amanakuni Home Page | なまえのない新聞ハーブ&アロマテラピー | 八丈島の部屋

HOT NEWS

アフガニスタン難民、故ユノス・タヒリさんの遺体を
祖国に送り届けてあげたい
移送の資金援助をお願いする緊急要請


8月9日深夜、アフガニスタン難民ユノス・タヒリさんが自殺しました。タヒリさん
は、99年4月に難民申請、アメリカがアフガニスタンに空爆を開始してから約2ヵ
月後、申請から約2年半後の2001年11月にようやく在留特別許可を得ました。
しかし、今年1月、タヒリさんはアフガン国内にいるはずの奥さんと2人の子どもさ
んを呼び寄せるために、イランにお兄さんを訪ねたところ空爆で奥さんとお子さんが
すでに亡くなっていることを知らされました。

難民と認定された他のアフガニスタン人がイランやパキスタンに行き一時の再会、家
族の呼び寄せを果たしのとは対照的な、難民資格を求めて耐えた5年余りの努力に対
する悲しく空しい報償でした。

難民調査官による異議申出の調書と意見は、2000年末には本省に提出されていま
した。、一向に裁決が返って来てこないために思いつめ「入管に収容してもらう、そ
うすれば入管は僕のことを忘れないから」ともらしていたタヒリさん。ようやく定住
者の資格を得えて、満面の笑みを浮かべていたタヒリさん。在特がせめて半年早く出
ていれば、と思うと、日本の難民認定制度が彼を死に追いやったとの思いがつのりま
す。

イスラムでは遺体は、焼かずに埋葬します。そのため、タヒリさんが亡くなった日か
らアフガニスタンの人たちが腐心したのは、タヒリさんをイランあるいはアフガニス
タンに送るための費用の捻出です。11日の告別の集まりもそこそこに彼の同国人た
ちは、お金を出しあいました。その額約70万円。彼らは「これがぎりぎりです」。

必要なお金は約150万円です。すでに名古屋や関東の同国人たちに募金の動きが始
まっています。日本人からも、いち早く「100人村基金」からの資金援助の申出を
いただいています。

タヒリさんの遺体は、金曜日の飛行機でパキスタンに送り、そこで、ドイツから難民
と認定されたお兄さんが遺体を引き取り、車でアフガニスタンに運ぶこととなってい
ます。

なんとか私たち日本人も、亡くなったタヒリさんを弔い、祖国に送り届けようとする
アフガニスタンの人々の列に加わりたいと思います。どうか移送のための資金を援助
してください。

緊急のことゆえ、以下のところにカンパをお寄せください
振り込みの場合
水都(すいと)信用金庫
赤川町支店
普通 949122 岩田賢司(いわたけんじ)
現金書留の場合
大阪市中央区玉造2-24-22
カトリック大阪シナピス難民委員会
(「タヒリさんの移送費援助」と書いて送ってください。)

以下は生前ゆかりのあった毎日新聞の記者の方々が、彼の墓碑銘として書いてくだ
さった記事です。大阪のアフガニスタン難民には、徒労感が広がっています。あるハ
ザラ人の難民申請者は、「ハザラ人がパシュトゥン人やタジク人に殺されるのをいっ
ぱい見た。溝に捨てられた人、井戸に投げ込まれた人、井戸に吊るされた人、毎日葬
式。『ハザラ!』と遠くから呼びつけられ、自分で自分の墓を掘らせ、殺した。いっ
ぱい、いっぱい見た。タリバン、パシュトゥン人同じ。タリバン強いとき、タリバン
と言う。今は自分を『タリバン』と言わないだけ。私たちずっと住んでたから分か
る。マスコミの人、ちょっと来て聞いて書くだけ」と話してくれました。アフガニス
タンでのあまりに明白な迫害が、日本では真実として受け止めてもらえないことに、
彼らは心底疲弊しています。

彼らを励ます意味でも是非ともカンパをお寄せください。

************************************
難民:
在留許可のアフガン人男性が自殺 妻子の空爆死知り

 日本で難民認定申請し、不認定になったものの法相の「在留特別許可」(在特)を
得ていたアフガニスタン人のユノス・タヒリさん(30)が9日深夜、大阪市生野区
の自宅アパートで自殺した。申請を約2年半放置された末に「在特」を得て、今年初
め、アフガンの家族を捜しに行ったが、米軍などによるアフガン空爆で妻子が死亡し
たのを知り、失意のまま日本に戻っていた。また、親しかったアフガン人難民申請者
が強制収容されたことが追い打ちをかけた。支援者らは「申請をすぐに審査し、難民
認定していれば、家族呼び寄せの可能性もあった。タヒリさんも、タヒリさんの家族
も死ぬことはなかったはず」と憤り、母国へ遺体を送るための資金集めを始めた。

 関係者によると、アフガンの友人らにあててノートに記された遺書には「体は元気
でも、私はごみのようなもの。生きていても何の意味もない」などと書かれていた。

 タヒリさんは99年3月来日し、4月に難民申請。9月に理由が明かされないまま
不認定となり、異議を申し出ていた。しかし、申し出は放置され、昨年9月の米同時
多発テロ、10月の米軍などによるアフガン攻撃開始後の11月に、異議申し出却下
とともに、法相の裁量で「在特」が出され、1年間の在留資格が与えられた。今年1
月、タヒリさんはアフガン国内にいるはずの妻と2人の子どもを呼び寄せる準備のた
め、兄のいるイランへ向かい、空爆で妻子が既に死亡していることを知らされたとい
う。

 タヒリさんと親しかった在日アフガン人男性(32)によると、イランから戻って
きたあと、タヒリさんは「もっと早く在留が認められていれば、こんなことは起きな
かった」と落ち込んでいた。また、一緒に働き、仲が良かったアフガン人の難民申請
者(42)が申請を長期間、放置された末、3月に異議を却下され入管に強制収容さ
れたことにもショックを受けていたという。

 タヒリさんは少数民族、ケゼルバッシュ人で、反タリバン活動に参加。96年にタ
リバンに拘束されたが、イランへ逃走。99年3月に貨物船で山口県下関市に上陸し
た。

 アフガン難民弁護団代表の大貫憲介弁護士は「難民に過酷な日本の政策により、ま
た犠牲者が出た。早急に認定し、家族を呼び寄せていればこんな悲劇は起きなかっ
た。迅速、公平な認定制度に一日も早く改正すべきだ」と話している。 【山成孝
治、磯崎由美、村元展也】

 ※視点※
 難民認定申請したアフガン人の自殺は、ユノス・タヒリさんで今年2人目。申請中
に「不法滞在」などで入管施設に身柄拘束された人たちの自殺未遂も相次いでいる。
タリバンの迫害を逃れてきた人々が、救いを求めた日本で死を選んでいる。
 イランへ行く前の昨年12月、妻子との再会を信じていたタヒリさんのうれしそうな
様子が今でも目に浮かぶ。ところが、日本に戻ってきて以降は、人が変わったよう
で、話しかけるのもはばかられるようになったと、支援者は振り返る。
 タヒリさんのような例はアフガン難民だけではない。トルコ国籍のクルド人男性は
98年、申請を2年以上放置され「この国はだめだ」と言い残して帰国、何者かに殺害
された。
 日本は国連の難民条約に加わっている。しかし、迫害された難民を救うどころか、
さらに迫害しているのではないか。タヒリさんの死を重く受け止めねばならない。
【山成孝治】

[毎日新聞8月11日] ( 2002-08-11-03:01 )

HOT NEWS

amanakuni Home Page