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『イラク国際市民調査団』の帰国報告会と

『第二回 イラク国際市民調査団』の団員募集

◆ジャミーラ・高橋◆

《アラブイスラーム文化協会からのお知らせ:2003/1》

「劣化ウランの被害」に取り組むために、イラク医師に昨年11月下旬来日して
もらいましたが、皆さんからの物心の応援があって、お蔭さまで成功いたしまし
た。その後すぐ12月12日より、今度は「イラクへの戦争を止めよう!!二度と
ひどい爆弾を使わせない!!」ということで、アメリカの爆撃が心配される中を、
<人間の盾>として出かけました。もしイラク爆撃が許されたら、もう歯止めが
利かなく、本当に取り返しがつきません。地球上の人々の生活も、地球もダメに
なります!

◎『イラク国際市民調査団』の帰国報告会
   1月12日(日) 午後1時開場
  文京区民センター 3階3A室(定員200名)
   地下鉄都営三田線・大江戸線春日駅0分
  参加費:500円 本や物品のチャリティー販売もあります。

*日本は既にイージス艦まで出してアメリカの戦争をバックアップしています。
いいえ、先導しています。本当にイラクは<爆弾を落としてまでも、やっつけな
ければならない国>なのでしょうか。私たち29名は、実際この目でイラクの今
を見てきました。

南は、劣化ウラン被害が甚大なバスラの、国連が国境を監視する非武装地帯の
ゲートまで行ってきました。この国境を近い将来、世界の平和を願うグループが
この地には戦争がもう無いことを確認するあかしに、「平和行進」して、クウェ
ート・ボーダーを越えたい!!

北は、モースルから更に西北のトルコとの国境近く、クルド人やトルコ人の子供
たちが学ぶ小学校へ。サッカーをして遊ぶ子供たちに米軍機が爆撃を仕掛け、多
くの子供たちが死傷しています。すぐ脇で兄弟を二人失くした少年は、生き残っ
ても傷心で空ろ。その少年を訪ねました。

*さて、12日当日は調査団参加者からどんな報告がなされるでしょうか。ビデ
オ製作では本格的な人も参加していますから、貴重な映像が見られるでしょう。
最年少は高校生ですが、さまざまな立場の人たちの参加です。真に迫る報告の一
休憩に、アラブの81弦の琴カーヌーンをヤスミーン・植月千春さんが演奏して
くれます。彼女は最近CDを出しました。

◎イラク国際市民調査団は今回に限らず、第二回を2月6日(木)より、更に第
三回、第四回と計画しております。平和のための人間の盾です。アメリカが爆弾
を打ち込んでくるなら、それはそれで覚悟を決めましょう。今まで本当に辛苦し
てきたイラク人の、盾になりましょう。
 
■『第二回 イラク国際市民調査団』の団員募集■
    2月6日〜
 #参加の意志のある方は、迅速にご連絡ください!! 
  調査団は参加者の都合を尊重しながら、プランを練ります。

◎アフガニスタン難民の越冬が過酷を極め、凍死者が続出のようです。次のHP
をご覧になって、衣類を送ってください。実際手に渡るのは1ヵ月半も先ですか
ら、これが最後です。今緊急に役立てられるのは、パキスタンで薪や炭や毛布や
食料を購入して届けられるやはり<現金>です。JITの口座に振り込んでくだ
さるよう、特にお願いします。
http://www.eeeweb.com/~backup/

◎1月18日の、国際的な反戦デモをぜひ成功させましょう!!
 友人、知人、隣人に呼びかけて、どこかの集団に加わって意思表示をしましょ
う!!
http://www.worldpeacenow.jp/
http://give-peace-a-chance.jp/118/alljapan.html

 1・18ヨコスカ行動 というのもあります。
 詳細は、090−2912−4152 FAX:03−3392−7226

★PCが故障したため、案内が遅くなりました。申し訳ございません。

***************************************
    アラブイスラーム文化協会 & 
  アラブイスラームの子供たちを助ける会
     代表 ジャミーラ・高橋
 E-mail: jamila@gray.plala.or.jp
 Tel/Fax: 03−3332−1265
**************************************

◆宮崎 亜紀子(国際NGO職員)◆

■事実を知るということ:イラク国際市民調査団に参加して■

厳冬のイラクを訪れた。人々の暮らしや思いを自分の目で確かめるために。
戦争が当然であるかのような空気と、様々な報道に飲み込まれていつのまにか
それが自分の意見であるかのような錯覚に陥っていくことのほうが怖かった。

イラクを発つ日の朝、北部モースル市郊外テラファの町で出会ったフセイン・
ファラー君のなんとも言えない戸惑いと寂しさを含んだ表情を思い出す。
2001年6月、子どもたちがサッカーで遊んでいた広場に爆弾が落とされ、死
亡者22人負傷者12人が出た中、弟2人を目の前で亡くし、自らも両足に爆撃
の傷と後遺症を負った12歳の男の子だった。何よりも大きかったのが心に負っ
た傷であることはその目が語っていた。12歳の少年が将来にわたって背負うも
のの重さを思った。この地域は軍事施設がないのにもかかわらず、1991年以
来20回ほど爆撃を受け、少なくとも200人が殺されたとの話を聞いた。

しかし、緊迫した情勢が続く中でのイラク訪問を通して私が出会ったのは、おそ
らく世界に映るよりもはるかに冷静沈着で、明るく、メソポタミアの平原が育ん
だ文明や深い絆で結ばれた民族への誇りを持って生きる、普通の人々の姿でもあ
った。厳しい砂漠気候と豊かな資源、そこにあって幾度もの戦争を乗り越えてき
た人々に与えられた芯の強さがあった。その背後には簡単に語って終わりにはで
きないであろう苦難の歴史があり、悲しみがあり、現在も今後も世代にわたって
受け継がれる痛ましい後遺症があるのだが、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、経
済制裁、避けることができなかった歴史の中で毎日を生きてゆく姿にはむしろ静
かな力を感じた。

新たな戦争の影に脅かされている人々に力を見出すとは、何と皮肉なことだろう。
どんな運命にも立ち向かおうとする人々(時には子どもたちも)の勇ましさを見
ていると、武装をし、自国民だけでなく世界の恐怖心をあおることで自分を正当
化し守ろうとしているアメリカこそが恐怖心に苛まれていると思えるのだ。イン
シャラー(神の思し召し)こそあれ、アメリカの意図に彼らの運命を巻き込んで
はならない。
国際社会の責任が心に圧し掛かった。

イラクの人々はもう十分に苦しんだ。湾岸戦争当時に使われた劣化ウラン弾は、
未来永劫に放射能を放ち続け、白血病、がん、奇形などが多発し、病院は国の将
来を担うはずの子どもたちであふれかえっていた。後遺症に苦しむ子どもを中心
に、イラク全土から患者が集まるバグダッドのマンスール小児科病院を訪問した
際に病棟を案内してくれたイハーブ・アッハーブ医師は言った。「薬がないどこ
ろか消毒薬すら足りない。最低限の衛生基準が保てないから治療や手術ができて
も感染症や合併症を起こしやすい。カルテを作るための紙も不足している。経済
制裁が解除されたらそれで解決?そんな問題ではない。乳児期に十分な栄養や治
療を受けることができなかった子どもは、今後何十年も脳や精神の未発達による
影響を受け続けるのですよ。これは明らかに犯罪です。」そこに見たのは放置さ
れ続けた「静かな緊急事態」だった。

私は日本や海外の援助関係者がすでにイラク攻撃後の緊急援助や難民支援に向け
て着々と動き出していることに「待って!」という思いを募らせながら、今回の
イラク市民調査団に参加した。その一方でアメリカ政府は新たな戦争による人的
被害をどの程度想定しているのだろうかと、バグダッドやバスラの街並みや行き
交う人々を眺めながら考えていた。体制転覆、再建というからには起きてから考
えるのでは遅いのもまた事実だからだ。しかしアメリカ、そして日本政府も目の
前のことで手いっぱいで、先のことを見据える目を持ち合わせているとも到底思
えない。

目を先に向ければ向けるほど、今なぜ、他の手段を探ることなく武力行使に踏み
切らなくてはならないのか答えは出ない。出る訳もない。ブッシュ政権の主張す
る「予防戦争」こそ予防すべき最たるものなのだ。長引く経済制裁で貧しさを強
いられている人々に、戦争と引き換えに支援の手を伸ばすことができるようにな
るとしたらまっぴらご免である。

バグダッドをはじめ、イラクの都市は想像していた以上に道路や交通などのイン
フラが発達している印象を受けた。経済制裁下でも市場にもそれなりに商品が出
回っている様子はこの国の暮らしがかつては豊かなものであったことを思わせる。
経済活動が最小限のものになった影響で仕事を失った人も少なからずいると聞く
が、暮らしが貧窮しているわりに都市の治安が安定していることには単純に感心
した。これがイスラム教がもたらす統一感によるものなのか、アラブ人の気質な
のか、あるいは国内どこへ行っても掲げられているサダーム・フセインの凛々し
い肖像画にその答えがあるのか、そのいずれもが重なる気がした。そして、街中
国中どこへ行ってもジャパン!ウェルカム!と言って迎え入れてくれる親日ぶり
が他の国の比ではないのに驚いた。被爆国であり、戦後の奇跡的な復興を遂げた
日本への敬意だという。だからイラク人は日本人がアメリカに加担することが不
思議でならない。日本人はそんなことを知ってか知らずかイージス艦を派遣して
しまったのだ。
驚きと有難い気持ちはすぐさま我が日本に対する怒りに変わった。

イラク滞在も終わりに近い12月19日、私たち国際市民調査団は平和と友好を
呼びかけるためバグダッド中心部でピースウォークを行った。国連開発計画
(UNDP)事務所前から出発し、毎晩コツコツと準備を重ねて作った英語・ア
ラビア語・日本語の横断幕を持って街の大通りを行進した。最後にはイラクの市
民も加わり、日本人と一緒になって平和を訴えた。国連事務所イラク代表部では
所長と面談し、ニューヨーク本部のアナン事務総長に世界の反戦の声を届けてく
れるよう団長のジャミーラ・高橋さんが市民調査団を代表して訴えた。事務所前
にはCNN、CBS、BBC、NHK、イラク国営放送をはじめかなりの数のマ
スコミ人が集まり、翌日には複数の放送局を通してその映像が配信された。横断
幕準備の買い出しに嬉しそうに同行してくれた運転手のおじいさん、生地売りの
お兄さん、「ミツビシ」に勤めていたという文房具屋の親日ご主人、見事な筆使
いでアラビア語のメッセージを綴ってくれた受け入れ団体のカリーム氏など、イ
ラクの人たちの温かい支えにも感謝したい。

ピースウォークを行った日の夜、イラクで活動を続けているアメリカの団体
(Voice in the Wilderness) メンバーを中心とするイラク平和チームがバグダ
ッド郊外にあるアルタージ発電所の前で、経済制裁解除と平和をろうそくを持っ
て訴えるイベントを行った。イラク市民のライフラインをつないでいる発電所を
爆撃するなというアピールである。このイベントに私たち日本人も横断幕を持っ
て駆けつけた。ニューヨーク市から来たというアメリカ人の女性は言った。

「無知や無関心はもはや言い訳にならない。たとえ戦争が始まっても、いや、
戦争が始まった時こそ私たちはイラクに残って人間の盾になるつもりでいる。」

失礼だが、そのおばさんパワーに勇気が沸いた。
私は後に、この女性が9.11同時多発テロ被害者の遺族であることを知った。

さて、同じイラクのための平和運動が、イラク側の日本に対する姿勢とアメリカ
に対するそれとでは微妙に温度差が違うという。簡単に言えば、アメリカ人がイ
ラクに尽くすのは当然で、日本人がアメリカに同調するのが不思議でむしろ自立
してイラクに対して同調してくれる「期待の星」の存在なのだそうだ。日本に帰
国した今、自分の見たイラクを伝え、期待の星の数を増やしていかなければとい
う思いを一層強くする。

自分の頭で考え、想像し、感じる、そして忘れない。
それがイラクだけではなく、未だに戦禍や貧困に苦しむすべての子どもたちが
お腹を満たして眠り、きれいな水を飲める世界を作るための戦いを続ける原動力
となるのだから。

〜★明日1月12日の帰国報告会に、みなさまぜひご参加ください。★〜

(OPEN-J BOOMERANG 281より)

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