カズからの手紙

〈その2〉トーク&ライブ“自宅出産の話を中心に10カ所でのソロライブ”から帰って

HOME

C D

PROFILE

LIVE

 3週間のライブ・ツアーからシピラの山の家へ帰りつくと、あたりは草ぼうぼう。改めてこの3週間にともに旅に連れ出た生後4ヶ月の一新を含めて、何もかもがそれなりに成長していることを実感した。
 畑の野菜も、植樹したフルーツの若木も、そして旅から帰った自分自身も。こんな人里離れた山の中から、街から街へ、そして人の輪から人の輪へと導かれ、皆さんとたくさんの愛のエネルギーを交歓し、ここへ帰ってくる毎に、少しづつ成長していく自分を感じる。暮らしから生まれる歌はここで紡ぐのだが、やはり表現者としては、人の輪の中で育てられ、また生かされていることを実感します。ありがとうございます。
 まず最初に帰宅の我らを迎えたのは、お腹の大きかったネコのミユが、留守の間に産んだ3匹の子猫だった。たぶん旅立って1週間目の新月の時あたりだったと思う。旅先で1度、夢にお腹をぱんぱんにふくらませて出てきたので、夢の中でよくお腹をさすってあげた。半野生の動物とはいえ、しっかりと自立したお産をしたものだ。
 今回の旅はパートナーの史江が産後初めての徳島への里帰りも含めていた。徳島という所は1週間に僕のライブが今回5本も成立するほど中身の濃い所なのです。四国へはここ2年くらいの間、何度も入っていますが、今回初めて淡路〜鳴門ルートで四国入りしました。この鳴門のゲートをくぐり、古代に封印された阿波の国へ入るのは、それなりの意味があったように感じています。そして、さらに岡山と関西方面でもとても意味深い旅をさせていただきました。
  出発の時、たてつづけに3匹のヘビと出会い、しかも3匹目のとても小さなヘビは、僕が車から飛び降りて見に行った瞬間にカケスという鳥が飛来して、そのヘビをつかんで林の中へ飛び去った。なんという野生との遭遇のしかたなのだろう。こんなふうに、特別な形で野生と遭遇する時は、いつも何かの前兆だ。
 そして今回の旅はといえば、なぜかほとんど予定外にいろいろな古い神社をお参りすることになりました。最初は岡山県の川上町にある「穴門山神社」。1200年ほどの歴史で、大和朝廷などで日本が一つに統一されようかという時代のもの。今ある社殿は数百年前に建てられたものだそうですが、だいたい御神体はどこへ言っても裏の方にあるもので、ここも裏にストーンサークルや洞窟がありました。
 なぜこんな所に神社があるの?という感じで、それは人里を遠く離れた山中の深い谷の中。昔ならそう簡単には近づけない所です。うっそうとした森の中、満開のユキノシタの大群生に包まれていました。そしてその天然の洞窟の中に、やがては伊勢神宮の御神体となる鏡が4年間かくしまつられていたそうです。ちなみに、戦後、米国のMPが日本の神道を暴こうと、それまで神主以外は誰も入れなかった伊勢神宮の聖域に入り、その鏡を調べたそうですが、そこにはユダヤの言葉、ヘブライ語で“ただ在りて在るもの”と書かれてあったとのこと。今ちょうど長男の天地が社会科で、古代の日本の神道が、なぜか封印されたその頃の表の歴史を習っていて、彼は学校では必ずしも本当のことを教えているわけではないということをクールに理解した上で、テストのための勉強をしているが、世間ではどういう誤解をしているかを知る良いチャンスであると親子で話し合った。
 話は横道にそれましたが、次にライブがあった所は西宮の戎神社で、演奏前におまいりに行くと、ここも伊勢神宮とゆかりの神社であることがわかった。実はここの貴賓室で僕のライブを企画してくれたありがたい人がいて、当日は向かいの会議室で同時刻に、なんと普通の病院の開催しているマタニティースクールが行われていた。僕は、まずもって、これは偶然ではないなと思った。次々とお腹の大きな女性達が会場へやって来る。かたやこちらでは、自宅出産の話を中心のトーク&ライブ。なぜか、あちらのドアは誰かがあけっぱなしのままで、こちらの歌が聞こえたりしてたそうだが、その場に居合わせた生後4ヶ月の一新がそちらへ向かってワーワーと大騒ぎで、何やら一生懸命呼びかけているみたいだったと後で聞かされた。ライブ中、一番奥の大きなガラス窓の所で聞いていた二人の主催者の女性が、“「ありがとう」の歌の時に、窓の辺で、バリバリとラップ現象が起こっていた。あれはきっとお腹の子供達はこっちに響いていたよ”と言ってましたが、そんなこともあるのでしょうか。
 さて僕の自然出産の話のポイントは、月との関係性からだ。自分で取り上げた3人の息子は、長男が新月、次男は満月、そして三男も新月と、みごとに月の力にいざなわれて生まれて来ました。我々、この地球上に生きるものは皆、太陽や月、天体の影響のもとにあることは、長年の畑の経験からも実感しているし、潮の満ち引きなどを見れば明白です。
 時満ちて、赤ちゃんは宇宙の力と共に喜びに満ちて産まれてくる。まずは赤ちゃんが喜びのバイブレーションとホルモンを発する。それによって初めてお母さんは子宮が収縮し、陣痛が始まる。そうすれば自然に産道も開くし、赤ちゃんにも出て来ようとする活力がある。そして月の力が助けるから非常に産まれ易い。母体のダメージもなく、赤ちゃんのトラウマもない。スムーズなお産ができるし、ましては自宅であればそのまま母と子がゆっくりよりそって、この世のスタートを加護できるのである。
 産み方にしても、病院のように変な器具で足を固定されることもなく、自由に本能にまかせて、様々なスタイルの選択が許される。
 ところが医師の都合に合わせた、赤ちゃんの意志や母親の本能を無視したお産では、陣痛誘発剤で強引に子宮を収縮させるから、産道も開きにくいし、赤ちゃんにも出る力が無い。だから会陰の切開をして器具などで引き出したり、まるで外科手術のようなお産になってしまうケースが多い。そしてなぜか産後しばらく母と子は共に居ることが許されない。出産予定日にこだわったり、平均から外れたものを異常と見なすのは、へたをすると個性の無視につながる。三男の一新は普通より1ヶ月長くお母さんのお腹に入っていて、産まれた時は2500gと小柄だったが、とても元気な子で何の問題もなく成長している。母親もダメージ無く、乳も良く出ている。妊娠中逆子だった事があったけど、逆子直しの体操で直ったし、出産直前も横向きだったが、僕の手の誘導で、すぐに正常にもどり、お産も多少時間はかかったが安産だった。そして胎盤もしっかりしていた。
 また胎盤は食べると産後の回復に非常に良く、野生動物は皆そうするものであり、かってそういう文化もあった。話せば長くなりますが、この辺がざっと話のポイントで、後は自分の体験談です。それと“なぜ?こんな山の中で専門家も立ち合わず、何かあったらどうするんですか?”という質問は多いと思いますが、“産まれてくる命の必然を信じることが出来た”という一言につきるのです。
 もう少し具体的に言えば、僕にも史江にも夢の中にある程度成長した姿で、産まれ来るその子が出て来てOKサインを送ってくれたことも大きなささえになったし、僕らとしてはお産の日までに、周辺の医師や助産院も訪ねてみたが、結果としてお産のスピリチュアルな面も考慮した上で、自分以上に信頼の出来る専門家と出会うことができなかったことからも、さらに意志を固めることになった。
 それから家族だけの自宅出産を志す人のために一つ。免許持ちの立ち合わない自宅出産の場合、すぐに出生届けは受け取られず、役場の保健婦さんや法務局の役人が本当かどうか、まず調査に来ます。その際に、胎盤の一部でも冷凍して取ってあれば、それがそこでお産があった証拠になります。また事前に母子手帳を取っておけば、ちゃんと妊娠していたことが証明されますが、その場合には血をとられて、エイズや肝炎の検査を必要がなくてもされたり、エコー写真でお腹をピリピリされたりします。逆子かどうかはエコーで見なくても手でさわれば固い方が頭だし、キックする方が足だからわかります。もし母子手帳もいやなら、事前に地元の保健婦さんに一度相談に行くのも、妊娠の証人を作る一つの手だと思います。
 もし100%マイペースのお産を望むのなら、自分の本能を信じて、自宅での他を頼らないお産が一番ピュアーだと思いますが、少なくとも自然分娩をしてくれて、産む側の感性を尊重してくれる助産婦さんや助産院との出会いがあると良いですね。
 また補足して言うならば、産まれて来る命の必然があるからには、それなりの出会いと導きが必ずあるというものです。産まれて来ようとする命には、天命というものがあるわけですから、霊的なサポートも当然にあるわけです。またその子が、どんなふうに産まれて来たいかということと‥‥、母親が直感的にどんなふうに産みたいかと感じることとが自然によりそって来るはずです。
 僕が3人の息子達を自分で取り上げた時には、産婆役をする立場として、何をどうしたら良いのかということが、すべて直感の中に響いて来ました。次男の時などは顔面位という頭の先からではなく、顔から先に出てくるという、ある種の難産のパターンでした。最初、口が見えた時には、いったい何が起こってるのか、まるで解らなかったが、次に鼻が見えた瞬間に状況を理解しました。まずアゴを出してはいけないということが解りました。なぜなら首から頭部にかけて弓なりにそっくり返ってしまい、出て来にくいし、ヘタをすると赤ん坊の首や脊椎にダメージを与える。さらに母胎の会陰も切れやすくなると思われた。たぶんほんの数秒のチャンスだったろう。アゴを押さえ下から頭を起こすように持ち上げ、そのまま会陰をすべらせるようにして、スポンと頭を出した。自分でもなぜあんなことができたのか、今思えば不思議だが、生まれて来る命の必然のパワーが僕を使ったのにすぎない。

何万という群れで一つの有機体として生きている。ミツバチのワンネスの世界からは多くの学びがある。蜂瞑想と蜂ヒーリングを体験しているが、いづれまた改めて紹介したい。

我が家で飼っているというか共に生きている野生の日本ミツバチ。中央に居る黒っぽくて眼の大きいのがオスバチ。         (写真はクリックすると拡大表示します)


 
 さて旅はまだ続くのですが、鳴門のゲートから四国に入り、まずは大麻比古神社へたまたま案内された。ここでも色々不思議なことがあったが、今自分の生活の中で一番強い絆を結んでいる野生の日本ミツバチと神社内の御神木(樹齢1200年のクスノキ)のうろの中で出会い、また一つこの旅の必然を感じたのですが、長い話になるので、いずれまた日本ミツバチの話を中心に別な機会にとても興味深い話をお伝えしたいと思います。また鳴門のライブでは、すでに自然出産のことで運動を始めている人と出会うなど、あらゆる流れが共時していました。
 その後、麻植郡(おえぐん)という地域へ歌いに行き、忌部神社や白人神社などで古代のドルメン(石で作った鳥居の原型)やメンヒル(石柱)を参拝する流れとなった。そしてそこでもまたミツバチと遭遇した。
 一新が生まれて以来ずっとサルタヒコという名前が僕のインスピレーションにやって来ていたのだが、大麻比古神社へ行って初めて、そのサルタヒコがそこにまつられていることを知ったり。(サルタヒコは麻によって人の世を栄えさせたとしてまつられている)不思議な必然をいくつも感じる旅でしたが、家に帰りつくと、天窓の所に大きな我が家の天井裏の主、御神体のアオダイショウが脱皮してピカピカに輝いてお出迎え(実は初対面)してくれた。
 そして、つくづく脱皮を促されていることを感じた。野生のように、ワンネスの世界へ、より包括的に脱皮していくことに、強くあこがれている。
 最後に、今回の旅の流れをささえてくれた多くの恩人達と、そのおかげで出会えたたくさんの愛すべき人たちに感謝をこめて、
 「ありがとうございます」
                                          LOVE 和生 ♪


シピラ通信1 自宅出産にて3男を無事出産

表紙ページへ