第2部 2度目の旅 1982・春〜83・春
第6章 クリシュナの聖地にて  マトゥラー、ヴリンダーバン

挿絵

  [シヴァという名の相棒]

 カトマンズ以来の道連れに、その名もシヴァという新しいタイプのサドゥを得たことは私にとって量り知れない幸運だった。
 イギリスの植民地だったインドでは、庶民の間でも片言の英語がかなり通用するものの、少しこみ入った話になると現地語でなければ通じなかった。シヴァはカルナータカ州ハンピの出身だが、ヒンズー語もできたから、一緒に旅したウッタル・プラデーシュ州やヒマチャル・プラデーシュ州では通訳ができた。
 洪水の引いたバラナシに別れを告げ、ビコとシヴァと私の3人は汽車で西に向かった。ところがアラハバード駅で長らく停車している間に、検問と称して2人のポリスが車内に入ってきた。そのうちの1人は見憶えのある悪相をしていた。そいつは私を見たとたんに「ジャパニーがいた!」と叫んで、乗客をかき分けてやってきた。並んで坐っていたシヴァが立ち上がって庇ってくれたので、私は咄嗟にポケットのなかのチャラスを、股ぐらに隠した。
 ポリスはシヴァに向かって「この男がプラットホームで寝ていたのを知っているのだ」と言った。そこで私はこの悪相ポリスが、プラットホームの住民たちを脅していたのを思い出した。
 シヴァの宥(なだ)めるのも聞かず、悪相ポリスは身体検査と称して、ズボンの上から私のキン玉を握り、股ぐらに隠していたピンポン玉大のチャラスを探り当てた。それまでいろんな所で、いろんな検査官から身体検査を受けたが、いずれも服装の上から触る程度で、キン玉まで握られたことはなかったので、腹を立てる前に呆れてしまった。
 チャラスを取り上げたポリスは「罰金300ルピーだ」と言った。冗談じゃないと、シヴァがヒンズー語で掛け合い、結局30ルピーで手を打った。ただしチャラスはシヴァの要求に応じて返してくれた。要するに小遣い稼ぎの辻強盗なのだ。
 当時はゴアをはじめインド各地で日本人旅行者が、ポリス共のカモにされていた。日本人は金を持っているが、言葉が通じないので掛け引きができず、言い値で支払うから美味しいことこの上ないのだ。
 次に行ったアーグラーはタージマハルという観光資源があるから、インドでもトップクラスの観光地であり、日本人観光客を狙うハゲタカのような連中がわんさといる。
 前回は行かなかったが、今回はアーグラー城へ行ってみた。そこから見るタージマハルは、息子に裏切られて幽閉され、牢獄の窓から鏡を使って覗き見たというシャー・ジャハーン王の無念と悲哀を想像することで一層美しく見えた。
 眼下を流れるヤムナー河の岸辺には浅瀬があり、私たちは戯れに膝まで水に入って、中州まで歩いた。水は澄んでいて小魚の姿も見えた。久しぶりの川遊びにすっかりご満悦だったが、陸へ上がると川原で出会った地元のチンピラ共が、シヴァにいんねんを吹っかけてきた。あわよくば我々日本人にたかる気だったかも知れないが、シヴァの機転で事なきをえた。
 アーグラーから私たちはデリー行きの列車に乗った。ビコはロンドン行きの手配をするためそのままデリーに向かったが、私とシヴァはデリーでの再会を約して、マトゥラーで下車した。

 [ヴィシュヌ神の化身クリシュナ]

 ガンジス河のバラナシがシヴァ神の聖地であるのに対して、ヤムナー河のマトゥラーはヴィシュヌ神の聖地である。
 破壊神シヴァは恐ろしい面を強調されるが、保持神ヴィシュヌは温和と慈悲が特徴であり、妃のラクシュミー(吉祥天)とともに、永遠の光に満ちた最高天ヴァイクンタに住んでいる。彼は霊鳥ガルダに乗り、4本の手に輪盤、法螺貝、棍棒、弓を携えている。
 ヴィシュヌは世界が混乱すると秩序を回復するため、亀、猪、小人、人獅子などのアヴァターラ(権化、化身)として出現する。その7代目が『ラーマヤーナ』のラーマ、8代目が『マハーバーラタ』のクリシュナという2大叙事詩の英雄である。(なお9代目が仏陀という説もある)
 マトゥラーの悪王カンサは弟ヴァスデーヴァの息子に殺されるという予言を恐れ、ヴァスデーヴァとその妻のデーヴァキーを牢獄に閉じ込め、生まれた子供を殺そうと企てた。そこでデーヴァキーは生まれたばかりのクリシュナを牢獄から連れ出し、ヤムナー河畔のヴリンダーバンに赴き、牧人ナンダの妻ヤショダが生んだばかりの女の子とすりかえた。そのため牢獄へ連れ帰った女の子は殺されてしまったが、クリシュナは助かり、ナンダとヤショダの子として養育された。そして成人したクリシュナはマトゥラーに赴き、予言通り、悪王カンサを倒すのである。
 『マハーバーラタ』における立役者としてのクリシュナは、パーンダヴァ五王子の盟友として、クルクシェートラの大会戦では参謀役を務め、戦士アルジェナ王子に対して聖典『バカヴァッド・ギーター』を説くのである。
 クリシュナとは黒を意味し、彼をテーマにした細密画はいつも彼を黒色で描いている。
クリシュナの生い立ちについてインドの民衆は、幼い頃から数多くの物語りでなじんでいる。幼少時代からいたずらっ児で、無双の怪力を発揮し、豪雨から村人や家畜を守るため、山をさし上げて傘代りにしたり、ヤムナー河に住む大蛇カーリャを退治したりする。
 牧童として笛の名手で、フルートを吹く画像はいたる所で見かける。その笛の音に誘われて集まったゴピー(牧女)たちが、月夜のヴリンダーバンで彼と共に歌い踊り、愛の戯れを演ずる光景は、女たちがクリシュナを追い求めるように、ひたすら神を求め、献身的な愛を捧げるべきだと示唆している。男の信者たちも心は女になって、クリシュナを愛するのだから、今風に言えば「性同一性」信仰である。
 ついでながら、満月のヴリンダーバンで、笛の音に誘われてクルシュナと逢い、ともに歌い踊り、愛に戯れたのは自分一人だけだと全てのゴピーたちは思っていたのだ。これをクリシュナのマーヤー(幻力)という。

 [クリシュナ・マーヤー]

 私たちの意識を操って、この世という現象を真実だと思わせるクリシュナのマーヤーとは何か。古代の修行者ナーラダは、ある日クリシュナと散歩しながら、クリシュナに頼んだ。
 「おお クリシュナよ、あなたのマーヤーの秘密を教えて下さい」と。
 クリシュナは静かに微笑み、マーヤーの秘密など知るものではないと言った。しかし若いナーラダの熱意にほだされてクリシュナは言った。
 「それを知るためには、想像を絶するような苦しみと悲しみを味わうことになるだろう。もちろんそれ相応の快楽と喜びもあるが」
 求道者ナーラダは言った。
 「私にはどのような苦しみや悲しみにも耐える覚悟がついています」
 そこでクリシュナは路傍に腰を下ろすと、ナーラダに言った。
 「語る前に咽が乾いた。水を持ってきてくれないか」
 喜び勇んだナーラダは水差しを持って谷に駆け下った。谷川に着いたナーラダは、そこで若くて美しい娘がなみなみと水の入った大きな壷を、担ぎ上げようとしているのを見た。しかし壷はあまりに大きく、か細い女の体力では今にもバランスが崩れそうだった。心優しきナーラダは、困窮する女を見すごすことができず、水差しを置いて彼女に近づき
 「娘さん、私が手伝いましょう!」と、戸惑う彼女を尻目に、軽々と壷を担ぎ上げると、
 「さあ、家まで運んで上げましょう!」と言って、彼女を先に立てて歩き出した。道は険しく、意外と遠く、道中クリシュナのことを思い出したが、責任感の強いナーラダには途中で止めることができなかった。
 壷は刻々と重くなり、道は更に険しく、あくまでも遠く、谷間の一軒家に辿り着いた頃には夕暮れになっていた。小さなあばら家で一人暮らしの女は、ナーラダの親切に涙を流して礼を言い、疲れて空腹のナーラダのために、夕食をもてなすのだった。
 若い美しい女性の心のこもった食事に満腹し、疲労から眠気に襲われたナーラダは、闇夜の一軒家で何もかも忘れて眠ってしまった。それからである、夢のような日々が始まったのは。翌日からナーラダは人里離れた谷間で、一人暮らす若い女のために、あばら家を修理し、谷川へ下る近道を拓き、畑を耕し、薪を割り、そして孤独な女の数奇な運命の聞き役になった。
 当然のことながら、2人の間に恋心が芽生え、愛欲が燃え上がり、やがて子供が生まれた。快楽と喜びがナーラダの人生を彩り、子供たちの未来のためならどんな苦労も厭わない父親としての生甲斐と誇りに満たされた。
 しかし人生、一寸先は闇とやら、ある年すさまじい豪雨が降り続き、谷川は増水して氾濫を起こす。家族を避難させるため、ナーラダが目を放している隙に、大洪水が襲い、愛する妻も子供たちも家ごと濁流に呑み込まれてしまったのである。
 全てを一瞬にして失ったナーラダが、苦しみと悲しみに打ちのめされ、呆然と岸辺にたたずんでいた時、突然背後から肩を叩かれ、思わず振り返ると、そこにクリシュナがいた。
 「アッ!?」と驚くナーラダ。
 クリシュナは言った。
 「水はどうしたのかね?」

 [聖地のなかの聖地へ]

 私たちはマトゥラーの考古学博物館を訪れ、仏像彫刻の一大中心地だったマトゥラー美術を鑑賞した後、バスでヤムナー河畔の聖地ヴリンダーバンを訪れた。
 中世的な古風な町並みには、クリシュナを祀るヒンズー寺院がいたるところにあり、サドゥ、巡礼者、乞食、そして野良牛なども多く、宗教的なインド社会を濃縮したような世界だ。そこではカースト制度ならではの伝統的職能社会を存分に観察できる。
 例えば仕立て屋の場合、店の前で客引きするのは少年であり、ミシンを使って裁縫するのが若い父親、客の相談に乗って衣服のデザインをするのが中年の親方、奥の席で会計など総監督をしているのが長老である。これが約20年で新陳代謝して、仕立て屋という職能を世襲し、保持してきたのである。神話の時代から今日に至るまで、近代がミシンをもたらしたが、このシステムに何ら変更はなかった。
 「おお トラデショナル・プロフェッショナル!」などと、シヴァと私は感嘆の声を上げながら、手工芸店、食品店、宝飾店などを観察して歩いた。なかでも印象的なのは牛乳屋だ。店頭の大鍋で沸騰させた牛乳を注文すると、親父は右手の柄杓(ひしゃく)に酌んだ牛乳を、左手のコップの中へ注ぐのだが、空中で冷やすために牛乳は高々と弧を描いて、小さなコップの中へ一滴も漏らすことなく注がれる。それを3、4回くり返すと、飲みごろの温度になるのだ。この達人芸も世襲によって維持されているのだ。
 この中世的世界を散策していると、どこからともなくクリシュナのマントラが聞こえてくる。そのマントラは私たち日本のビートニックが初めて知ったマントラだった。60年代中葉、日本にこのクリシュナ・マントラを伝えたのは、ゲーリー・スナイダーとアレン・ギンズバーグであり、それを真先にキャッチしたのはナーガだった。
 ハリー クリシュナ ハリー クリシュナ
 クリシュナ クリシュナ ハリー ハリー
 ハリー ラーマ ハリー ラーマ
 ラーマ ラーマ ハリー ハリー   

 60年代後半になると、インド人宣教師バクティヴェーダーンタの「国際クリシュナ意識協会」が、アメリカ布教に際して用いた同じマントラの別バージョンの曲が、ジョージ・ハリソンなどのサポートなどもあって、ヒッピーブームで大流行となった。
 かくてアメリカ布教の大成功によって財を成した「国際クリシュナ意識協会」は、本拠地ヴリンダーバンに白堊のクリシュナ寺院を建立し、地元民からは「アメリカテンプル」と呼ばれた。ここでは夕方のプージャ(礼拝儀式)時には、甘いお菓子のプラサード(おさがり)が振舞われるので、子供たちが沢山集って、ポニーテールを残して剃髪した青い目の坊さん達とロック調のクリシュナ・マントラを歌い踊っていた。
 なお、当時ヴリンダーバン住民からは、子供以外には相手にされなかったアメリカ製ヒンズー教だが、現在ニューデリーのニュータウンには、国際クリシュナ意識協会の巨大なクリシュナ寺院が建立され、沢山の信者を集めているとか。近代化によって大家族制度やカースト制度が解体され、宗教的アイデンティティを失った市民が、新興宗教の中にかつてのヒッピーのように霊的な自己探求をしているのだ。(注)
 さて、ヴリンダーバンでは相棒のシヴァがダラムサラ(無料巡礼宿)を見つけたので、私たちはそこに泊った。インド人の巡礼者とヨーロッパ人のフリークスが数人逗留していた。旅人たちは朝夕、誰が誘うともなく居間に車座になって、チロムを回していた。シヴァも私も仲間に加わり、興に乗ればクリシュナ・マントラを唱えた。もちろん伝統的な本場のマントラである。
 ところで逗留客の中で1人だけ車座のつき合いをしないサドゥがいた。黒い衣をまとった陰気な中年男は、サドゥになりたてなのか新品のリックにはかなりの荷物が入っていた。サドゥも年季が入ると、ふんどしの換えと喫煙具一式程度の入った小さな頭陀袋と水差しくらいしか持たないものだ。
 彼もまたナーラダのように巨大な不幸に見舞われたものか、世俗に対する一切の興味を失ったようだった。そんな彼にシヴァが何かと話しかけているうちに、ある朝車座の中へ加わり、私の対角線上にシヴァと並んで坐ったのである。無表情ではあったが、チロムが回ってくると、丁寧に押し戴いて深々と吸っていた。
 何回かチロムが回り、ガンジャが効いてくると誰からともなくクリシュナ・マントラが始まる。小型シンバルや鈴の伴奏も入って高揚し、やがて少しづつ下降して数分間、低空飛行状態になると2人、3人と静かに席を去っていった。
 その日の私は咽の調子が良くて延々と唱い続けた。ふと気づくとシヴァをはじめ車座の一同はほとんど席を去り、残るのは私の対角線上にいるサドゥだけだった。陰気な中年男がマントラに高揚しているのは意外だったが嬉しかった。そこで私は改めて声を張り上げた。驚いたことに力強い低声がそれに応えた。それは挑戦的ですらあった。私もエキサイトして「マントラ・ヨガ」に集中し、さながらマントラ合戦となり、ついには2頭の龍のようにヴリンダーバンの虚空を乱舞しあった。
 この白熱の乱舞は2時間くらい続いただろうか。この絶妙なバランスが崩れたのは、一方の龍の呼吸が乱れ、リズムが破綻したからだ。そして突然サドゥは叫んだ。
 「クリシュナ カム! クリシュナ カム !!」
 彼は私を指さして、半狂乱のように目をむき出して叫び続けた。
 「クリシュナ イズ ラヴ! クリシュナ イズ ラヴ!」
 彼は明らかに私に何かを説明しているのだ。
 「クリシュナ イズ パワー !!」
 という言葉も何回かくり返していた。しかしこれが彼の知っている英語のボキャブラリーの全てだった。「カム」「ラヴ」「パワー」の3つの単語を使って、彼はクリシュナの異常事態を私に説明しているのだ。どうやらマントラヨガに夢中になっている私の許へ、クリシュナが降臨したという意味らしかった。
 「あなたが見ているのはイリュージョンであり、マーヤーなのだ」
 と私は言いたかったが、なぜか一瞬もマントラを止めることが出来なかった。私の口は完全にクリシュナに支配されていたのだ。やむなくマントラを唱え続ける私に向かって、半狂乱のサドゥは「クリシュナ クリシュナ!」と大粒の涙を流して合掌し、あるいは尻餅をついて笑いこけるなど、感動の波に飲まれてのた打ち回っていた。
 最初のうちは苦笑ものだった私だが、次第に中年男の他愛もない純情さに胸を打たれ、思わず涙が出るのだった。そして彼の純情さに応えるために、最後まで姿勢を崩さず、マントラを唱い続け、クリシュナのふりをするしかなかった。
 やがてサドゥは見神の深い感動に酔っぱらったかのように、床に顔を伏せてうずくまってしまった。静かに着地するように、私はマントラを止めた。
 クリシュナ・マーヤーの恐るべき秘密を知り、クリシュナの実在を見たナーラダのように、深い感動に呆然自失しているサドゥを後に、私はよろめきながら立ち上がり、台所へ行って水を飲み、やっとクリシュナの擬態から解放されたのである。

(注)
 中島岳志著『インドの時代』(06新潮社)。著者は75年生まれのインド学者。他に『中村屋のボース』(05) 『ヒンドゥー・ナショナリズム』(02) 『ナショナリズムと宗教』(05) 『パール判事』(07)などあり、いずれも傑作。


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