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世界最大の監獄

パレスチナの「アパルトヘイト・ウォール」広河隆一氏の緊急報告より

○○○ナブルス通信 2003.10.28号○○○
http://www.onweb.to/palestine/

国連緊急総会で圧倒的な賛成をもって、イスラエルが今、パレス
チナの中に建設している「保安」壁=アパルトヘイト・ウォール
の建設差し止めと建設した部分の撤去を求める議決が採択されま
した。

しかし、拘束力を持たないこの議決をまったく無視して、イスラ
エルは建設の続行を宣言、ヨルダン川西岸を分割し、壁で囲むこ
とを加速すると発表しています。

「世界で最大の《オープンエアー監獄》」
とパレスチナ人はこの状況を表現しています。どうして自分の土
地を放棄しないといけないのか。どうして勝手に人が建てた
「壁」で村が分割されるのか。どうして「壁」の向こうへ行って
はいけないのか。。。

現地を取材されてきたジャーナリスト・広河隆一さんの報告会の
様子を、広河さんのパレスチナ記録映画を自分たちがサポートし
て作ろうという『1コマサポーター運動』の事務局をしている森
沢典子さんが届けてくれました。

映像は見られませんが、書き記された言葉から想像できます。

「壁に沿って、ずっと歩き続ける犬」──見てもいない光景がま
ぶたに浮かんできました。

アパルトヘイト・ウォールについての詳細は:
「特集:アパルトヘイト・ウォール」
http://palestine-heiwa.org/wall/wall.html
(写真、地図や参考文献、署名など 日本語&英語)

〜〜〜〜〜〜〜〜以下、森沢典子さんより〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「広河隆一氏「和平を隔てる『壁』」報告・抜粋」〜訂正版〜

森沢典子
2003/10/27

先日10月25日(土)御茶ノ水中央大学駿台記念館で
広河隆一氏の【和平を隔てる『壁』】緊急報告がありました。

西は三重県から、北は青森から駆けつけてくださった方も
いらっしゃいましたが、様々なイベントと重なった日取りなのもあり
200名ほどの参加でした。

後半30分を使って、帰国中のUNRWA(国連パレスチナ
難民救済事業機関)職員で、この一年半ガザ在住の
安藤直美さんの現地報告も行われました。

私は壁について、ある程度のことは知っているつもりで
いましたが、広河さんが撮ってきて下さった映像や
報告から、これは大変なことが起きていると、あらためて
驚き、苦しい気持ちになりました。

現在NHKが壁について独自の番組を制作中と伺っていますが
ほかにこの壁について大きなニュースになっているのを
目にしていません。(小さな特集は見ましたが、日本では
まだまだ社会問題化していません。)

この日重なったイベントや、遠方在住などの理由で
いらっしゃれなかった方にも少しでも様子をお伝えし
たくて、私なりの報告をさせていただきます。

映像が流れる暗闇で書いたメモを頼りにかいつまんで
書きますので、当日の内容すべてを正確にお伝えする
ものではありません。
また、この報告の文責は森沢典子にあります。

━━   広河氏談
○    場面
●  画面上の人物
《  》  注釈
(   ) 筆者の目線

[]報告内容[]

《報告はすべて今年撮影された未発表の映像(動画)によって行われた。》

(カルキリヤの町、8mの壁ふもとで青年がせっせと苗木の
 世話をしている。壁に沿って数百メートルにわたり、小さな瑞々しい苗木が
 植えられている。)

━━この青年は、苗木を育てて売るのが仕事。
  でもこの土地も間もなく取り上げられてしまう。
  せめて前日に破壊を実行に移すということを知らせてくれれば、
  大抵の苗木を移動させることが出来るのだが・・・と話していた。

  壁と言っても、ほとんどの場所は鉄条網によるフェンスである。
  そこに電流が流れている。
  住宅地に近い場所ほど『重厚なコンクリの壁』が、建設されている。
  それは、イスラエル側の主張によるとパレスチナ内部の高い建物から
  イスラエル側に銃などを撃ちこまれることがないようにするため
  であるという。

  『ステージA』《パレスチナ・ヨルダン河西岸地区(ウエストバンク)の
  北西上部から西側をカルキリヤまで降りてくる》155kmの
  建設はほぼ終わっている
  第一段階といわれるこの『ステージA』までの壁建設における
  総工費は30億ドル。

  また今朝《25日》のニュースで発表された内容によると
  シャロン首相はヨルダン渓谷に沿って壁を建設することを
  決定し、今年中に完成させるという。

 《これは当初発表した建設ルートにはなかったものでヨルダン国境線と
  壁でヨルダン渓谷を挟み込む形になる》

  最初に、壁建設責任者のインタビューを聞いて、そしてその
  理由を掲げ、実際にはどういうことが行われているかを見てください。

●壁建設の責任者イツハク・メシーヤハのインタビュー
 《壁建設の必要性について》
「壁を建設する前は、人々の移動は大変楽なものでした。
たった一握りのパレスチナ人が爆弾を作って運び込むために
このような壁の建設が必要となってしまうのです。
キブツ・メツェル《イスラエル人のコミュニティ》の例を見てください。
そこで働く人々から、壁を作らないようにと言われていました。
ところがその隙間を利用してテロリストが侵入し、父親と子ども
(実際は『母親と子ども』言い間違えている)を殺しました。
こういうことがあるから、結局壁を作らざるを得ないのです。

ガザでは(壁のお陰で)誰一人としてテロリストを中に入り込ませ
ないことに成功しています。

《イツハク・メシーヤハは、ガザの壁建設の責任者で、その功績を
称えられて現在ウエストバンクの壁建設の責任者となっている》

これはベルリンの壁ではありません。通過するためのチェックポイントが
ちゃんと設けられています。
ベルリンの壁は、そこを越えようとすればたちまち問答無用で
射殺されていました。」

━━今も電流が流れているんですか?

「流れていますよ。
ちょっと触ってみましょうか?」

(イツハクがフェンスを指先でちょっと触ったとたん、すぐに近くの
軍用基地から、イスラエル兵の乗ったジープが来る。
また、フェンスのすぐ横は砂地になっていて、誰かが歩くと足跡が
残るようになっている)

○カルキリヤの町

━━壁の両側の土地が、壁に沿って広範囲で没収されている。
   壁を建設することになった当初は、農業用のゲートを開けましょうと
   約束されていたが、実際には通り道など無い。
   カルキリヤの人々は、「私たちは動物園に住んでいるようなものだ。」
   「ここは動物園になってしまった」と話している。

   イスラエル側の許可を得て建てられたこの家も、壁に近いという
   理由で破壊の告知を受ける。
(カルキリヤの町からは、隣りに広がるイスラエルの街の向こうに
 地中海を見ることができる。)

●この家に住む少年
「僕達は、向こうの海に落ちていく夕日を見たくて、ここに家を建てたんだ。」

このあたりには、なぜかゴミの臭いが立ち上るという。

●カルキリヤ市長
「2002年に工事が始まると、壁のこちら側と向こう側を合わせて
100mずつ、壁に沿って土地が没収されていきました。
当初は移動もできますと言われたが、この通り(出入り口も)何も
ありません。壁に沿って、溝が掘られています。
私たちの土地が、水が、この壁の向こう側にあるのです。

(アラブ様式の丸屋根の美しい小学校が映る)
━━この小学校も、壁の近くにあるという理由だけで取り壊しを
   宣告されました。

   現在カルキリヤの町は失業率が70%《2000年の時点では
   18%》、4箇所の検問所を持つ壁にぐるりと囲まれている。

   カルキリヤの壁の外側《ウエストバンク内》には、イスラエルで
   初めての有料道路が建設され、イスラエル人たちがすでに使用
   している。
   《6番道路》

   壁の建設は、《失業した》パレスチナ人たちを使って働かせて
   いる。残念ながら。

   パレスチナの村と村をつなぐ道路が壁によって分断されている。
   この道路は日本が建設したものだ。
(村人)
   この人のオリーブ畑は、フェンスの向こう側にある。
   フェンスのために行き来が出来なくなってしまった
(村人たちがフェンス越しに話をしている。)
   この人たちは行き来はもはや不可能になってしまっている。

○ベツレヘム・アイーダ難民キャンプ
(すぐ向こうに要塞のようなギロの入植地が見える。
オリーブの林が広がる村。林は壁の右と左に分かれていて
右側にはもう行けない。)

○ベツレヘム自治区内に建てられたハル・ホマ入植地沿いに
出来た壁

━━この犬は、どこからか入り込んでしまって、フェンスに沿って
   ひたすら歩き続け、でられなくなってしまっている。

   (客席からどよめき。歩いても歩いても出口が見つからず、
    どこまでも歩き続けるだけの野良犬。)

(フェンスのすぐ横に家がある。)
━━ベドウィン(遊牧民)の家だ。
   以前彼らは他の場所に住んでいたのだが、その家は取り
   壊されてしまった。
   移り住んでいるこの家もまた、違法であるという理由で破壊
   の宣告を受ける。
   この人たちは1948年に難民になった。
   ●ベドウィン
   「今はその時よりもひどいよ。放牧するための土地までも、
   盗られてしまったんだ。」

○ベツレヘムのエリアA
━━見ていくと、イスラエルはかなり広大な土地をエルサレム側に
   取り込んでいることがわかる。
●ベツレヘムの役人
「このいったいを空き地にしておいたのは、開発をするためでした。
1平方km4000人の人口密度だというのに(土地を盗られてしまった)。」

━━ ベツレヘムの町の中に、入り組んで壁が作られ取り囲まれてしまい
    ゲットーのようになっている場所がある。
    その中に取り込まれてしまった人たちは、エルサレムにも
    ベツレヘムにも行くことができないでいる。

○ガザ
━━イスラエルの安全のためと称して、いったい何が行われているか
   ガザに行くとよくわかる。
(果樹園だったところは荒地に、無残に壊された家の上に
なけなしの抵抗の印としてパレスチナの旗が立てられ
風にひらひらと舞っている。カメラは壁付近まで接近。)
●村の人
「あそこにイスラエルのスナイパ−(狙撃兵)がいるから
顔を出してはだめだよ。」

(壁と一緒にコンクリの直径4,5メートルの円筒状の塔が
建っている。上部に小さな隙間が開いているだけで
中の様子はまったく見えない。)

━━イスラエルはこれを監視塔と言うが、パレスチナ人は
狙撃塔と言っている。近づくものをここから撃ってくるからだ。
『われわれはベルリンの壁とは違う』と言いながら、実際には
こうして近づくものを撃っている。

○ハンユニス
(海岸線側を、グーシュ・カテイーフ入植地に沿って
壁で取り込まれ、そちら側にはもう行けない。
壁のこちら側にあったオリーブ林は、以前ブルドーザーで
荒らされ、枯れた根っこが広範囲にあちこちコロがって
いるだけ。
その引き倒された木々の枝を、薪用に拾い集め運んでいく
パレスチナ人の女たちと子どもたち。)

○トウルカレム
(6mの高さの壁が続く。
その壁の両側でイスラエル人たちと、パレスチナ人による
抗議行動。)
━━パレスチナ側には催溜ガスも使われている。

○エルサレム
(壁際の土地を否応無く没収するために、ブルドーザーが
フル回転でそこにあるものを取り壊していく。
私たちの目の前で、一本のオリーブの木が、強力な
ブルドーザーのシャベルでいとも簡単に根こそぎ
もぎとられていく。
オリーブが泣いているかのように、枝を揺さぶっていた。
観客からは、どよめきとため息。)

○カルキリヤ市
(さっきの小学校。)
━━壁から6mしか離れていないため、これまでも
   銃撃を受けてきた。
   壁建設によって現在約200ドナム(1ドナム1000平方m)の土地、
   32の井戸が奪われ、1800の企業のうち600の企業が倒産した。

●イツハク・メシーヤハ
「イスラエルでは800人が死んでいるのです。国を守るためです。」

━━イスラエルの中の人々すべてが、まったくこの現状を知らないわけでは
   ない。
   エルサレムポスト紙でも、大きな写真を載せて壁のことを扱っている。
   ハアレツ紙でも、「霞の中の防護フェンス」としている。
   国を守るためという理由ならば、なぜ1967年のグリーンライン《ウエスト
   バンクとイスラエルのボーダーラインのこと》に沿って建設しないのか。
   カルキリヤの町は、囲まれるように壁が造られている。

   壁を作る本当の理由は
   ?入植地を守る《失わない》ため
   ?あの地域に天然ガスが見つかっている
   ?水源地の確保

グリーンラインと壁の間に16の村が取り残されてしまっている。
カルキリヤは、現在移動がとても難しく、ジャーナリストでも
1時間、一般的には2時間チェックポイントで待たされる。
そのため検問所でお産をする女性が増えている。
またカルキリヤの大学に通っていた近くの村の学生達は
現在はもう通うことはできない。
しかし、万里の長城ですら、モンゴル人の侵入を防げなかったのだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

抜粋以上

(感想)

壁の建設の仕方を見ていると、壁は、軍事侵攻よりも、入植よりも
空爆よりも、静かに、確実に、簡単に、パレスチナ人を追い込み、
追い出すことができる方法であることに気づかされます。

そして、パレスチナ国家樹立の前に、イスラエルにとって都合のいい
境界線を、イスラエル側からの強引で一方的な方法によって
駆け込み的に作り上げ、既成事実化させてしまおうという思惑を
見せつけられてしまいます。

あらたに発表されたヨルダン渓谷沿いの壁についても、現在事実上
このあたりの水源地域はイスラエルにコントロールされ
パレスチナ人の水源はイスラエル人入植者に8割取り上げられて
しまっています。
それでも尚、壁を作ってしまうことで、そのことを既成事実化し
国際社会が介入しにくい状況を作ってしまおうというのでしょうか。

こうやって、欲しいものは、どんなに卑怯で汚い暴力的な手を
使っても手に入れていくのを、私たちはただ呆然と眺め、
許してしまうことしかできないのでしょうか。

この方法で、イスラエル市民に、本当に安全や和平を
もたらすとは思えません。
イスラエル政府は、どこまでもどこまでも、和平の道を
踏みにじり、大金を得た暴力団のように欲しいものを
手に入れていこうというのでしょうか。

家を壊されると宣告されたら、ただ黙ってそれを受け入れる
ことしかできないパレスチナの人々は、どうやってこの状況と
闘ったらいいのでしょうか。

もう一つ感想があります。

壁建設や、イスラエルの占領に反対するイスラエルの
友人と時々話をします。
そして平和を望み闘い続けている彼らが一番手を焼い
ているのは、結局イスラエル政府であることを知らされます。

政府に軍を預けるということは、軍を使って政府が何でもし、
それを止める方法を私たちが失うということである・・・と
軍事国家化したイスラエルに暮らす人々を見て、いつも
感じます。

イスラエルを見ていると、なんだか未来の、そして過去の
日本を見ているような気持ちになります。

よっぽど普段から信頼できる政府ならともかく、
税金の使い方や政策面で不審な点があるうちは
とにかく私たちは政府に軍を預けてはいけないということです。

最後に、昨日の報告会で1コマサポーター運動によって
可能となった今年2回の取材の報告が広河さんからありました。

また、この時代に、自分達の情報ネットワークを確立したいと
いう思いで広河さんが呼びかけている【DAYS JAPAN】刊行に
向けての話もありました。

それについては下記のHIROPRESSを参照ください。
http://www.hiropress.net/2003/archive/i031026.php

尚、安藤さんの報告については今回は省略させてい
ただきましたが
(1) UNRWAの役割、ガザの町の様子、彼女の住んでいる
 ガザ市が一般的なイメージと違って、素朴で美しい生活
 があり、とても好きであるということ。
(2) 道路の状況、チェックポイントのこと。
(3) チェックポイントのためにほとんどのインフラが破壊され
 ていること。
(4) 占領のため産業としての成長がまったくないということ。
 学校、人々の暮らしぶり。
(5) 最近頻発している抵抗運動のリーダー達に対する暗殺のこと。
(6) 戦闘機によってサウンドバリアをつくり、そこにアパッチヘリ
 《ミサイルを積んだヘリコプター》がやって来るため、攻撃位置
 の特定が出来ず、自分を含めた市民全員が、攻撃の脅威に
 さらされて生きていること。
(7) 村への侵攻、ラファ難民キャンプで10月に大規模に行われた
 120軒以上の家の破壊。
(8) 現在までにガザだけで12000人以上が家を失いUNRWAでも
 対応し切れていないこと。
(9) 彼女が日本帰国中に行われたガザ市への空爆についてなどの
 報告がありました。

2003.10.27
森沢典子
http://www2.odn.ne.jp/midi/

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(編集責任:ナブルス通信 http://www.onweb.to/palestine/

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