amanakuni Home Page | なまえのない新聞ハーブ&アロマテラピー | 八丈島の部屋

新 刊 紹 介

『夢見る力―スピリチュアリティと平和』

おおえまさのり著 作品社 1900円+税


著者から‥‥‥おおえまさのり

 2001年の9・11から一ヶ月ほど経った頃、神戸のアート・ヴィレッジ・センターで、一九六七年にニューヨークで制作した、六台の十六ミリ映写機を使って上映する『Great Society』という六面マルチの映画を30年ぶりに上映する機会があった。
 それは、ニュースフィルムを駆使しながら、60年代アメリカを、上下二段の六面スクリーンにダイナミックにコラージュしたもの。画面はケネディ大統領の暗殺にはじまり、公民権運動を展開してきたキング牧師やマルコムXの暗殺などの衝撃が走ってゆく。そして魂を揺さぶるロックに身を揺らしながら、意識の変容を迫ったサイケデリック革命の嵐が吹き抜けてゆくが、星条旗よ永遠なれと歌う六面マルチの星条旗の中に、爆撃弾が投下され、泥沼のヴェトナム戦争に突入してゆくアメリカの姿が映し出されてゆく。

 画面を見るわたしの内では、9・11後のアメリカの展開が重なり、60年代から展開してきた意識の変容の流れとは何だったのか、この40年の間にほんとうに何が変わったのか、何も変わっていなかったのではという激しい思いが込み上げてきた。そして9・11後、ますます暴力化するわたしたちの意識と世界の展開に、わたしたちは何が出来るのか、どうすればいいのかという自問が続いてきた。
 わたしたちの社会は、最終的に国家にすべての暴力を委ね、それ故、国はその秩序を守るために、すべての人権や法的秩序を無視して、決断して暴力を遂行する。

 だが、ジョン・レノンは歌う。「イマジン(想像)してごらん、天国なんてないんだと……」と。そして国境なんてない、殺す理由なんてないと。
 今、イマジンする力、夢見る力を奪われ、いや自ら放棄してしまったわたしたちがいるのではなかろうか。
 そんな時出会ったのがオーストラリアの先住民アボリジニの「ドリームタイム」という世界観であった。
 オーストラリアの先住民アボリジニは、大地には種子が宿り、種子はその後に形成される植物の夢見を宿し、その夢見を形にして植物はこの世界に立ち現れて来て、己を実現するという。そのように、この宇宙には、生きとし生けるすべての生命には、想像し創発する生命の潜勢力「ドリームタイム(いのちの夢見)」が宿り、世界はいのちの夢見の形態形成場として歌い出されてきていると。

 人類は、原人といわれるヒト科の発生以来数百万年に渡って、大いなる神秘を秘めた漆黒の闇に身を震わせ、そこから湧き起こってくるいのちの夢見を嬉々として汲み出しつづけてきたものだ。わたしたちはそこから生についての多くの秘密を学び取り、世界は溢れ出てくる霊性に満たされていた。そこでは、わたしたち一人ひとりが霊性的世界と直接交流し合い、かつわたしたち自身もそうした霊性的存在であった。
だがやがて、霊性的世界との交流が司祭や巫女といった人たちに占有され、王のみがその継承者であるとされるに及んで、わたしたち一人ひとりの内に息づいていたいのちの夢見が失われ、世界から霊性が奪われていった。
 やがて、霊性を封じ込めた人格神や唯一神が現し出されるや、世界は神との契約によって、人間の支配するものとなっていった。こうして世界や大地やいのちに宿る霊性が奪い去られていったために、わたしたちはそれを収奪し破壊することができたのである。
 大地や世界の、そしてわたしたち自身の破壊を止め、いのちの息づく豊かな地球を取り戻すには、大地や世界の、そしてわたしたち自身の霊性を取り戻さなければならない。霊性を取り戻すには、大いなる神秘の闇に息づく「いのちの夢見(ドリームタイム)」を見る「夢見る力」を取り戻すことである。

 これらの問題を考えてゆくに先立って、近代の問題として一九六〇年代に立ち上がってきた意識の変容の新潮流を振り返りながら、今日のスピリチュアリティの在り処を簡単に述べておきたい。
 六十年代、近代の自我の壁を打ち破るべく自己を超え出ようと、超越的なものへの衝動が吹き出てきた。やがて、それらの超越性をアイデンティファイして、自己を支えてくれる原理を求めて、父なるもの、教条やグルやカルト集団を希求していった。その極点の崩壊劇の一つとしてオウム事件はあった。
 その崩壊劇の中で、人々は己の内に、自己を無条件に抱擁してくれる母なるもの、大地性の欠如(その一つに環境問題がある)を見、シャーマニズムへの傾斜を強めていった。
 そして9・11にキックされるようにして、社会性がそこに巻き込まれてきて、公共的な、よりホリスティック(全体系的)なアプローチが、求められてきているといえよう。

 今、世界に問われているのは、「夢見る力」を持つことである。ドリームタイムの場には、人類の希望と未来に向けての「夢想する思想」があり、そこから、汲めども尽きない人類の、いのちの夢見を紡ぎ出すことができる。わたしたちに求められているのは、夢見と自然界が同時に存在し、それぞれがもう一方のイメージであるような世界観や生き方を立ち現すことだ。

 

画像をクリックで拡大↑



No.136=2006年5・6月号

なまえのない新聞のHome Page

amanakuni Home Page