映画「祝〔ほうり〕の島」を製作中の監督

纐 纈(はなぶさ) あや さん


 

 山口県の上関町に中国電力が建設しようとしている上関原発。その目の前の島・祝島で映画をつくっている人がいることを知ったのは、約半年前。すでにこの島では六ヶ所村ラプソディの鎌仲ひとみさんが映画を撮っているのを知っていたので、同じ小さな島で2つの映画?と興味をもった。しかも今回初めて映画をつくるという若い女性が監督だ。ラッシュ上映を見せてもらったりお話を聞いているうちに、これはなにか応援したいと思うようになり、山水人の祭りで上映やお話の機会をつくったり、今回のインタビューをさせてもらうことになった。 彼女が想い描く「懐かしい未来」とは何か、このインタビューからよみとってもらえれば幸いだ。(あ)

 

未来につながる映画

── まずこの映画のねらいとか何を表現したいのかを聞かせてください。

●何を表現したいかというと、1つは、私たちが未来にどういうビジョン、どういう世界を思い描くのかということ、祝島を見てると原発がどういうものなのかということは必然的に向き合わなければいけない。原発に賛成か反対か、いかなるものかということが見えてきたとしても、‥‥私は個人的に原発には反対なんですけれども、じゃあその先にどういう未来を思い描きたいのか、何に希望をもつのかということがすごく重要なことだと思っていて、そのきっかけになるものを映像に写しとりたいと強く思っています。
 祝島の人達の姿や生き方を見ていると、私自身がどう生きていきたいか、どういうふうにこれからの世界、未来につながっていけばいいのかというのが見えてくるような気がするんです。
 祝島では原発建設にまつわることも含めて現在進行形でいろんなことが起きていますが、それだけではなくて、島の人達の生活にはこれからに通じる希望の光が見える(笑)、そう感じるんです。

── 原発反対のためのドキュメンタリー映画ではないということですね。

●もちろん原発というものがいかなるものかという映画があっていいと思うけれども、私の今回の作品づくりでめざしたいものは原発がテーマじゃないということは初めからはっきりしていました。何かに対して反対、賛成する以前にある、人が生きていくために本当に大切なもの、私たちは何に希望を持てるのか、未来につなげていきたいものは何かということを見つめたい、それができれば、必然的に原発がどういうものなのか、私たちが進むべき道が見えてくるのではないかと思うんです。
 島の人たちは、目の前に原発建設が持ち上がって反対せざるを得なくなったけれど、でも原発反対のために生きているわけではもちろんなくて、その前には何世代にもわたって営んできた“暮らし”がある。その暮らしは圧倒的で、それが何よりも大切だと言い続けているんです。それを守るために原発反対なんだという、その順番がとても重要だなと思っています。
 
── 祝島に出会った最初のきっかけは、原発に反対している所ということでチェルノブイリの映画「アレクセイと泉」を上映しにいったことだそうですね。

●はい。私の中では原発反対の島ということで、どんなところだろうと、ちょっと怖いイメージを最初にもって行ったのですが、船を下りた瞬間から、現れる人、現れる人、ほんとに陽気で明るくて冗談ばっかり言ってるようなおばちゃん達と、ちょっとシャイでいかにも人なつこそうな笑顔を浮かべているおじちゃん達がわらわら出てきて、それを見たとたん、自分の抱いていたイメージがとっぱらわれました。もちろんそこにはずーっと原発に向き合ってきた生活があるのですが、島の人達にとってはそれが主ではないというのが、降り立った時にすぐに感じられたんです。

お金に換えられないもの

── 原発を認めたらお金をいっぱいもらえるだろうけど、それを断りつづけてるわけですね。

●「高額な補償金をほしいと思わないのか」って、私やっぱり聞きたくなって漁師さんに質問したことがあるんです。すると「補償金なんていうのはあぶく銭だ、そんなものはすぐに消えて無くなる。自分達はずーっとこの海のものをもらって生かされてきた。その海を絶対に売れない。この世の中には金に換えちゃいけないものがある」ときっぱりとおっしゃったんです。自分の愛しているこのきれいな海を次の世代に残したいという、その想いだけなんだと。
 お金より大切なものがあるというのはよく耳にする言葉ですが、それを27年間ずーっと選び続けてきている島の人達は本当にすごいなあとあらためて思います。
 ではなぜお金ではないと言えるのかといえば、島の経済を支えているのは、いわゆる貨幣ではないからなんです。それは私たちスタッフが島で生活させていただいてる中でよく感じることなんですが、島の経済が円滑にまわっている前提には、まず人が蒔きもせず育てもしない恵み豊かな海があるということがあります。その次にはお金に換算しない労働力の交換。誰かが困っていたら自分が助け、自分が困ったら人に助けてもらうという相互扶助が日常で行われている。もう一つは島という限定された世界、限られた資源の中で、あるものを分かち合う信頼関係がある。それらが島の経済を支えている。なので、金じゃないというのは理念ではなくて、そうやって島の人達が毎日生きてきたからこそ出てくる言葉なんです。
 海が死んだら食べていけなくなるというのは、漁業での収入が無くなると死活問題になるということもありますが、その根底には自分が今ここに存在していることが明確につながっている、直結していることを皆さん日々の生活で実感しているんだと思います。

── それが何百年とか一千年続いてるわけですね。

●あの島にいると、海の役割ということをよく考えるのですが、海は暮らしの場であり、道であり、遊ぶ場であり、色々なものが海を渡ってやってくる。外界とつながるにはすべて海を通してでないとできないんです。言い換えれば逃げ場がないということでもあります。もし目の前に原発が建って、何かがあったときには逃げる場所はありません。そして緊急事態が起きた時の対策は提示されないまま建設計画は進められています。

── 祝島の人達が反対してなかったら、とっくに原発が建ってるでしょうね。でもそうやって30年近くも反対を続けてきたからこそ島の結びつきが強いのかもしれないですね。

●島は高齢化・過疎化が深刻で、若い人の力が必要ですが、原発の問題があると若い人も帰って来られない。新しい人も移住する決断ができない。島がこれから存続していくためには新しい人、若い人の力が不可欠なんですが、その点でも島は苦しい状況です。

実感としてのつながり

●島にいると様々なつながりが見える、‥それは人と人、海と人、島と人、生き物のいのちといのち、そして過去現在未来‥、たくさんのつながりの中でコミュニティがなりたっている。そのつながりを感じることが人をこんなにも幸せな気持ちにさせるんだというのが私の実感です。
 私は東京に住んでいますが、隣に誰が住んでいるかわからなかったり、スーパーで売られている魚がなんの魚でどこで獲られたものかがわからなかったりと、それぞれが核化している、個になっていますよね。でも様々なつながりがあって自分が今ここにいることを感じられることがものすごく大きなことだと思うんです。
 実感としてそのつながりが感じられた時、その延長線上に日本ということも電力の問題もぜんぶ自分のこととしてつながっていくのではないかと思います。
 祝島の集落の構造を研究されてるある教授のお話では、周辺の島にはない特徴があって、集落が一つのお城のようで、それぞれの家が部屋のような形式になっていると。道も個人の家の横を“仁義道”といって通り道にしている。それを聞いたとき、祝島は集落が一つの家族のように生きているというイメージと重なりました。
 9月の抗議行動の真っ最中、中国電力が台船を動かさない日曜日に運動会の撮影をしました。祝島には小学生が3人だけなので上関町と合同運動会をするのですが、その様子がめちゃくちゃおもしろかったんです。グラウンドのまわりにずらっとテントが張ってあって、そこに祝島のテントもあるのですが、そこだけ様子が明らかに違うんです。まず最初に子ども達が準備体操をしていると、当然、保護者はそれを見ているわけですが、カメラをずーっと動かして祝島のテントのところに来ると、応援団がみんな一緒に準備運動をしているんです(笑)。島の3人の子どもに対する応援も猛烈にすごいのですが、それだけではなくて子ども全員に同じように応援するんです、‥猛烈に。まわりの人達は自分の子どもの出番の時だけわーっとやって、あとはただ見てるのですが、島の人達はずーっと応援しつづけているんですよ。その光景を見た時に、これこそまさに祝島人の姿だなと。島の子どももたった3人ですからほんとは自分の子どもじゃないんですが、それはもう自分の子ども、孫だと思ってるし、そうじゃない子どもも、目に入った子どもはみんな応援する。
 だから祝島の人達にとって無関心という言葉はほど遠いんです。自分の目に見えたことには必ず反応する。例えば祝島で観光客の人が貸し自転車に乗っていてタイヤがパンクしたとなると、あっちこっちから島の人が集まってきて人だかりができるほどになるんです。目の前で起きたことは人ごとじゃなくなるという感覚ですかね。それはたくさんのつながりを実感して生きていると、目の前で起きていることに自然に体が反応するのではないかと思います。
 数年前、東京で、会社の帰り道に電車に乗ろうとしたら前のドアから倒れている男性の足が見えていて近寄っていくと通勤ラッシュの満員の電車の中で男性が倒れていました。みんな何もせずにただ見てるだけなんです。そこから降ろさなきゃいけないのは一目瞭然で、私はその人の上半身を抱えて、そこに立っているおじさんに「足持ってください」と言ってホームに降ろしました。その時、様子をうかがおうとする人も声をかけようとする人もいなかったのに、ほんとに驚いたし腹が立ちました。
 目の前で起きていることなのに見て見ぬふり! 反応無し! 立ち去ろうとする‥‥。そういう場面に遭遇することが最近、本当に多い。

つながりを取り戻す

●あの場に私が知っている祝島の人達がいたら、一番に手を貸しただろうと思います。
 隣で起こっていることに見て見ぬふりをするということが、結局はいま日本の各地や世界の隅々にしわ寄せとして現れているのではないかと感じます。
 自分のこの生というものが、ほんとに様々なものと絡み合って今ここにあるということの実感を取り戻すことが、自分1人だけじゃなくて、自分の家族、住んでいるところ、日本、そして地球というものが全体的に幸せになっていくことの最初の一歩なのかなと思います。さいきんよく宮沢賢治の言葉を思い出すんです。「世界がぜんたいに幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という。これは自分とすべてのもの、世界がつながっているという実感から出て来る言葉なんだろうなって思うようになりました。
 
── そういうつながりを取り戻していくことから纐纈さんのめざす「懐かしい未来」が見えてくるんでしょうか?

●祝島で撮影をしているときは自炊生活をしています。野菜や魚を毎日のようにいただいて、それで私たちもこの体を養っているわけです。魚をさばく機会が多くて、それはまだ生きている大きな鯛だったりするのですが、魚を殺すとものすごく疲れるんです。はっ!という、気合いが要る。考えてみれば命あるものを殺すのだから、疲れるぐらいは当然のことですよね。ふだんそういう殺生なんていうことを生活の中でしないじゃないですか。鶏とか豚とか牛というのは今の時代では自分でつぶすことはほとんどしないわけですよね。でも魚をさばいていて、ほんとにその瞬間、自分が殺しているっていうことを改めて自覚して、食べるということは他の生命を殺して自分に取り込むということなんだなと実感する。
 今の時代は、さばくこと、つぶすことを機械や第三者にゆだねて、その手間ひまをお金に換えてるわけで、お金があれば、そういうことを見ないで生きていけるのだけれども、そういうことの実感をとりもどしていくことが、これからの描いていく未来にとても重要なことではないかと思います。
 いい映像を撮りたいという欲もあって、島でなるべく過ごしたいという想いもあるのですが、私という人間自身がそういう暮らしの中に身を置くことを欲していて、映像を撮りながら、私自身が何かを思い出したり考え直したりして、自分の生き方を変えていく。同時並行してそういう作業をしているような気がします。

私が変わったのは

── 具体的にどんなことが変わりましたか?

●ひとつはお金にに対しての考えがすごく変わりましたね。島の人達は、お金がすべてじゃない、お金はほどほどにあればいいんだとよく言います。でも実際、島の生活を見ていると決して金銭的に楽なわけではなくて、お金の必要性、有り難みを人一倍知っている方達だと思うんです。でもお金を持つことの代償をよくわかっていて、お金はあればあるほどいい、という考えに皆さんブレーキをかけています。私は今この映画製作の仕事しかしていないのですが、以前の私であればどう考えても生活が成り立たないから、他にお金を得るための仕事を割り切ってやって、残りの時間を映画製作にあてるという形をとっていたと思うのですが、その部分ですごい開き直りがあって、生きていく上で必要最低限ぎりぎりのお金があればいいという感覚に変わったところがあります。(笑)お金がなくては生きてはいけないというような危機感からかなり自由になりました。

── ふつうはお金がないとやっていけないという思い込みで、必要以上に稼ごうとしますよね。お金持ちほどよけいお金をほしがるし。

●いくらあっても足りない感があってね。今、明らかに私より収入がある人たちと話していても、みんな足りない足りないって言っているのを見て、ああ、お金ってこういうものなんだなと(笑)思うんですよね。
 お金というものは本来それ自身に価値があるのではなくて、何かの物と物を交換する上で、その代用として便宜的に生まれたものだろうと思うのですが、今は紙切れのお金そのものに価値があって、あればあるほど豊かだと皆信じて疑わない。だけど島の生活はお金がすべてじゃないと言えてしまう強みがある。
 それは一つには食べるもの=自分のいのちをつなぐものが、自然の中で自らが耕したり採ったりすることで大部分得られるため、食べていくことイコールお金で買う、という図式が当てはまらない。
 けれどそれはあくまでもあの豊かな海があって、きれいな空気があって、島の畑が正常に機能しているということが前提のお金との関係なわけで、もしそれが崩れたら、ほんとにお金がなければやっていけなくなります。
 
── それこそ原発ができて、海が汚染され空気が汚染されたらそうなる可能性は充分ありますね。

●島で今までの生活が成り立たなくなったら、どうなってしまうんだろうと私思うんです。あそこで生きていけなくなるんじゃないか。目の前が真っ暗になるような気持ちになります。
 だからいま海の埋め立てを絶対に阻止しなければと、皆仕事をなげうって抗議行動をしているというのは、埋め立てが始まってしまったらもう島で生きていけないということになりかねないからなんですよね。その切迫感や不安、悔しさは、第三者の私が決して理解しきることはできないと思います。

映画づくりのおもしろさ 

●昔の日本人は、‥和歌や俳句で、言葉ではすべてを表現できないということを前提にした言葉の使い方をしていたのではないかと思います。その言葉の背景にある深遠な世界を表現するための手掛かりとして言葉を用いるということがあったと思うのですが、今の言葉の使い方というのは、言葉にした瞬間から情報を示す記号となって固定化されてしまうことが多くて、余韻や含みがどんどんなくなっている。そして映像というのは言語化するということから一つ自由になれる手段だと思っています。たとえばちょっとした時の動作だったり表情だったり空間だったり関係性だったり、そこに含まれている情報はとても豊かです。今回で言えば原発に反対している島の人達にインタビューをとって、なんで原発反対なのかを聞くことはすごく簡単なのですが、それは文章でもテレビでもできることで、時空間を切り取りながら一つのことを表現していくというのが映画表現のおもしろさだと思うんです。
 それをするためには膨大な時間がかかりますが、そうして見えてくるものは、最初に想定していたものとは違うことがいっぱいあって、最終的にどんなところに行き着くのかがとても楽しみです。
 撮り始めて思うことは、これはドキュメンタリー映画といえども、島の人との共同製作なのだなあということです。撮る者と撮られる者とが時間を共有して空間を作り上げていく、それが映像表現につながるのがおもしろくてゾクゾクします。
 色々な狙いをもってカメラを向けてはいるのですが、実際に撮ったものの中に、ぜんぜん気がつかなかったものがあったり、予測もしていなかった出来事が目の前で起きたり、そんなことがあるからひたすら時間をつかって撮っているんです(笑)。すごくぜいたくな撮影をしていると思っています。
 この映画は、祝島のことを知らない人達にたくさん見てほしいというのはもちろんあるんですが、島の人達へのラブレターであるとも思っているんです。島の人達が自分たちで気がついていない美しさとかおもしろさを、島の人達に見てもらいたい。今の上関原発の状況は決して楽観視できるものではないけれども、この映画を10年後、20年後に島の人達が見た時に、こういうふうに生きてきたことを誇りに思ってもらえるようなものを作品に残したいなと思っています。島の人達の誇りを刻みつけておきたいんです。
 だから映画も消耗品としてではなくて、ほんとに長い年月残るようなものにしたいなと思っています。

■インタビューを終えて

 纐纈さんによると、撮影は12月まででおわり、これから編集作業に入って完成・公開は2010年初夏の予定だそうだ。
 この映画は監督をはじめカメラや製作デスクなど3人のスタッフは全員女性だという。しかも纐纈さんは初監督経験で、他の仕事もせずに打ち込んでいる行動力には頭がさがる。(自由学園卒だと聞いてちょっと納得) 
 そのうえ映画づくりを通して自分も変わっていくという姿勢には、思わずひきこまれて応援したくなる人が多いようで、応援団ができている。映画完成に向けて、途中の段階のラッシュ上映会をやったり、監督を囲んだ座談会が開かれたりもしているので、近くで開催の機会があればぜひお勧めしたい。なお映画製作には多大な資金がかかるため、余裕のある人は協力をお願いします。(あ)

映画“祝の島”情報
上関原発計画について
●映画「祝の島」を応援する会
 製作協力金一口¥5000       
 振込先:郵便振替 00180-1-357684
 “映画「祝の島」を応援する会” 
 会員には撮影報告等のお便りが送られるほか映画のエンドロールに名前を載せるそうです。
 問い合わせ:映画「祝の島」事務局
 TEL.03-3227-3005/FAX. 3227-1406 houri@polepoletimes.jp
●映画「祝(ほうり)の島」HP:http://web.me.com/polepoletimes/
hourinoshima/top.html

●第3回「祝の島」座談会:
 2月28日(木) pm7〜東京・東中野Space&Cafeポレポレ坐 03-3227-1405 出:纐纈あや、内藤いづみ、山秋真 ¥1000=お茶付
【ニュースより】
2009年12月17日、中国電力は1号機着工の2年延期を発表。着工延期は1994年の建設計画発表以来、8回目になるというニュースが入ってきた。しかし一方で中電は18日、原発設置の許可申請を原子力安全・保安院に提出。その中で予定地西2kmに活断層があることを明らかにしながらも耐震性に問題ないとしている。
【署名運動に協力を!】
 上関町の「原発建設計画中止!を求める署名」が、2010年3月末まで100万人を目標にして継続中で、現在は60万人ほど集まってる。ぜひ協力をお願いします。
→署名用紙ダウンロード(PDFファイル)
http://shimabito.net/syomeipdf2009.pdf 
【詳しい情報は下記を参照】
*祝島島民の会 blog:http://blog.shimabito.net/
*STOP上関原発:
http://stop-kaminoseki.net/