京都大学の西部講堂で開催された「太陽と月のまつり」に、私は前半3日間だけ参加した。伝統の西部講堂は今や粗大ゴミ捨て場になっていたのを、スタッフが大掃除し、講堂と野外広場にステージを設け、数日間とはいえ国立大学の構内に「非国民村」を建設し、警察権力から遠く、愛国心から更に遠く、ナショナリズムの小異を捨てて、生きとし生けるものの大同につく、以心伝心のオルターナティヴ世界を実現させたのである。
 そこで音楽と歓声から遠く、会場の奥の雑木林の中に高床式のテント小屋を建て、床下にニワトリをはべらせた東南アジア風の奥の院で、出番を待つミュージシャンや化粧を落とす芸人など、東や西からやって来た麻の民が常時10数人、パイプやジョイントを回していた。タバコ入りなので私はパスしたが見事なチロムも回った。季節は欠乏の時、私もブツ切れだが、祭りともなれば必ず勧進元(かんじんもと)が現れるもので、香りは飛んだが効きは十分の冷凍ものとか、ヒマチャル持参のパールバティなどを奉納する奇特な同志が、陰で祭りを盛り上げてくれた。
 祭り2日目、忘れもしないデンマーク人のティムに35年ぶりに再会した。当時ヒッピー・ムーヴメント最盛期、諏訪之瀬島のコミューンを訪れたティムは金髪の貴公子だった。「君たちは自分たちのことをなんと名乗っているのか?」と問われて、返事に窮していたところ「ヨーロッパで我々は、自分たちのことをフリークと名乗っている」と言われて、辞書を引いてみた。
 「FREAK=気まぐれ、酔狂、変種、奇形、片輪」などとあった。私は驚き、深く納得し、ヨーロッパの知性に敬意を表したのだった。それ以来、私たちもフリーク、フリークス(複数)を自称するようになった。
 ティムを案内してくれたGは、70年代のはじめに仏教の最高学府である比叡山に修行中、大麻事件で破門になったフリーク僧だ。大麻道の古参フリークス2人は、私と“せいかつサーカス”が野外ステージで、「ハラハラボンボン」を歌うのを聴いて喜んでくれた。
 3日目の午前中、勝手連の仲間と大阪拘置所を訪れ、桂川と面会した。牢名主になった途端に、伝統の牢名主制度を廃止し、房内民主主義を実践した権力なき親分桂川は、只今同房に無期懲役の未決囚がいるため、出所後の夢と希望を語ることはタブーだとか。獄中はデリケートな思いやりの世界なのだ。
 その晩のステージで、私は桂川の元気な様子を伝えて詩を朗読した。ボブが特出で「麻里花の花」を歌って、年末の「ボンボンサーカス」の失点を挽回した。
 オールド・ヒッピーSはまた海外へ旅立ったが、Sから「大麻道の基礎も知らない」と酷評された“ネット大麻”たちは、可能な限りパーティや祭りに参加して、“ルーツ大麻”たちとの交流を求めてほしいものだ。
ひょっとしたらポンとボンができるかも。
 05、7、1


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