本音で生きないと思いなんか伝わらない

映画制作の経験も技術もお金も人脈もないのに
映画「1/4の奇跡〜本当のことだから」を作った監督

入江 富美子 さん

 映画をつくったことのない、それも小さな2人の子供を抱えた主婦が障害や病気をもつ人のメッセージを伝える感動的な映画をつくって自主上映会をやってるので、取材したらいいよという話を何人かの人から聞いた。それで映画はなかなか見る機会がなかったが本を何冊か読み、これはいい話だしおもしろそうと思って取材を申し込んだ。この新聞もメッセージを伝える一助となれればと思ったからだ。直接会ってお話を聞いてるうちに、映画の内容のメッセージも素敵だが、同時に何もないところから映画をつくった入江さんのパワーと、その「奇跡」を実現させた彼女の精神的な旅の話に圧倒された。 (聞き手・文責:浜田)


──まず映画の内容から伺います。「1/4の奇跡」という題名が面白いというか興味をひくようなものなんですが、どういう意味なんですか?

入江● 1/4というのは、昔マラリアがアフリカで大発生して、マラリアで人類が滅亡してしまうんじゃないかとなった時に、マラリアにかからない人がいるってことがわかったんです。それで科学者たちが調査をしたところ、ふつうの人達の赤血球がドーナツ型をしているのに対して、マラリアにかからない人達の赤血球は鎌型をした鎌状赤血球が含まれていることがわかったんです。で、遺伝子というのは二つのセットになっていて、鎌状と鎌状の組み合わせの人が1/4、鎌状と正常、正常と鎌状、正常と正常という1/4づつのグループに分かれることがわかったんです。そして鎌状と鎌状の組み合わせの人には病気があって、特殊な貧血症という障害をもっているんです。でも鎌状と正常の赤血球をもっている2/4の人は鎌状の遺伝子をもちながら病気はないんです。そうするとマラリアにかかった時に、正常赤血球の人は鎌状赤血球がないので亡くなってしまうんです。で、残された3/4の人達のうち、2/4の鎌状と正常赤血球を持ってる人達が生き延びて、また人類をふやしていってくれるんですけど、でもその人達が生まれるためには1/4の障害をもってる人達がいてくれる必要がある。ということで、障害のある人達がいなかったら、人類は生き残っていけないということが科学的にわかったんです。
 そのことを、雪絵ちゃんという多発性硬化症という難病の女の子に山元加津子さんが話したら、みんなが違っていてみんなが大事だということと、病気や障害も大事だということを世界中の人が知っている世の中にしてって言って亡くなったんです。
 その話を聞いたときに、私は映画を通してみんなが大事な存在なんだという雪絵ちゃんの思いを伝えたいと思ったので、題名に使ったんです。

──映画づくりは全くのはじめてで、家庭用のホームビデオで撮ったそうですね。

入江● はい、ソニーのハンディカムで。

──どうして映画を作りたいって思ったんですか?
入江● ちょっと前にてんつくまんの映画を見てて、映像ってすごく力があるなーって感動したんです。彼もまったく映画をつくったことがなくてつくられたので、わーいいなーというのが心の中に入って、今思うとですが、私もできる、やってみようと思ったのはそれがきっかけにあったと思うんです。でも映画を作ろうと思い立ったときは、ただ自分の感動した思いを映画につくりたいと思ったんです。だからすごく簡単に考えてたんですね。
 子供のころから本を出すのが夢だったんです。でも映画監督というのは気づいたら映画を作ってたというかんじなんです。自分が伝えたいメッセージを伝えずにいれないような状態で進んで、気づいたら映画ができていたという不思議な体験なんです。楽しく苦しい体験でした‥‥。

──苦しくもあったんですか?

入江● 苦しいと字で書いてしまうとちがうんですけど、たとえば追いかけっこで必死で逃げて走ってる時って、苦しいけどおもしろいじゃないですか。あんなかんじです。自分で決めてやってることは、誰のせいにもしないので。(笑)

──宇宙に感謝の量をふやしたいというのが映画をつくった目的なんですか?

入江● そのきっかけは私に運命を変えた2005年の大晦日の夜におこったんです。それまでは自分のことをそんなに好きではないし、いつもいつも自分はなにか欠けてるかんじとか足らないかんじがしてたんです。で、もっと何か出来る人にならないと受け入れられないと思ってずーっとがんばって生きてきたんですけれど、それがもう足りないままのまちがったままのありのままの弱い自分で生きていこうって自分を受け入れたんですよね。そしたらお腹がぐぉーって振動しだして、そして「ありがとうー」って感謝の思いがあふれだしたんです。その時に、感謝はするもんじゃなくてあふれてくるものなんだって確信したんです。何とも言えない感謝がわいてきて、その感謝が現在と過去と未来に広がっていったんです。辛い出来事がいっぱいあって自分は不幸だって思い、あーしてほしかった、こうしてほしかったって不足ばっかり思っていたのに、あれもしてくれた、これもしてくれたって感謝が見つけられて‥‥。さっきまで不平不満を言っていた自分が、もしかしておばあちゃんはこんな気持ちやったん?て見え始めて、急にありがとうって、先祖代々まで広がるくらいみんなにありがとうって思えた時に、宇宙全体の感謝の量がぶわーっと増えたような気がしたんです。

──それはどんなきっかけで?

入江● それは自分を受け入れた時ですね。その時に強い自分が現れたんでしょうかね。自分が自分でいいよといったときに、本来の自分なのかわからないんですけど、めげめげしてるいつもの自分とはちがう自分が現れて、感謝の思いを返せみたいな意識です。懺悔するんじゃなくて今度はお返しするエネルギーに使ったらいいんだなっていうことがその瞬間にわかったんです。私はけっこう被害者に入るパターンてあるんですね。でもそれは自己中心的に自分のことばっかり考えてることで、じゃあ人のために動こう!と思ったら、ありのままの自分を受け入れて感謝がわきあがる、宇宙に感謝の量をふやす映画をつくりたい!って、その瞬間決めたんです。
 でも私、映画をつくったことないですし、何から手をつけていいかわからなかったんですけど、ふっと思ったのは、その映画が未来に存在していて、たくさんの人が感動しているのを感じたんです。なんとなくそんなかんじがしたときに、あ、私がつくるんじゃなくて、その未来にたくさんの人を勇気づけてくれてる映画を、私が持ってくればいいわって思ったんですよ。
 じゃあ誰の映画を作るの?って思った時に、田中信生っていうカウンセラーの先生がいるんですけど、私の頭の中ではその先生の映画をつくるって決めたのに、心は山元加津子って‥‥バラバラだったんです。理屈でいうと、どう考えても田中信生先生だったら知り合いだしお願いできるのに、山元加津子さんは1回、絵の個展でお会いしただけだったんです。ただそれだけの出会いだったのに、私は直感の方を選んだんです。 
 どうしてそれを選んだかというと、‥‥私はトラウマがあったんです。6才の時に朝目が覚めたら隣で父親が死んでいた。そのことで自分はダメな人間だ、まちがってるんだと思ってしまったんです。そのトラウマがあることを私は知らなかったんですが、社会に出てからキャリアをつんだら自分は幸せになれるんじゃないかなと思って何年かデザイナーの仕事をしたり、お金があったら幸せになれるんじゃないかと思って会社をつくって社長をやってたんですが、それでもぜんぜん心が豊かにならないんですよ。じゃあほんとにやりたいことをやればいいのかなと思って会社をたたみ、アロマテラピストになったんです。で、13年間、この前までアロマテラピストとして活動してたんですけど、そこそこ豊かだけどまだ乾いている。その時、人はビジョンを生きても幸せになれないんじゃないかなって思ったんです。ビジョンを達成していってるのに得れないものがあるから、ビジョンを生きるんじゃなくてミッションを生きたいって思ったんです。
 で、その田中先生にビジョンを生きるんじゃなくてミッションを生きたいって言ったら、天が期待していることを私に実現させて下さいって毎日祈りなさいって言われたんです。でもね、ミッションを生きるとしんどいよって言われたんです。しんどいけど、それを生きたらえもいわれない幸せがあるけどねっておっしゃった時に、私は迷いもせずにもう絶対ミッションしかないと思ってたので、ミッションを生きたいですって言ったんです。

──そのミッションというのはもっとわかりやすく言うと?

入江● ビジョンというのは自分から描くもので、努力して目標たてて一生懸命やれば行ける道だと思うんです。ミッションというのは生まれてきた時に決めていることなのか、もっと簡単に言うと、ほんとの自分が、こうあるべきとかこうしたらいいとかじゃない、ほんとにやりたいことがミッションかなと私は思ってるんです。

──使命みたいなものですか?

入江● 使命ですね。で、田中先生は、ビジョンは自分から選ぶから力は自分もちだけど、ミッションは向こうからやってくるから力は向こうもちだよ、天もちというか、大きな力がもってくれるよっておっしゃったんです。ビジョンは自分がこっちだなと思ったらこっちを選んで行きますよね。でもミッションはこっちやーって思ってるのに、ちがう方を示されるんです。だから、ビジョンは田中信生って言ってるのに、ミッションは山元加津子って言われたんですよ。だからもう得たいの知れない直感を選ぶということだったんです。(笑)

──そういう直感力とかインスピレーションんて前から鋭かったんですか?

入江● 特別あったとは思わないです。ふつうだと思います。でも意識したんだと思うんです。人って別に霊能者じゃなくても虫の知らせだったり、こっちがいいよねって思うことはありますよね。ただ、そう思っててもこっちの方が得そうとか良さそうやしと計算したり知識でもって変えますよね。だからみんな直感はあると思うんです。私は、ミッションはちがう方をしめされるよって聞いてたんで、知識と理屈と経験をできるだけ横に置いて、たとえ不利であっても直感的にこっちやと思う方を選ぶって決めたんです。で、第一っこめの選択が山元加津子さんだったんです。
 そこから十人中九人がふーちゃんこっちは違うでって言われても、自分がこっちやと思う方を選んで来たっていうかんじですね。その積み重ねで今があるっていうことで、それが私にとってミッションを生きるっていうことなんです。

──映画を作ってる時も、計算して作ろうとしたら気持ち悪くなってくると本に書いてましたね。

入江● 感動させようと思わなくても、編集してるうちに、あ、これ感動するやろなーとか、ここで泣くよなーって思いはじめると、もうおえーっとなるというか、我が出てしまうと気持ち悪くなるんですね。でもただただ大晦日の夜に感じた感動、宇宙に感謝の量が増えたっていう感動を伝えたいっていう純粋なものに戻ると、もうパラパラパラって閃くんですよ。それがもう何年も続いてます。小さな埃をまたいだら、大きな埃が降ってくるっていう言い方があるらしいんですけど、人と仕事する時でもえ?と思ったこと、ずれみたいなものを放っておいたら、必ず自分が気持ち悪くなるので、勇気をもって元にもどします。わかりやすい体になってしまいました。(笑)
 でも前はちがったんですよ。どんなことがあっても、うまくいくためやったら自分の思ってることも無いものにして生きてきましたからね。自分をガマンさせて、とりあえずみんなが仲良くなれたらそれでよかったんですけど、今は自分を裏切らない人になりましたね。

──それで今まで作ったこともないのに映画をつくれるようなパワーが発揮できるようになったんでしょうね。

入江● よかったと思うのは、私が映画を学んでなかったことなんです。学んでたらうまく作りたいとか、なにか比較の世界にはいるんじゃないかなと思うんです。今思うとまったく比較のないところでただ自分の心にきいて、自分がこうやなーと思うことができたのかなって思うから、逆になんにも知らないってすごく強いなって思いましたね。たぶん映画のいろんなルールを破ってつくってると思うんですよ。ちゃんとした監督さんから見たら、うぉー何やってるねんて。(笑)だけど知らないから何も怖くないんです。で、けっきょくプロの監督さんも見てくださいましたし、大手のTV局の人とかいっぱい見てくださったんですけど、みなさん暖かい言葉をかけて下さるんです。めちゃめちゃ新鮮でしたとか、あーんな撮り方するなんて、ぼくもいっかい一から映画を見直しますとかね、(笑)もうあのまま行った方がいいよ、ぜったい勉強せん方がいいよとか、すごい励ましてくれてやさしい声をかけてくださるんですね。怒られたりいやーなことは一回も言われたことないです。

 この映画は最初からのメンバーの靖子ちゃん、おのっち、そしてたくさんのサポーターがいなかったらできなかったという。

入江● 映画の上映会を開く準備をするのに、さいしょ靖子ちゃんもおのっちも忙しくてどうしようって思ってたんです。映画を作りながら集客もしなくちゃいけなかったので。で、ミクシーをはじめたんですよ。ものすごく苦痛やったんですけど、がんばって毎日毎日映画づくりの話を日記に書いてるうちに応援団が増えたんです。ミクシーで広がりましたね。そして試写会をやるごとに応援団の方が来て下さって、私は一人で映画の画面を作ってるけれども、もう一人じゃなかったんです。うしろにいっぱいの人の思いとか応援が感じられて、制作できたんです。だからこそ映画の画面に対して不誠実な思い(感動させたろなど)なんかはじゃまでじゃまで、そういう気持ちは失礼なかんじでした。

──きっとみんなが吸い寄せられてきたのは、入江さんの正直な気持ちを読んで感動したからでしょうね。

入江● 必死さがでてたんでしょうかね。(笑)そんなのに慣れて無くて、さいしょはいいかっこもしてたと思うんですけど、落ち込んでベンチで泣いてたことも書いたし、何かをして下さいというより今の自分の心境を書いてましたね。助けてって言えなかったんですよ。
 これまでの人生は好きじゃないのに平気なふりしてポーカーフェイスで生きてきたでしょう。そのくせってまだまだ残っていたんですけど、人は本音で生きないと思いなんか伝わらないんだってことをだんだん学んでいくんですよ。集客もそうだし、映画づくりでも、いいかっこしていたらほんとの作品なんかできないですね。そんなの響かないじゃないですか。だから自分がどれだけありのままの自分でいることが大事かってことに映画作りの中で気づいていったんです。

 最初の上映会に1000人の会場をいっぱいにしたいと決めて集客にかけまわり、たくさんのサポートをえて実際には立ち見が出るくらいの人が集まった。そしてその人達がたんぽぽの綿毛のように全国にとびちり、今では全国150カ所、1万6000人の人が見てくれた。英語版もできて海外でも広まっている。ロサンジェルスのジャパンフィルムフェスティバルでは黒澤明監督のものをはじめ多数のメジャーな日本映画作品とともに「1/4の奇跡」が出品上映されたという。
 今は二作目の新しい映画がまもなく完成・初上映会(7月6日)を開くところだそうだ。これも寺田のりこさんという人を追ったドキュメンタリーで、テーマはありがとうと許し。自分をそのまま受け入れること。
 さらには第3作の映画も今年12月に公開予定というから、入江さんの勢いは止まりそうにない。(詳細は右上の囲み)

 「1/4の奇跡」では障害や病気をもった人もふくめ、すべての人・イノチには存在理由があり、みんな大事なのは当たり前のことなんだというメッセージを伝えている。この新聞を明日入稿するという今日、やっと映画を見ることができたが、映画のつくりが素人っぽいというような印象は特に感じさせず、それよりもメッセージがすとんと心にひびく内容だった。この映画の元になった山元加津子さんはすばらしい感性の持ち主だし、それ以上に彼女の役割というのがはっきりしている。また監督の入江さんはスーパーウーマンの道を歩んでいるように思える。素人が映画をつくり、その映画がたくさんの人に見てもらえるということもまた一つの奇跡だが、それは彼女が言うように自分の使命を果たす道を選んだから起きたことで、誰もが自分のこだわりや自我を手放し心を開けばできるはずだと思った。
 今のように環境も社会も混乱し、また生きる意味を見いだせず自殺する者が多い時代だからこそ、山元さんや入江さんのような人が現れ、それぞれの使命を果たすべく生き始めているのかもしれない。
自分もそのように、自分の果たすべき使命をしっかりと歩んでいきたいと、この映画を見て改めて思った。   (浜田)

 

映画「1/4の奇跡〜本当のことだから」
 http://www.yonbunnoichi.net/
・上映会の予定をはじめストーリー、キャスト、CDや本の情報などがわかる。また山元加津子さんや入江さん、スタッフのブログ、2作目の映画にもリンクされているので窓口として使える。
・電話での問い合わせは:080-3848-9401(ハートオブミラクル:三浦)

 

「1/4の奇跡 もう一つの、本当のこと」
【三五館 286ページ 1,500円+税75円】
 映画の最初からのスタッフ2人と一緒につくった本。映画づくりの経過とそれぞれの思いが3人の目から語られていて立体的にわかる。はらはらどきどきの連続でけっこうボリュームがあるのにすぐ読み終えてしまった。

 

★2作目:「光彩〜ひかり〜の奇跡」
 カラー心理セラピスト寺田のり子さんは「色と癒しの絵」を通してたくさんの人に幸せを届けたいと、活動していた。そんな時、寺田のり子さんは病気で右目を失明し、余命短いことを宣告される。苦悩の中自らが、見えなくなった目で美しい色をつかみ、「光りの絵」を描く。その人生の使命の強さとその奇跡を描くドキュメンタリー。
→塩間良典:090-2710-7671 メール: info@hitosaji.com FAX.06-6952-6454
★3作目:「宇宙(そら)の約束」
 山元加津子さんが紡ぐ愛の詩を映画化。この映画では入江さんはプロデューサーとなり、1、2作までのスタッフ・コーチだった岩崎靖子さんが監督となる。
→FAX.0797-87-9462  URL:www.ee-pro.net