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HOT NEWS

8/30/2002
★★SHAKE! -ベイエリア通信- No.4★★


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=目次=

★ベイエリアの声
★ あれから1年/インタビュー集
★ 私の街のグローバリゼーション?―久しぶりの日本里帰りからー/美佳ハロウ

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★ ベイエリアの声

「9/11以前、僕は世界の状況について、完全に無知無為だった。いま、
ぼくはあらゆる状況に眼を開き、行動に立ち上がった。あれ以来ずっと、娘を
失った父親として発言することを使命としてきた。
僕らの社会に、決定的に欠けているのは、「分かち合い」だと思う。愛、内なる
平和、資源の三つを分かち合わない限り、真の安全などあり得ないと思う。」
(ダレル・ボドリー、Darel Bodley、ユナイテッド93で、ステュワーデスの
一人娘を失った音楽家。昨年12月と今年の夏、アフガニスタンに行って、
子供に音楽を教えたり、医療援助をしてきた。)

「僕の母国は、20年間人質だった。ソ連もオサマ・ビン・ラデンもアメリカも
自己の利益のために、アフガニスタンを使ってきた。タリバンが去った今も、
真にアフガニスタンのための政府ができたわけではない。アフガニスタンの市民
たちは、本当の変革を求めている。彼らに、人の助けを求めても無駄だ、自信を
持って、自分達で変革するしかない、と伝えること、とくに若い世代
をそのように育てることが、自分の使命だと自覚した。」
(シャヒ・サダト、Shahi Sadat、フリーモント市在住のアフガニスタンからの
詩人)

「9/11に何をするか、って?なによりもまず、10分間でもいいから、
ハダシで土を踏み、大地のバイブレーションを吸い込みたい。「貪欲」という
名のドライバーが石油をガンガン燃やし、スピード違反で世界という車を運転
しているような今こそ、この足に触れる大地、このいのちの意味を、もう一度
たしかめたいと思う。そしていのちの輪に、世界を取り戻さなければね。この
1年に奪われたたくさんのいのちも、きっと加わってくれると思う。」(風砂子
デアンジェリス)

★ あれから一年/インタビュー集

昨年の9.11テロ事件から1年が経とうとしている。「もう1年?」と一瞬
いつものように時の経つ早さに驚くと共に、様々な出来事が走馬灯のように頭の
中を駆け巡り、「あれからたった1年か〜」と思わず深いため息
をもらしてしまう。
今でもあの事件直後にアメリカを覆った不安と緊張感がまざまざと思い出
される。当然と思っていた世界がガタガタと崩れ落ち、この世界はもう二度と同
じではあり得ないと強く感じた。地下鉄に乗っているとき、飛行機が飛
んでいるのを見るとき、ベイブリッジを渡るとき、いつもの何気ない日常の風景
たちが、一瞬にしてテロの恐怖に支配され、知らず知らずのうちに身体が緊張
しているのを感じる。戦争を知らない世代の私も戦時下のストレス、恐怖、緊張
というものを体験した気がする。
そんな不安と恐怖を、ブッシュ大統領はすばやく「対テロ戦争」と題して、
まるでスーパーヒーローのごとく次々と「悪者たち」をやっつけるシナリオを作
りあげた。それを支持するがごとく、アメリカ国旗がいたるところにはためき、
街中の看板や車のバンパーには「United Stand(共に闘う)」の宣伝文句。その
一方で銃の規制が緩くなり、移民差別がいたるところで聞かれるようになり、
身近な暴力が増えていく現状。まるで歴史をさかのぼって見ているかのように、
次々と環境、平和、人権に関する条約が「防衛」という名のもとに撤廃
されていく。これが私たちが待ち望んでいた愛と平和の21世紀?あまりの
横暴、そのスピードの早さに、人間ひとりの無力さを感じ、アメリカ市民の間に
鬱の空気が流れている印象もあった。そんな中でも、真の「愛国心」
とはなにかについての討論がかわされ、ここベイエリアでもアフガニスタン
攻撃に反対する集会をはじめ様々なデモが行われた。一人では無力だけれど、
みんなが集まったときの力強さ、何かを動かす力、そう真のデモクラシー
というものをあらためて感じたのだ。ブッシュ大統領の対テロ戦争という
シナリオはイラク、コロンビアと新たなるチャプターを進めていっているが、
それに対するアメリカ市民の反応は確実に変化していると思う。誰のための
戦争、誰のための政府、真の安全とは何か、これらのことに向かい合
わざるをえなくなってきているのだと思う。

あれから1年を迎えるにあたって、ベイエリアでも様々なイベントが予定
されている。今回のShake!では、最近会った身近なアメリカ人に9月11日を迎
えるにあたって今の心境を聞いてみた。

*カトリナ・マーティン(Katrina Martin、19才のアフリカ系の女性。
ハンプトン大学で、ジャーナリズムと歴史を専攻中。)
「いまだに飛行機に乗るのがこわい。貿易センターで亡くなった人たちの家族
もたくさん知っています。わたしの大学の近くには、軍事基地があって、兵隊
さんも町でよくみかけたりして、戦争は、ひとごとではありません。
一方では、ブッシュ大統領の対テロ戦争は、避けられなかったと思う。自分達が
攻撃されたら、報復するのは当然だと思うから。
でも、その反面では私たちは実際に何が起ったのか、知らないと思うの。第一、
誰が実際にテロ攻撃をやったのか、いまだに知らないじゃないですか。それを
知った上で、どうすべきかを討論すべきだと思います。
その意味では、テロ攻撃の後で、バーバラ・リーが言ったことは正しいと思
います。去年の夏、9/11事件の前に、わたしは、バーバラ・リーの
オフィスでボランティアとして働きました。
いまニューヨークでは、貿易センターの跡をどうするかで、けんけんごうごう。
背後にあるのは、いつもお金。でも政治家たちは、私たち市民には何も
知ってほしくないのだと思います。
9/11の直後、学校で追悼会をしましたが、一周年にも同
じことをするでしょう。
うん、もうすぐ学校に戻るんだけど、今でも飛行機で大陸横断するのは、
とてもこわい。」

*ダビード・ディッグス(Daveed Diggs、ブラウン大学で、シアター・アートを
専攻。アフリカ系と白人の混血、20才。)
「9/11事件で、僕達の行動やアメリカの政策が、いかに、世界の人々の
感情や
意識に組み込まれるか、を突き付けられたと思う。そして、一体だと思っていた
アメリカ社会の統一が、あっというまに崩れて分裂する様も目の当たりにした。
相手を見極めずに、戦争をするのは、ひどいことだ。」

*ドミニック・バイエ(Dominique Baillet、白人と日本人の混血19才、
ブラウン大学で国際関係を専攻)
「ブラウン大学には、ニューヨークからの学生が多く、私のともだちの父も貿易
センターで働いていたりして、9/11事件は、とても身近に感じました。あの
直後、飛行機で学校に戻ったけれど、そんなにこわいとは思わなかった。
だって、あんな風に飛行機を使う攻撃が、
そんなにたやすくできるはずもなく、続けて起るとは、どうしても思
えなかったの。
対テロ戦争が起きた時は、ほんとうにこわかったし、ブッシュ大統領の演説を
テレビで聞いてあきれてしまった。
ブラウン大学は、進歩的な学校と言われているだけに、すぐに教授たちが、
盲目にブッシュに従わないように、と忠告しました。
いまは、あらたなマッカーシズムといわれていますが、ブラウン大学では、教授
たちの4分の1が、リストにあげられているともいわれます。
私たちは、攻撃されたけれど、反撃が早すぎたと思います。あれから一年
経ったいま、私たちの知らないところで、大へんことが起っているように思
われます。なにもかもお金がらみ、大きな企業のいかがわしい事件の連続です。
愛国者であることは、人を殺すことではありません。
世界の人たちの、アメリカに対する反感がつのり、尊敬が失われています。
9/11事件は、私たちに、アメリカの外交政策にもっと注目することを強
いたと思います。
私は、国連などで、日米関係のための仕事をしたい、と思っています。」

(注:マッカーシズムー第二次大戦後、アメリカではソ連との冷戦を機に政府の
政策に異義を唱える人々を共産主義者と決めつけて、リストに載せ、逮捕や
尋問を行った。)

*エリザベス(Elizabeth, 白人女性、33歳、セルフ&ヒーリングセンターの
セルフケアの
アドバイザー)
「はじめは恐怖に支配されてしまったけど、だんだんと自分にとって何が大切
なのかということがはっきりしてきたの。そして長いこと会っていなかった
友人に連絡したり、遠く離れている家族と過ごすことが多くなったり、
そしてなにより自分と向き合う時間を大切にするようになったわ。自分が今、何
をすべきか、そしてこの世に生を受けてきた理由、使命をより強く感
じるようになり、そしてそれに向かって積極的に行動に移
していくようになりました。今までやろうと
思ってきたけどなかなかできなかったこと、リスクは伴っても思いきって踏み出
せるようになった。つまり、積極的に自分の人生に参加できるようになった感
じかな。そして、以前にも増して自然の恵みや営みに感謝するようになり、
占星術や月のサイクルなど今まで当然と思っていたことに対して、そこには底知
れぬ自然の知恵があることに気づかされたな。そして、自分がどんどん開
いていくような感じがして、慈悲の気持ちが他人、例えば通りに座っている
ホームレスなど、に対して広がっていった。これらがすべて去年の9/11
のことに直接関連しているかはわからないけど、去年と比べてすごい変化が自分
の中で起きていることは確実だわ。全般的には不景気で仕事を解雇される人が多
いけど、ヒーリングを行う私の職場では、クライアントはとても増えて新たに
人を雇っている状況です。」

*エリック(Eric, 33歳、男性、ミュージシャン)
「僕の人生は9.11以来そんな劇的には変わっていないが、アメリカの政策が他
の国
に与える影響についてより考えるようになった。対テロ戦争のことや、戦争
がどんな問題も解決することに対して懐疑的である。僕はテロを止めるには
世界中の国の人々の生活を向上させることだと思う。」

*キャスリン・マーティン(Kathrine Martin、カトリナ・マーティンの母親。
(Women Worship Fellowship)で、女性の援助活動をしている。)
「9/11事件の時、娘が、バージニアにいて、夕方まで電話が通
じなかったので、本当に心配しました。もうすぐ学校に帰る娘を送って、東海岸
に飛びます。いまだに飛行機に乗るのは恐いけど、恐怖の中に生
きることはできません。「対テロ戦争」は、あまりにも急いで、誰が本当
にやったのかを確かめずに始めてしまい、多くの無実の市民たちを殺した。
わたしは、女性の支援グループの仕事をしていますが、一年後のいま、人々
はよりリラックスしています。
わたしたちは、女性たちに愛と尊敬、自己認識(自分がどこから来たのか、
どこにいるのか、どこにいくのか)を教えたいと思っています。いま、ここで、
できるだけのことをする。
路上での暴力、家庭の崩壊、ドラッグ使用などの、すべてが、社会の状況と影響
しあっています。」

*ジェニーン・アントワーヌ(Jeneen Antoine、46歳、母親がラコタ族
アメリカ・インディアンで父親は、イタリア系アメリカ人。非営利団体
「アメリカ先住民現代美術」の主催者)
「あの事件の時、テレビを見ながら、被害者や家族のことを思うと、悲しくて悲
しくて仕方がなかった。
怒りと憎しみに満ちた、報復を唱えた人々もいますが、私はこんなときこそ、
一歩引いて、じっくり考えるべきだと思いました。事件が起きた時、あまり急
いで反応すると、後で後悔することがままあります。事件がなぜ起ったのか、
理解することが必要です。
アメリカ政府は、歴史的に、世界の餓鬼大将を演じてきました。アメリカの富
みが、他の人々の支払いでできたと言う事実にフィルターをかぶせてね。
これが、アメリカに対する、怒りや反抗を呼び起こす原因です。
対テロ戦争に賛同する人々の気持ちも、分からないではないけれど、私は、同意
できません。戦争は、外国に対してだけでなく、この国の黒人や、
アメリカ・インディアン、そしてミドル・クラスの市民に対しても行
われてことは、アメリカの社会問題の増大を見れば、あきらかですよね。
ラコタ族の私の母は、子供の時、白人政府によって強制的に寄宿学校に入
れられ、朝鮮戦争には、志願兵として参加しました。志願兵は、
アメリカ・インディアンの伝統的な習慣で、アメリカの志願兵は、人口比率
からみた場合、インディアンが一番多いのです。でも朝鮮戦争から帰還した
彼女は、180度転換して、平和主義者になり、今では、わたしよりも
ラディカルにブッシュ政権を批判しています。
9/11一周年を期して、ベイエリアでも、ワシントンでも大きなpowwow
(アメリカ・インディアンの供宴儀式)が企画されています。」

この1周年を機に、アメリカ政府やマスメディアは、愛国心や対テロ戦争を
国民の間に再燃させようと、様々な方法で試みるだろう。その一方で、各地の
市民団体は、暴力による解決ではなく、平和を求める様々な催しを企画
している。
以下はそのイベントの一部を紹介しているウェブサイトです。その他にも興味
のある方はShake!までお問い合わせください。
www.unitedforpeace.org
www.peacefultommorows.org

★ 私の街のグローバリゼーション?
―久しぶりの日本里帰りからー/美佳ハロウ

帰省した6月半ばは台風が次から次へと押し寄せて、それでもいつもなら避
けていってくれる北海道なのにどうした事か毎日毎日雨だった。
今回は2ヶ月弱もの長期滞在だったから、中学のクラス会に始まって、
まるで 人生前半戦総決算のようにこれまで出会った人々にことごとく再会した。
いろんな人からいろんな話を聞き、たくさんエネルギーをもらった旅だった。

―故郷の変わり方―
北海道の地方都市である故郷の街は、ある作家に言わせると「バブルが一番最後
に来た街」であり、「それ故に、被害も最少ですんだ」と書いていたのには
本当に共感する。
昔のたたずまいや匂いが懐かしさを呼び起こすくらいにまだ残っている。
それでも観光地域に行けば、取り澄ましたような建物が増えていて、それは
不自然に意図的な格好だ。

友だちが教えてくれた。
「この街も昔から土地を持っていた人たちが最近どんどんと手放
すようになってきて、それを内地(本州)の資本家がみんな買っているのよ。」
投資となるこの土地は新たにお金を生むべく、新しい観光名所
としてうまれかわるのだろうか?
その土地の時間と匂いを無視して。

それにしてもこの街は都市計画というものがまったくされていない、行き当
たりばったりでだらだらと広がっている印象がある。
西側に位置する山の麓の地域が栄えていたのははるか昔で、街の中心は駅の前、
そして東、いまは北の方へと移っている。
まるで若いファミリーが新しく家を建て住み着く場所を追い掛けているようだ。
アメリカのショッピングモールを縮小したような集合店鋪もいくつか見
かけたが、人が集まる事を目的とした場所であるにもかかわらず、道路は昔
のままなので
車をUターンさせなくてはいけなかったり、時間によっては道が混んだりと勝手
は悪くなるばかりの気がした。

―小さな小さな街がー
祖父母の家のあるK町までは、車で約1時間。
今回はもう誰も住んでいないその家の整理の為に何度も何度も往復した。
ちょうど父の命日で、K町にあるお寺の坊さんが檀家である我が家
へわざわざやってきてくれてお経をあげた後、お茶を飲みながら話は高速道路
の事になった。
後4、5年もすればその小さなK町にも高速道路が通り、今は1時間
かけてくるこの街まで20分もあれば来れるようになるという。
そうなれば町民は買い物にこの大きな街へとやってくるだろう。
K町で細々と長い間続いている呉服屋や靴屋や薬屋や本屋。
「町の小さい店はみんなダメになるだろうよ。」
坊さんがつぶやいた。
今でも寂しい町並みなのにそんな事が起こったらこの町
はどうなってしまうんだろう。これが今世界中で起こっている
“グローバリゼーション”と言われている現象なのか。大きな街の大型店鋪
がこういう小さな町の細々と続いてきた文化をあっという間に消してしまう。
後日、道路公団の財政難のため、高速道路建設を大幅に見直
さなければならないというニュースが流れた。
なんだか少しだけホッと安心した。

アメリカが先頭に立って世界中に押し進めるグローバリゼーションという言葉
が願わくば届かないような頑固な街であって欲しいなんて思うのは私の勝手で、
街は着実に姿を変えつつある。
それならせめて街の呼吸を知っている街の人たちが、自信を持ってこの街の顔を
作っていって欲しい。
今回の帰省で故郷が随分身近に感じ始めている。

雨の合間に青空が顔を出し、そよそよと窓から入る気持ちのいい風に少しだけ秋
のにおいが混ざっていた。
北海道はもうすぐ秋なんだ。
たしかに私の細胞が記憶しているようなとっても懐かしいにおいだった。

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SHAKE!編集スタッフ:風砂子デアンジェリス、美佳ハロウ、米山麻以子
アドバイザー:村川治彦、まさよバイエ
連絡先住所: INOCHI/ SHAKE PO Box 2589, Berkeley, CA 94702
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