1. 序章 ガンジャ吸いのインド

 私が初めてインドを訪れた70年代初めには、大麻(ガンジャ)は州立専売公社が経営する「ガンジャ・ショップ」で市販されていた。公園や路上の木陰では、車座になった庶民がチロム(円筒形喫煙具)を回している風景が日常的に見られたし、行きずりの旅人にも「ウエルカム!」の声がかかったものだ。
 しかし現在、20代や30代の若者たちがインドを旅した時には、すでに大麻は非合法化され、ガンジャ・ショップは廃たれ、プッシャーから高値で買ったガンジャを吸うにも、日本並みに人目を避けねばならないという状況になってしまった。
 従って誰かが伝承しない限り、有史以前からインドの精神文明を活性化し、祝福してきた大麻文化の真実は、知られることなく終ってしまうだろう。インドについて書かれた本は研究書から旅行記までいっぱいあるし、大麻について書かれた本も多少はあるのに、「インドと大麻」について書かれた本は全然ない。もちろん旅行記の中には「どこどこでガンジャを勧められて一服吸いました」とか、研究書の類には「ヒンズー教と大麻の関係」を解説した本はある。しかし筆者自らがインド滞在中は、常にガンジャを吸って五感を研ぎすまし、精神を活性化し、意識を拡大、高揚させて放浪してきたガンジャ吸いの旅行記なるものは一冊もない。
 日本でも60年代末から70年代にかけて、沢山のヒッピー(自称フリーク)がインドを訪れ、ガンジャやチャラス(大麻樹脂)を吸いまくったのに、誰もそれを書き遺し、伝えてこなかった。それは大麻体験を文章化することは、例え海外であれ官憲にマークされるだろうという危惧があり、また出版社側も大麻に関する本の出版を自主規制していたからである。
 私自身にしても、70〜80年代は住民闘争や市民運動に深く関わり、大麻については発言する機会がなかった。80年代末期に「マリファナ・シリーズ」を出版した第三書館から、私が自伝『アイ・アム・ヒッピー』を発行したのは90年。その中でインドでガンジャを吸った話は書いたが、国内での体験は一切書かなかった。
 私が居直って大麻問題を本名で書いたのは、92年に3度目のインドの旅からの帰路、成田空港で初めてパクられ、翌年「麻の復権をめざす会」の結成に参加、解放運動の進展する中で『マリファナX』(95年 第三書館)の共同執筆者の1人になったのが端緒である。
 私のインドの旅は最初が71年秋から7ヵ月、2度目が82年夏から8ヵ月、3度目が92年春の3ヵ月、4度目が97年春の3ヵ月、合計約21ヵ月、滞在日合計630日。インドへ着陸した日から離陸する日まで、目覚めている時はチェーン・スモークを一日も欠かさず、東は西ベンガル州やオリッサ州、西はゴアやグジャラート州、南はコモリン岬から北はヒマチャル州まで、3等列車やバスを使って放浪した。
 フリークスがインドを目ざしたのは、そこが大麻文化の発祥地であり、大麻道の本場であるという理由だけではなかった。そこにはもっと根源的な魂の渇望があったのだ。
 60年代、東西冷戦がベトナムなどの局地戦争の激化によって、全面核戦争にまでエスカレートしかねないという危機感が世界を覆う中で、アメリカに次いでヨーロッパや日本など高度経済成長を成しとげ、車や電化製品などあらゆる消費物質が氾濫する先進国では、カネとモノに狂乱する人々を尻目に、体制をドロップアウトする若者たちがいた。
 このマイノリティたちは「ビート」「ビートニック」と呼ばれ、67年以降は「ヒッピー」と呼ばれた。このムーヴメントは破滅に向かう「近代」を築いた西洋物質文明を否定し、その対極にある東洋精神文明に「ポスト・モダン」というサバイバルのヴィジョンを探求した。
 西洋近代のハード基盤である科学技術主義の否定を、ヒッピームーヴメントは自然回帰、有機農法、共同生活、自然食、ヨーガ、自然療法などの実験と挫折をくり返しながら、今日のエコロジィ運動の基礎を築いた。一名カウンター・カルチュア(対抗文化)運動と呼ばれる由縁である。
 一方、西洋近代のソフト基盤であるキリスト教「一神教主義」の否定を、ヒッピーイズムは東洋思想の根源であるインドの多神教(ヒンズー教)や無神論(仏教)に求めた。インドだけではなく、チベット密教、中国の道教、東南アジアの上座部(小乗)仏教、そして日本の禅などにも目を向けるなど、「宗教ルネッサンス」と呼ばれるほど、それは宗教的な運動だった。
 禅道を求めて欧米からビートやヒッピーたちは日本へやって来た。しかし私たち和製ヒッピーは、日本の仏教を信じなかった。仏教だけではない、わが国のすべての宗教は天皇教に総汚染され、歪められ、病んでいると思ったからだ。
 日本は仏教国ということになっているが、宗教人口は全国民の3倍もある。1人で3つの宗教を持っている計算だが、精神的、霊的にはずいぶん退化した国民である。カネとモノに狂わされたとはいえ、今や国民総体が神や仏の存在を信じなくなっているのだ。それもそのはず、日本は国家権力がかって神も仏も「処分」してしまった国なのだ。
 わが国の近代化に際して、明治政府は欧米列強のキリスト教という「一神教システム」に対抗するため、国家総動員の「一神教日の丸システム」の確立を計った。
 そのため不殺生の仏教を排仏毀釈令によって「処分」し、仏寺を祖先供養の葬式屋に貶(おとし)め、八百万の神々の神社神道を、皇祖天照大神を主神とする国家神道によって「処分」した後に、天皇教「現人神」という一神教システムをでっち上げたのである。
 明治、大正、昭和と天皇3代、約80年間に渡った現人神ファシズムは、「一木一草にも天皇霊が宿る」として、日本人の精神的、霊的世界を完全に支配し、仏教はもとよりあらゆる宗教が(キリスト教の一部を除いて)これに追従した。その結果、アジアへの侵略戦争と太平洋戦争にまで狂気をエスカレートさせ、3000万人を殺し、300万人が殺されたが、仏教はあらゆる宗派が「大和魂」を鼓舞し、若者を戦場に送り出した。
 しかし神風は吹かず、大日本帝国は2発の原爆を食らってギヴ・アップし、45年8月15日正午、現人神の玉音放送で幕を閉じた。当時私は小学2年生、現人神教育を受けた最後の世代であり、戦後の焼け跡に立った天皇が「人間宣言」をして、超A級戦犯が無罪になったことを憶えている。
 かくて神も仏も信じられなくなった一億総ニヒリスト日本人は「信じられるものはカネしかない」と、経済成長の波に乗り、宗教はもっぱら葬式と観光で稼ぎまくる仏教か、現世利益の新興宗教しかなく、人生と真正面から取り組み、魂の渇仰を癒してくれるものなど何もなかった。こうした日本の宗教的貧困と、精神的、霊的な空白状態の中で彷徨い、呻吟していた私たちに対して、欧米のビートやヒッピーはインドを指し示した。そこには日本人にとって原始仏教への回帰というロマンチシズムがあった。仏陀は言った。「犀の角のようにただ一人歩め!」と。
 このような危機と混沌と激動の時代にあって、精神的、霊的な復興運動に、大麻の偉大な力が授けられたのは神の恩寵であった。実際ガンジャなしには物質文明育ちのひ弱な若者たちが、インドの前近代的な矛盾と赤裸々な現実に耐えられなかっただろう。しかし「貧しくて、汚くて、恐ろしいインド」が、旅人たちの目にやがて限りなく「豊かで、浄らかで、慈悲深いインド」に変貌してゆくのは、意識の拡大というガンジャの神通力の然らしむるところであった。
 時代は変わる。「近代化」に対して頑なまでに抵抗し、「眠れる巨象」などと言われてきたインドが、グローバリズムを受け容れたのは、大麻を非合法化し、アルコールを解禁した2年後の1991年、それはソ連が崩壊し、ベルリンの壁が落ち、アメリカの一極征覇が確立した歴史の変り目だった。
 ついに自由化した市場経済は、IT産業と連動することによって一気に経済成長の波に乗り、インドは「世界のエンジニア」などと呼ばれ、「世界の工場」と渾名される中国と並んで、やがて日本を凌いで超大国アメリカに次ぐ、第2、第3の経済大国に成長するものと見られている。
 このグローバリズムという「アメリカ化」の進展するなかで、環境や共同体は破壊され、カースト制度に亀裂が入り、ヒンズー教はその存在基盤を危機に晒され、伝統的な土着文化は衰退してゆくだろう。大麻文化こそはその象徴的な存在である。
 私は古き良きインドを懐古して、「昔は良かった」などと言う気はない。昔も今も「良きインド」の裏側では常に「悪しきインド」がバランスを保っているのだ。私が語りたいのは、私がインドで目撃し、体験した事実、大麻文化というインドで開花し、有形無形の多くの実を結び、精神文明に大きく貢献し、カウンター・カルチュア運動の原動力にもなった豊かな文化を、インドは切り捨て、見失ってしまったということ、それはインドだけのローカルな問題ではなく、「近代化」がもたらすグローバルな問題として、我々一人一人に突きつけられた問題なのだ。
 人間は現在に止まることも、過去へ引き返すこともできない以上、未来へ向けて前進するしかない。しかし前へ進みながら、これまで人間が何を切り捨て、何を見失ったかを、絶えず注意深く見つめながら進んでいかなければならない。

 このルポルタージュは長年私の内部に潜み、文章化の機会を伺ってきた数々の思い出を、一気に語り尽くそうというもの。
 私は旅日記やメモなどをほとんど残しておらず、特に最初と2回目の旅のものは皆無だ。従って記述の全ては記憶の糸をたぐり寄せるもの、物事の細部や背景など忘れたことも多いが、ガンジャに関する核心部分は決して忘れてはいない。なぜなら文章化してはいないものの、これらは大麻を吸いながら仲間たちに何回も語ってきた話なのだから。
 なお、一度は『アナナイ通信』に連載を予告していたが、ミニコミの発行は不定期なので、このHP「麻声民語」に月1回程度のわりで連載することにした。最低2年は続くはず。挿絵も毎回載せたいと思っています。これは「語り部」としての私の最後のカルマだと思っている。 ボン シャンカール!!
                         08.2.20  ポン


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