〜WPPD 2008 AOTEAROA〜

富士山からアオテアロアへ

本出 アデル みさ


未来の世代にこの集いを伝えるため木を植えるチーフ・ルッキングホース一家

2004年、World Peace & Prayer Day (WPPD、せかいへいわといのりの日)。富士山のふもと朝霧高原に集った4000人近い人々が、台風「雷の母」が直撃する最中、手をつないで輪をつくり、世界の平和と地球の癒しをそれぞれのかたちで祈った。あれから早4年、2008年の夏至が目前に迫っていた。

WPPDとは、米先住民族ラコタ族の精神的指導者の一人であるチーフ・アーボル・ルッキングホースが、民族の虐殺の歴史と魂を癒す馬の行進を数年にわたり毎冬行った後、世界的なビジョンとして6月21日の夏至の日に各地の聖地に集まり、宗教や民族の違いを超えて、地球の癒しと世界平和を祈ろうと呼びかけた集いだ。聖地は特に癒しの力が強い。北半球では太陽の力が最も強くなる夏至に、聖地に良い心で集い、ネガティブに傾きがちな世の中のエネルギーを転換させようというのが目的だ。1996年に始まったWPPDは、公式にはアメリカ大陸の4つの方角を巡った後、アイルランド、南アフリカ、オーストラリア、そして日本の富士山で行われた後、ブラックヒルズ、アラスカ、メキシコと続いてきた。同時に、世界各地の人々がそれぞれの思いで、身近な聖地に集い、祈りの輪を毎年続けている。

富士山WPPDには、アイヌ民族として実行委員となり参加した結城幸司氏の縁でアオテアロア(ニュージーランド)のマオリを代表してザック・ビシャラが参加した。大きな体と優しい笑顔、思慮深く知的で、ギターと歌が得意なザックは先住民ゲストからも、参加者からも大人気で、彼のいる場所にはいつも笑顔と笑い、歌がたえなかった。そんなマオリ・スピリットあふれるザックは、儀式の翌日チーフ・ルッキングホースから、ラコタの聖地ブラックヒルズの形でもあるハート型の大きなトルコ石の腕輪を受け取った。それは、彼がビッグなハートをこめて分かち合ってくれた思いと友情へのチーフからの敬意であり、またそれ以上のものであったと思う。腕輪を受け取ったザックは、その場で4年後の2008年このWPPDの集いをアオテアロアでもちたいと語った。南半球のマオリにとって、夏至は太陽の力が最も弱い時期だが、同時に新年を祝うマタリキという月間の一部にあたっているという。4という数はまた、ラコタで聖なる数とされ、多くの儀式やサイクルで使われている。

長老の歌に合わせてギターを弾くザックさん

瞬く間に4年が過ぎ、いよいよWPPD 2008 AOTEAROAに向けて出発となった。7月1〜4日北海道で開催の「先住民族サミット」アイヌモシリ2008の事務局長として多忙を極める結城幸司氏とは現地集合だ。WPPD開催地は北島のファンガレイから沿岸の狭い道をさらに北へ行くこと1時間のファンガルルという、ナツィ・ワイの民の小さなコミュニティ。亀の島(アメリカ)からはチーフ・ルッキングホース一家、そして世界各地のWPPD オーガナイザーたちが到着。アオテアロアWPPDの主催者はAMOという全国的なマオリ組織の若手メンバー、そして地元ナツィ・ワイの民だ。WPPD参加者はまず、ポウヒリという儀式で正式にマラエに迎え入れられた。マラエとは先祖の霊がまつられる集会所で、儀式、お葬式、お祝い事など、生活にかかわる様々な活動が行われる。私たちはここで先祖の写真が所狭しと飾られた大きなホールで寝泊まりを共にしながら、18〜21日まで、空気、火、水、大地、そしてアロハというテーマにそってひとつひとつ儀式を行っていった。

伝統がまだ強く根ざすマオリの地域社会が、海の向こうの部族が提案する儀式をどのように受け止めたのか? 驚くべきことに、この地に伝わる古くからの伝説に、このような日が訪れることが伝えられていたというのだ。そのようなこともあってか、初日から大勢の長老をはじめ老若男女が歌や踊りで出迎えてくれた。男性の長老たちは皆見事な木の杖を振り回しながら朗々とマオリ語でスピーチをする。「通訳はいらない。言葉自体に力があるので、そのまま聞いてほしい」ということで、何日もマオリ語を聞いていると、なんだか分かったような気になってくる。スピーチの後は必ず、長老の妻か家族が傍らに立って、歌を歌う。言葉と歌はセットになっていて、歌でしめくくられた言葉はより力を持ち、歌で人々のスピリットが喜ぶ。早朝の火の儀式、水の儀式、カウリという巨木の息づく原生林の案内、植樹の儀式…。常にそこには長老たちがきびきびと動き回り、冗談をまじえながら、自然のことを説明しつつも、その奥のより深いスピリットの話を語っているようだった。「幸せすぎる、体がスピリットで溢れている」そう言って、満面の笑みを浮かべる長老、スタン。チーフ・ルッキングホースの息子にいろいろなことを教える彼の姿が印象的だった。

マオリは、自己紹介をする時にはまず、自分の生まれた土地の山、川、海の名前、民族、両親の祖先について説明する。そうやってはじめて自分の名や、個人的なことについて語るのだという。また、太平洋に点在する島々の人々の起源については、その昔、今の台湾あたりから、徐々に民族が拡散していったということが学術的に証明されつつあるが、マオリの間にはカヌーによる大航海時代に、ハワイキ(ポリネシア民族の伝説の祖先の地「とこしえの地」)からアオテアロアに到達した先祖の物語が語り継がれている。先祖がどのワカ(カヌー)のどの位置に乗っていたかまで伝えられているという。自分を見失っている人のことを、「彼は自分のワカを知らない」という表現さえあるのだ。

大きなマラエでの生活は快適で、祖先の霊たちに守られている気がした。それはほっとするような感覚。部屋の中央の祭壇には、21日の儀式で使う聖なる火が灯され、その周りを巨大なクジラの脊椎が守っていた。

21日、WPPDのセレモニーの時がきた。両側に湾が広がる中州のような聖地に灯された祈りの火を囲み、一人一人がタバコやセージなど、自分の祈りを込めた葉をくべていった。雨が降り始め、足下の大地を包む柔らかな草がしっとりと濡れていく。セレモニーのことを言葉にするのは難しいけれど、この静かな輪は真に、平和だった。最後に両側の湾をつなぐ虹が現れたときは、富士山WPPDに現れた虹やブラックヒルズWPPDでの虹を思い出し、共にWPPDを行ってきた多くの仲間たちのことを思い、感謝が溢れた。同じ頃、富士山では小さなWPPDの輪がもたれ、アオテアロアの祈りとつながっていた。

歌、言葉、祈り、謙虚さ、笑い。マオリの人たちとの交流は、新鮮な喜びと驚きでいっぱいだった。神妙な儀式ではあるけれども、何か、マオリ的なゆるさというか、優しさがあふれる、そんな時間と場。言葉では説明しにくい何かを、チーフも、海外の参加者もみんな感じていたと思う。富士山で生まれた縁が、ここアオテアロアでまた新たな展開につながっていく…。その意味、その重み、その責任とは?個人の思惑や願いとはまた別の次元で、確実に何かが生まれ、新しい扉が開かれたように感じた。チーフ・ルッキングホース一家は、マオリとの出会いに新たなインスピレーションを受けて帰っていったように思えた。

亀の島、ヤポネシア(日本)、アオテアロア。それをつなぐ太平洋。昨年はハワイの伝統航海カヌー、ホクレア号がミクロネシア経由で日本への大航海を果たしている。祝島、周防大島、宮島、広島、横浜、焼津と、港みなとでナイノア・トンプソンはじめ多くのクルーやキャプテンたちと出会い、重ねた交流の中から、この太平洋をめぐるスピリットの再生と力をと感じた2007年。太古から人々をへだてるのではなく、つないできた太平洋。アオテアロアから再びヤポネシアへ戻る飛行機の上で、2004年にザックが関西空港に着いたときに言った言葉が思い出された。「不思議だね、日本へ向かって海の上を飛んでいる間中、祖先が航海した道を自分はさかのぼっていると思うと、胸がいっぱいになったよ」。人々が旅をし、思いが、祈りが世界をめぐる。まとめようがないダイナミックな動きが今、始まっている。

WPPD 2004 JAPAN: http://wppd2004.org/
WPPD 2008 AOTEAROA:http://wppdaotearoa2008.blogspot.com/
チーフ・アーボル・ルッキングホース:http://wolakota.org/